月刊・経済Trend 2004年3月号 巻頭言

安全と安心

勝俣副議長 勝俣恒久
(かつまた つねひさ)

日本経団連評議員会副議長
東京電力社長

私の部屋には、「安心・安全・信頼・再起」と背中に書かれたダルマがある。これは、一昨年の弊社原子力発電所における不祥事の際、多大なご迷惑をおかけした原子力発電所立地地域へお詫びにお伺いした際、いただいたものである。

このダルマに、一日も早く墨で目玉を入れる日が来ることを切に願っているところであるが、この四つの言葉には結構、意味深いものがある。

通常は「安全」と「安心」の違いは顕在化しない。しかし、ひとたび不祥事を起こすと、当該の商品や企業は「信頼」を喪失し、「安心」は「不安」に変わる。そして、科学的・物理的安全の問題よりも、不信、不安が大きくクローズアップされる。心情的要因も加わるため、不信、不安を完全に解消する決め手はない。

不祥事の原因の除去、改善策に愚直に取り組み、それを情報公開の徹底やコミュニケーションの強化によって、消費者、地元の方々に知っていただき、少しでも信頼回復や安心に繋げることが最善の方策となる。今、弊社はその信頼回復、安心回復の途上にあるが、たゆまず改善策を実行し、原子力プラント全号機の稼働に結びつけるべく努力を重ねている。

昨今、米国牛のBSE感染に起因する日米牛肉交渉で、米国の「安全」と日本の「安心」が激突している。米国は、「歩行困難な牛や中枢神経症状牛などの高リスク牛を中心にサーベイランスを実施しているため、米国牛が人体に与えるリスクはほとんどない」という「安全」を主張しているようだが、「安心」への配慮が足りないのではないか。一方、日本は「安心のため、米国牛の全頭調査」を主張している。まさに日本流で、信頼回復のために全頭調査イコール安心を強く求めており、両者の主張の隔たりは大きい。こうした安心論が、どこまで米国に通ずるのか興味を引くが、日本は科学的・合理的安全にもう少し信頼をおき、また、米国も科学的「安全」にだけ偏らず、「安心」にも配慮することが必要なのではないかと思う。日米両国が、「安全」と「安心」の距離を縮める方策を一日も早く見出せるよう期待している。


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