経団連くりっぷ No.64 (1997年10月 9日)

日本ミャンマー経済委員会(委員長 鳥海 巖氏)/9月19日

対ミャンマーODA再開に向けた環境整備


ミャンマーは7月23日、ラオスとともにASEANに加盟した。日本政府も、8月中旬、高村正彦外務政務次官をミャンマーに派遣し、ミャンマー政府首脳との意見調整を図るなど新たな動きを見せている。そこで、一時帰国中の山口洋一駐ミャンマー大使から、最近のミャンマー情勢と今後の見通し、また日本政府の対応などについて、説明を受けた。

  1. ASEAN加盟と日本政府の対応
  2. 今年1月、橋本総理がASEANを歴訪した際、日本政府はミャンマーのASEAN加盟を基本的に支持することを表明した。ASEANや日本は、ミャンマーのASEAN加盟をミャンマー情勢改善のための出発点と位置づけている。特にASEAN各国は、それに必要な支援を積極的に行なうとの姿勢である。95年7月にASEANに加盟したベトナムでは、ASEAN加盟によってドイモイ(刷新)が加速した。
    6月21日から22日までののデンバー・サミットに先立ち、日本政府は6月11日から総理府の平林博外政審議室長をミャンマーに特使として派遣し、橋本総理の親書をキン・ニュン第一書記に手渡した。反体制派との政治対話を進め、情勢改善に向けて更なる努力を続けるよう促した。これに対して、タン・シュエSLORC(国家法秩序回復評議会)議長は返書のなかで、国家の体制づくりや複数政党制による民主主義を目指す新憲法の審議状況を説明し、またアウンサンスーチー女史との関係についても「寛容と度量をもって平和的な手段で対処する」と述べている。

  3. 注目される新たな動き
  4. 7月17日、キン・ニュン第一書記がアウン・シュエ国民民主連盟(NLD)議長と会談した。政府首脳がNLD幹部と接触するのは2年半ぶりのことであり、注目すべき出来事である。残念ながら欧米諸国からは、このような動きを評価する声は出ておらず、「ASEAN加盟を控えて体裁を整えただけで、NLDの分断を狙ったものだ」との批判さえ出た。
    8月18日、高村正彦外務政務次官がミャンマーを訪問し、キン・ニュン第一書記と面会した。ASEAN加盟について祝意を表明し、第一書記とアウン・シュエNLD議長との先の会談を高く評価した。また、ODAとの関連では、ヤンゴン空港の安全面で環境整備に努力している旨を伝えた。
    欧米諸国の対ミャンマー政策は、マスコミの報道によって影響されている。実情よりも厳しく認識されているために、制裁的な措置が採られている面もある。今後、ASEAN加盟によってミャンマーの国際化が進み、正確な情報が伝えられるようになれば、ミャンマーを取り巻く国際的な環境も徐々に変化していくだろう。

  5. 国家統一に向けた取り組み
  6. 現在ミャンマーには、NLDなど10の公認政党がある。今なお軍事政権下にあるが、ミャンマーは法治国家であり、政党活動も法令の範囲内で認められている。現行法令によると、50人以上が集まる政治集会は政府の事前許可が必要であり、公道では5人以上によるデモなどは禁じられている。届出の手続きを経なければ違法行為となるので、政府としては取り締まらざるを得ない。
    SLORCは使命感を持って、国づくりに励んでおり、着実に成果を上げてきた。26年間に及んだネ・ウィン時代のビルマ式社会主義は、当時のビルマ社会に大きな矛盾をもたらした。経済政策の失敗により、国民の不満が鬱積して、88年の騒乱につながった。SLORCにとって秩序の回復と治安の維持が緊急の課題となった。当初は夜間の外出も禁止されるなど戒厳令が敷かれたが、92年以降は平常に戻っている。
    95年の犯罪統計では、窃盗の発生件数は日本の約10分の1、強盗は日本の約8分の1であり、ミャンマーは世界で最も安全な国の1つになっている。
    また、88年には16の反政府武装勢力が政府に対峙していたが、現在はカレン族を除き15勢力との間で和平協定を締結している。かつて英国は、人口の69%を占めるビルマ族と少数民族との軋轢を煽り、少数民族を通じて植民地ビルマを統治した。ビルマ族と少数民族との反目は根深いものであったが、漸く国家統一を実現しつつある。
    憲法制定のための国民会議は現在休会中であるが、実際には開催委員会が少数民族との話し合いを進めている。ミャンマー政府は、少数民族との間に不満が残らないようにすることを第一として、拙速は避け、慎重に議論するとの理由で、作業日程を予め決めていない。SLORCは自らを「新憲法によって民政移管が完了するまでの暫定政権」と位置づけている。

  7. 経済改革の動き
  8. 92年以降、成長路線が定着し、92年度から95年度までの年平均実質GDP成長率は8.2%となった。96〜2000年度の5カ年計画では年平均6%成長を目標にしている。96年度の実質GDP成長率は暫定値で5.8%である。タイの通貨不安の影響も出ているが、ミャンマー経済のファンダメンタルズを大きく変えるようなことはないだろう。
    88年以降の外国直接投資認可額は97年8月末の累計で63.9億ドルとなっている。96年1年間だけで22.7億ドルが認可された。95年までは石油ガス、ホテル観光、不動産などの分野が多かったが、最近は製造業への投資が増えている。

  9. 国民感情の変化と麻薬問題への対応
  10. 政治に対する国民感情は、88年当時から大きく変わってきている。90年に選挙が実施されたときは、ネ・ウィン時代の閉鎖的な政策に苦しめられていたため、現状を変革したいとの意識が強かった。その後、世の中は落ち着きを取り戻し、国民の反政府感情は薄らいでいる。確かに現体制の下では国民の権利や自由には一部制限があるが、生活水準は確実に向上している。
    また、ミャンマー政府は、麻薬撲滅に取り組んでいる。麻薬を撲滅するには代替作物の作付け支援を行い、生活手段の転換が必要なので5年を要すると政府は言っている。麻薬栽培がなくなった場所もあり、ミャンマー政府は、各国大使を視察に招いている。かつて2万人の私兵を擁した“麻薬王”クン・サも96年1月に投降し、現在は政府に警護されてヤンゴンで生活している。


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