月刊 keidanren 1998年 8月号 巻頭言

循環型社会の創造を

那須副会長 那須 翔
(なす しょう)

経団連副会長
東京電力会長

 数カ月前に発表された日米の世論調査を比較すると、日本では自分の国が悪い方向に向かっていると考えている人が7割を超え、米国では、逆に7割程度の人が現状に満足し、今後さらに暮らし向きは良くなるだろうと答えている。

 長引く景気停滞をはじめ、環境問題の深刻化、さらには生活や職場の安全への心配といった日常のニュースから受ける暗い気持ちを払拭して、21世紀へ向けて新しい希望を持ち、その実現を目指すことがまず大切だと思う。楽観主義が良いとは言わないが、われわれ実業人は評論家ではないのだから、まず将来の明るい設計図を描いて、それに向かって行動すべきである。

 そのためには、小さな政府、脱規制社会を強く望みたいが、同時に、企業や市民が自分達の行動のあり方そのものを問い直すことも忘れてはなるまい。利潤の追求だけを優先し「安全」を犠牲にするようでは、市場における企業の信用が失墜する。市場が自由になれば「見えざる手」が働いて全てが調整されると思うのも他人任せすぎる。企業も個人も自己責任の下で行動することにより、社会全体が自律的に調整・調和される方向を目指したい。

 最近クローズアップされているダイオキシンの問題を例にあげれば、何もせず放置してきた自治体や企業に責任があるのは当然だが、同時に市民が利便性を求めるあまり、ゴミの排出には少々無頓着だったという面もないだろうか。めいめいが反省し、前向きかつ具体的な行動に移さなければ根本的な解決は望めない。

 環境の保全のためには、資源循環型、省エネルギー型社会の実現が不可欠である。最近では、環境に配慮して買い物をする消費者が増えているという。企業もこの機会をビジネスチャンスと捉え、大量生産・販売・廃棄を前提とせず、修繕・再利用を軸に据えた経営戦略を展開していく必要がある。

 また、「循環」は、省資源や環境保全のためだけではなく、経済・社会そのものを活性化させるためにも必要ではないだろうか。優勝劣敗を明確にする競争は経済・社会を活性化させるが、新産業・新事業育成の必要等を考えると、併せて敗者復活を可能とする風土と仕組みも創っていく必要があると思っている。


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