月刊・経済Trend 2003年1月号

巻頭対談

これからの日本企業、日本人


日本経済は、依然として底這い状況が続いており、閉塞感を払拭しきれずにいる。新たな時代を切り拓くためには、適切な政策の実施に加え、国民一人一人が意識を変えていくことが不可欠である。そこで、奥田会長と樋口副会長・広報委員長に、新たな時代の意識改革について対談していただいた。

樋口公啓 日本経団連副会長・広報委員長
奥田 碩
おくだ ひろし
日本経団連会長
奥田 碩 日本経団連会長
樋口公啓
ひぐち こうけい
日本経団連副会長・広報委員長
東京海上火災保険会長
 樋口
奥田さんはものすごく忙しい方ですが、その割に余暇も積極的につくられ、読書もよくされています。その秘訣を伺えますか。
 奥田
僕は寝る前に30分ぐらい本を読まないと眠れないのです。だから、睡眠薬代わりに本を読んでいます。それから、自動車や電車や飛行機の中で、細かい字でも酔わずに読めます。忙しいとよく言われますが、忙しいのは移動しているからで、移動している時間は自由に使えるわけです。
 樋口
奥田会長の幅広い知識とご経験に基づいて、日本経済の現状と今後の展望に対するお考えを伺えますか。

どこまで日本の繁栄を伸ばしていけるか

 奥田
パックス・ブリタニカとかパックス・アメリカーナという言葉がありますが、日本はパックス・ジャポニカになったのかならなかったのかわからないくらいです。日本が不幸だったのは、繁栄の時代が短かったことだと思います。イギリスやアメリカは繁栄の時代が長かったので、イギリス人やアメリカ人のような生活をしたいという憧れを世界中の人がもちました。それは、繁栄の時代に価値のあるものを作ったり、価値のある生活をしたりしながら、物心ともに豊かになったからです。日本の場合は、そうしている時間がなかった。もう50年、日本が成長できれば、日本人の徳が世界中で拡まって、日本人のようになりたいとか、日本人のような家に住みたいということになったと思います。
僕は、2003年に日本が大躍進するとか、成長率が3%を超えるということはまずないと思っています。せいぜいよくて1%くらいの成長率の中で生きていく世界。ただ、これからの努力次第でまだ可能性はあると思います。どこまで日本の繁栄を伸ばしていけるかは、個々の国民の肩にかかっていると思います。
 樋口
今、中国が大変な勢いで伸びていますが、中国をどう見ておられますか。
 奥田
中国を見ていると、戦後のわれわれと同じだなと思います。日本で言えば「三種の神器」(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)が欲しくて、それを全部満たしたら、次の「三種の神器」と言われる「3C」(カー、クーラー、カラーテレビ)が欲しくなる。それを得るために目をギラギラさせて、生きている。同じようなことが、しかもそれが日本人と違ってものすごい人数がいるわけです。これは、日本に大きな影響を及ぼす国になるだろうと思いますね。
 樋口
これからの日本は、中国式の競争の場にもう一度出て行くということではなく、新しい国の形を追求していく必要があるのではないかと思います。
それで思い出したのですが、以前奥田さんに、東大の神野直彦先生がお書きになった『“希望の島”への改革』という本をご推薦いただきました。世論が「競争社会」一辺倒の中で、神野先生は「今後の日本は“競争社会”ではなく“協力社会”が求められる」とおっしゃっており、そのとおりだと思いました。
ところで、これからの日本を考える上で、私が特に、興味を感じたのは、奥田会長の「国も企業もほぼ40年で寿命がくる」という考え方です。

国も企業も繁栄には限りがある

 奥田
昔われわれが聞いたのは、企業60年説です。企業には寿命があり、どんな企業も60年ぐらい繁栄した後、だんだん衰退して入れ替わっていくというものです。
僕は、本当に60年かなと興味を持って、あちこち本を探してみました。そうしたら、アリストテレスが「神が人間に与える繁栄の時間は、40年」と言っており、中国の古典にも「滅亡の前の40年間は、人間にしろ、団体にしろ、繁栄するものだ」と書いてある。奇妙なことに、60年ではなく40年なのです。40年というのは、当時の人間の一生が40年程度だったので、それをヒントにしたのではないかと思います。
僕は運命論者ではないが、いつか滅亡することは、人間として避けられず、人間の集合体である会社も避けられないと思います。僕はいつも新入社員に、会社が40年で落ちるか、60年、70年で落ちるかは、経営者の力次第だが、いつかは必ず落ちるということを腹の中に入れて緊張感や危機感を持って仕事をしてほしいと言っています。
 樋口
だいぶ以前ですが、ある会社の社長さんに、「東京海上は、設立してからどのくらいになりますか」と聞かれました。そこで、「来年100年になります」とお答えしたら、「私は自分の会社を50年も、60年もやろうなんて思っていない。法人も自然人と同じで、必ず老いる。自然人が50歳、60歳になったら関節も硬くなってきて、あちこちがおかしくなるように、法人も生まれたての頃は、組織もその中にいる人も柔軟だが、古くなれば前例だとか慣習だとかがはびこり硬直化するものだ」と言われて、はっとしたことがあります。古い会社が「第二の創業」などと言い出すことも、根底にはそういう意味が含まれているように思います。

「楢山節考」の精神に学べ

 奥田
日本人は、普段からもう少し宗教観、いや死生観といったほうがいいかもしれませんが、そういうものを持ち、死と毎日対決しているという意識で生活していく必要があると思います。人間は、絶えず死生観を持っていて初めて充実した生活ができます。それが何もなくて、命は金で買えるというような気持ちでいると、会社としても人間としても成功しないでしょうね。自分の死、自分の人生、会社の人生には限りがあるという思いを普段から持っていることが大切です。そういう意識は、戦後50年の間に、どんどん消えてしまって、死ぬことも忘れ、いつまでも元気でいられるのではないかと錯覚している。日本の閉塞感や無気力感、日本人に迫力がなくなったといわれる原因は、そこら辺にあると思います。
僕は、今の日本人は「楢山節考」のおりんさんの精神を見習うべきだと思います。おりんさんは、70歳にもなって歯がしっかり揃っていることを恥じて、石で歯を砕こうとしたくらい丈夫な人なのに、若い人の負担になるのがいやだということで、楢山に行って飢え死にしようとする。自分が年をとって、人に迷惑をかけているとか、人が気遣ってくれることに気づかなくなったら、それは老害です。会社の中でも、それがわからない人がずっと会社に残っているケースがあります。
 樋口
今の日本人には、自足の精神がないですね。昔の成長の夢を追っていて、心がすさんでいく。今の日本の価値基準は拝金主義で、どこかおかしくなっているという気がします。
 奥田
依然として金とものの世界の中におぼれている。これは、家庭も悪かったけれども、家庭のお父さん、お母さんを育てた教育が悪かったという意見もありますね。

日本に足りないのは、精神の教育

 樋口
日本の戦後の教育に問題があったことは間違いないと思います。戦後の教育は、精神の教育、徳育をせずに、知育ばかりを行った。戦後、経済成長を支えてきた人たちは、小学生時代に刷り込まれた修身や道徳の教育が幼心に染み込んでいるから、暗黙の道徳律の下に、戦後の復興を目指して必死になって働いてきたという面がある。ところが今はそういう教育をされていない人たちが親や経営者になっているわけです。これが、大きな問題になっているという気がします。
今、ゆとり教育のスタートなどで、日本の知育レベルの低下が問題になっていますが、知育は割と世間のコンセンサスができやすく、いずれ追いつくことは可能と、あまり悲観はしていません。それよりも、問題なのは欠如しつつある徳育です。日本にはこれから徳のある国になってもらいたい。21世紀を「心の世紀」、「志の世紀」にするにはどうしたらいいのかということをよくよく考える必要があると思います。
 奥田
会社のエリートも、官僚のエリートも、受験勉強の偏差値は非常に高いけれども、人生の偏差値の高さには必ずしもつながっていない。若いときに、落ち込んだり、失恋したり、酒飲んでひっくり返ったりした経験がなく、人生を知らない人たちが国を引っ張っていくと、国もアンバランスになっていくという気がします。

多様な価値観の中で自ら楽しみを見出す時代

 樋口
先ほど、2003年はせいぜいよくて1%程度の成長だろうというお話がありましたが、そういう低成長にわれわれは慣れていかなくてはいけないということですか。
 奥田
多分そうでしょうね。だからこそ多様性が大事になり、個人個人が自分の趣味や個性を活かして生きていく。高度成長時代には、やれ車が買えたとか、やっとクーラーが手に入ったといった楽しみがありましたが、今は自分なりの価値観を持っていないと、楽しいことがない。楽しくなろうとすれば、もっと別の世界を求めていかなくてはならないと思います。
 樋口
ゴルフ場で、「前はあそこまで飛んでいたのに」という思いがあるのに、最近は、自分ではナイスショットしたつもりでも、ボールはすぐそばに転がっています。これからは、昔何ヤードも飛んだから、それだけ飛ばなくてはいけないと考えるのではなく、飛ばない飛距離の中でいかに楽しみを見出していくかが大事になると思います。
日本という国についても同じことが言えるのではないかという気がするのですが。

日本が伸びるチャンスは住環境の改善にある

 奥田
そうだと思いますね。明治時代の生活に戻ればいいという人もいますが、それよりも、スイスなどヨーロッパの小国のように生活を楽しむという生き方を日本人も学んでいかないといけないと思います。
ただ、日本は、まだまだ住環境が悪いと思います。物質的に満足していると言っても、本当に豊かで良質な住宅、広くて快適な住宅に住んだことのない人が、日本人の大半です。今の30代、40代は皆、生まれた頃からウサギ小屋みたいな小さい家に住んでいます。われわれの時は田舎だったから、家は大きかったし、天井も高く、一部屋一部屋も広かった。今のような小さな家では、人間の気持ちまで小さくなってしまうのではないかと思います。30代、40代、50代の、勉強したり、団欒したり、遊んだりしなくてはならない時にお金がなくて家が買えず、子どもが独立して、あまり部屋が必要なくなった時にやっと広い家に住めるようになるのは、おかしなことです。若いうちに広くて良質な住宅を買えるようなシステムをつくれば、日本がもう一度伸びるチャンスはあると思います。
 樋口
住宅の問題は土地とも関係しますね。
 奥田
定期借地権を使えば、結構広い家に住めると思うのです。なぜ日本人が定期借地権を使わないのか、僕には不思議でなりません。

緊密なコミュニケーションが不祥事防止の鍵

 樋口
これだけ経済に活気がないと、衣食足りて礼節を知るというところがなくなったり、貧すれば鈍するという感じになったりして、生き残りのために企業が手段を選ばなくなりがちです。そういう時こそ、歯をくいしばって、これだけはやめようと耐える精神力が経営者に求められると思います。
トヨタ自動車にはいわゆる企業不祥事に類するものがありませんが、これはどういうところから来ているのでしょうか。
 奥田
非常に小さな問題はどこの会社にもあると思います。ただ、大きな不祥事が出てこないということは、確かにありますね。それはなぜかというと、会社の中にいろいろなミニサークルみたいなものがあって、社員同士が緊密なコミュニケーションで結ばれているからではないかと思います。学校の閥は絶対につくりませんが、同期生とか同じ趣味の人とか、いろいろな小グループ活動がある中で、お互いに、何をやっているか、どんな生活をしているのかが知り合えるようなシステムが入り組んであるので、すぐ誰が何をやっているかわかります。
 樋口
不祥事が致命的になるかどうかのポイントは、組織ぐるみかどうかです。トヨタ自動車の場合、それがないですよね。
 奥田
それは、トヨタ自動車に限らず日本企業の多くに創業家がいて、それを求心力にして会社をまとめているからではないでしょうか。だから、派閥ができないのです。派閥が会社の中でできるのは、次の社長を目指して、副社長や専務が徒党を組んで閥をつくってしまうからではないかと思います。
 樋口
創業の精神を書いたものはありますか。
 奥田
それはありますよ。豊田佐吉がつくった「トヨタ綱領」を現代的に焼きなおして、トヨタ基本理念をつくっています。英語版もあり、僕もいつも持ち歩いています。
 樋口
こういうものが浸透していることが大事なのでしょうね。

トヨタ自動車の強さの秘密

 奥田
トヨタ自動車が成功しているのは、TPS(Toyota Production System:トヨタ生産方式)で会社がうまく廻っているからではないかということで、世界中からたくさんの人がトヨタ生産方式を学びにきます。では、それを具体的に展開して成功した会社があるかというと、全然ない。そこで、何かもっと別のものがトヨタにはあるのではないかと考えたケンブリッジ大学の先生は、会社に入ってからのトレーニングや、今言ったコミュニケーションとか、組織とか、そういうものが絡み合って、人材がいかに現場で100%能力を発揮して働けるかが大切で、トヨタはそこら辺に暗黙知がある、だから、トヨタの秘密はTPSではなくて、人材に関しての暗黙知だと書いた本を出しています。
もう一つうちの会社の特徴は、現地現物を徹底しているところです。年に一度は全役員が集合して必ず各工場を見に行きますし、地方へ行けば、ちょっとした時間を見つけて販売店に話を聞きに行きます。また、年に二回は、東富士に新車と対抗車を100台くらい集めて、全役員が試乗します。ものを見て判断するという現地現物はどこの会社でも大事なことでしょうね。
 樋口
全く同感です。強いブランドを持つ企業は、明快な価値観・フィロソフィーを持っており、それが社内で暗黙知として、人材の能力発揮の原動力となっているのでしょうね。
奥田さんの本日のお話をお伺いして、21世紀の日本が歩むべき道、つまり、日本の将来を長期的に見据えて、適切な政策を着実に講じていく一方で、企業・個人の意識変革が必要であることがよく理解できたように思います。
本日は、ありがとうございました。
(2002年11月6日 経団連会館にて)

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