月刊・経済Trend 2005年6月号 巻頭言

武士道と企業経営

奥田会長 奥田 碩
(おくだ ひろし)

日本経団連会長

最近、柔道家の山下泰裕さんと「武士道とともに生きる」という本をつくる機会に恵まれた。きっかけは、山下さんから「柔道の国際化」について相談を持ちかけられたことだった。山下さんが「柔道を通して『武士道』のような日本人の精神要素を世界に広げたい」との理想を語られたので、私はそれなら「姿三四郎」をテキストとして世界に紹介してはどうか、と提案し、大いに意気投合した。そこで、「姿三四郎」をモチーフとして、「武士道」に代表される日本人の精神の再興を訴える本を出そうではないか、という話になった。

新渡戸稲造の「武士道」の発表は明治33(1900)年、まさに講道館柔道の草創期、「姿三四郎」が描かれた舞台と重なりあう。「姿三四郎」が刊行されたのは昭和17(1942)年。この時代にはまだ、武士道精神は日本人の理想とされていた。その第一にあげられるのが「義」、すなわち正々堂々、卑怯なことはしない。第二が「勇」、義のために敢為堅忍とされる。次が「仁」、惻隠の情、思いやりといたわりの心であるという。さらに、礼、誠、名誉、忠義、あるいは克己といったことが述べられる。信義には命をもって応えることが語られる。当時、これはたしかに広く日本人全体の共感を集めていたのだ。

こうした美しい日本人の精神風土は、それに続く敗戦と経済成長の数十年のあいだに、大きく変容してしまったように思える。いまやわが国には、「金儲けのためには手段を選ばぬ」「金さえあれば何でもできる」「法に触れなければ何をしてもいい」といった、武士道精神とはほど遠い風潮が拡がってしまっているように感じる。しかし、もし企業経営がこうした考え方で行われたとしたら、その企業は決して尊敬や共感を得られないだろうし、結局は長続きできないだろう。

経営者は常にわが身を振り返り、自ら恥じるところはないか、自分の言動は顧客の反感を受けていないか、従業員に恥ずかしい思いをさせていないか、自省すべきだろう。それが「企業倫理」や「企業の社会的責任」の原点であり、長い目でみれば企業の成長と発展につながる道ではないか。


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