「官」から「民」へ そして「民」は「公」も

那須 翔
経団連副会長


数カ月前の政府世論調査によれば、日本が向かっている方向は、「良い」がわずか24%、逆に「悪い」が過半数の54%という結果になった。続発するさまざまな出来ごとを背景として、社会を構成するめいめいの信頼関係が失われつつあることを物語るたいへん残念な証左である。

このような状況の中でわれわれはどう行動すべきか。その基本は、政治・行政に携わる人々、市民、企業など社会の各構成員が、誰々が悪いという責任追及だけに終わらずに、自分が果たすべき役割を確認し、自己改革を積極的に行なっていくことであろう。そうしためいめいの取り組みの積み上げと結集こそが真の「構造改革」であり、相互の信頼関係の再確立につながる。

企業としても、脱規制社会における行動のあり方をあらためて問い直すことが重要である。その課題としての「官民のあり方」を考える時、あらためて従来の「公私の別」という時の「公<こう>」という言葉をかみしめなければなるまい。商品・サービスの提供でも、また環境問題の解決でも、「官<かん>」の手を通すことなく、それぞれ消費者や生活者に「安全」と「安心」を組み込んだものとすること─それが「民<みん>」の立場に立つわれわれ「私<し>」企業の自己責任による仕事である。「民」が「公」を体現して初めて規制緩和による小さな政府が実現するのだと思う。

司馬遼太郎氏は、「歴史的に見ると、日本のよさは、『民』の中に『公』の理念が存在していたことだ」という趣旨のことを述べたが、私も全く同感である。冒頭に述べた信頼喪失の時代に、われわれ企業人としては、まずわれわれの立場からの努力で、日本国内における相互信頼の再確立の基盤を築かなければならない。規制緩和は自己責任発揮の好機である。故司馬氏の「民」に対する評価を単なる過去へのノスタルジーとしてしまうかどうかは、まさにこれからのわれわれ企業の行動にかかっていると言えるのではないだろうか。

(なす しょう)


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