1962年〜88年、ネ・ウィンが指導するビルマ社会主義計画党のもとで「ビルマ式社会主義」が進められた。この間はゼロ成長が続いた。当時ビルマは鎖国していたため、外部から国内情勢は窺い知れなかった。結局、ビルマ式社会主義は失敗し、88年の暴動につながった。その後、市場経済化が進められているが、その主体は軍である。74年憲法は廃棄され、SLORC(国家法秩序回復評議会)がすべてを決定している。
90年5月に総選挙が行われた。ビルマ社会主義計画党は国民統一党と名を変え、アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)と対峙するが、同女史のカリスマ性と鬱積した国民の軍への不満から、約8割の議席を獲得した。NLDに敗北する軍人世帯が多数を占める地区からもNLDの候補者が当選しており、軍内部にもNLD支持者がいたものとみられる。軍は90年の選挙結果を無視し続けている。
政治活動は制限され、言論への締付けも厳しい。外国の新聞社の活動は認められるようになり、海外に情報は流れているが、テレビもラジオも政府が規制しており、国民には政府系の情報しか入らない。政党活動については5人以上の集会や文書作成が禁止されており、軍の保護下の国民統一党だけは機関紙を発行している。
適正な手続によらない逮捕や処刑は現在も行われているが、かつてほど頻繁ではなくなり、刑務所内の待遇も改善している。国境地帯の反政府勢力16のうち、15との間で休戦が成立し、残るカレン民族連合(KNU)とも交渉が始まっている。タイ国境地帯には7万人の難民が出ており、インタビューでは人権侵害を訴える者が多い。またバングラデシュとの国境地帯には25万人のイスラム教徒が難民となっている。ミャンマーは国民の9割が仏教徒で、仏教を国教のように扱っているため、イスラム教徒との間で軋轢が起きる。イスラム教ではコーランを早朝からスピーカーで流す習慣があるが、これを政府が規制しようとするので、イスラム教徒にとっては宗教弾圧になる。また、学校で先生にお辞儀をするよう指導していることも問題になる。イスラム教徒はアラーの神以外にはお辞儀をしないため、日常的な問題で摩擦が起きてしまう。
最近は軍の姿勢も軟化し、強制労働の事例も減っているが、道路や橋などの開発プロジェクトに強制労働が使われている。政府は1日10〜15チャットの賃金を支払っていると説明しているが、現実には軍関係者が巻き上げて労働者には支払われていないようだ。強制労働禁止の秘密指令が出されており、政府は人権問題に対処している。
インフラ関連プロジェクトへの援助が、人権にマイナスだとは思わない。強制労働は人権侵害だが、政府に資金がないから強制労働が生じる。この問題を解決するために、ODAを供与したらよい。ただし確実に強制労働がなくなるよう監視する必要はある。日本政府や国連が、軍とスー・チーの仲介をして対話を促進することが有益だと思う。