月刊 Keidanren 1999年12月号 巻頭言

すばらしい日本を創るために

森下副会長 森下洋一
(もりした よういち)

経団連副会長
松下電器産業社長

いよいよ師走に入りました。年を越せば新たな千年紀がはじまり、1年後には21世紀の幕が開きます。このような時代の大転換期にこそ、私たちは日本という国をじっくりと見つめ直し、めざすビジョンの確立とその実現に向けたシナリオの策定を、なによりも急がねばなりません。経済の活性化はもとより幾多の難題に直面する今日の日本ですが、若年層にひろがりはじめた「志」の喪失を憂える声が響くなか、国の活力の源である「人」のあり方には、よりいっそう熱いまなざしが注がれてしかるべきでしょう。

なぜ「志」を立てられない若者が増えるのか。この疑問を解き明かすには、日本が息せき切って駆け抜けた戦後50有余年、なかんずく冷戦後の10年で、社会がどう変貌したかを直視することが肝要です。

奇跡の高度成長はたしかに世界に誇るべきものでした。しかしその象徴たる大量、均質、安定といった概念は、「人」を育む家庭、学校、会社、地域社会にも深く浸透し、型にはまった生き方がよしとされ、それに甘える風土が知らず知らずのうちに根づいてしまった。「志」の喪失の原点は、まさにこの「人」の平準化にあったといえるでしょう。そしてそこに接ぎ木されたのがバブルにともなう社会の弛緩であり、豊かさの傍らで心と知の涵養がないがしろにされたと思われてならないのです。

「人」にはそれぞれの貌があり、個性や才能も限りなく異なります。そういった唯一無二の己を輝かせるチャンスがあればこそ、立志の気運もみなぎるというものです。そのためにも機会均等、成果主義、制度・政策の複線化といった新たな考え方を、国が、教育機関が、そして企業が、速やかに実践に移さねばなりません。と同時に求められるものとは、よりよき社会の基となる家族や師弟の厳しくも慈愛に満ちた絆であり、さらには多様な「人」を奥底でつなぐ、はっきりとした国家観なのではないでしょうか。


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