賃金安定対策に関する要望意見

昭和23年6月22日建議公表
経済団体連合会

政府が今回の物価改訂に当り、物価と賃金との悪循環を避け、企業経営の健全化を図るため賃金に対しても何らかの規制を加えようと考慮しつつあることは、昨年の新物価体系破綻の経験にかんがみ、かねてよりわれわれもその必要を痛感してきたところであり、極めて機宜を得た措置として深く賛意を表するものである。

昨年七月の新物価体系が間もなく破綻せざるを得なくなった主たる原因は新物価の算定の基礎として賃金ベースを設定しながら、一、二の不徹底な方策のほかこれを規制する強力な手段が講ぜられなかったために現実の賃金水準は相次いで上昇し、物価と賃金との循環的騰貴をもたらすに至ったことにある。この事実に徴して、今回の物価改訂に当っては相当徹底した賃金の直接的統制方策を講ずる必要があることは、多言を要しないところであろう。ただ翻って、現下の政治、経済、労働等の諸事情を検討すれば、今直ちにかかる強力な賃金安定対策を確立するには必ずしも十全な條件が備っていない。卒直に言えば、寧ろ賃金安定対策実施を困難ならしむる諸條件が少くない実情にある。然し、かかる事情が存在することを理由として、この際、何等の賃金安定対策をも行わないならば、再び賃金と物価の悪循環をきたし、産業経営の健全化と生産の復興とが阻まれ、昨年の誤りを更に繰返し、インフレの激化をみることは火を睹るよりも明かである。よって、われわれは、現下の困難なる事情にも拘らず、この際、賃金安定対策を急速に立案実施する必要のあることを強く主張するものである。而してその具体策を攻究するに当っては現下の困難なる諸事情を十分考慮し、直ちに賃金の直接統制を行う方策は避け、第一段階としては間接統制を試み、諸事情の好転に応じてこれを直接統制に切換える方法を妥当と考える。なお賃金安定を図るに当っては、直接統制たると間接統制たるとを問わず、まず第一に「労働者、経営者双方の自主的協力」をうることが必要であり、そのためには「生活必需物資の確保」が急務であるが、この外差当っての間接統制においては、後記の諸項をも充分に考慮し、その手段と方法とを誤らざるよう慎重なる検討を加え、実効を期することを主眼として、実情に即した有効適切な措置を行うことを希望するものである。

一、労働者、経営者双方の自主的協力

インフレ防止、企業の健全化なしには、労働者の生活安定を終局的に確保することは不可能であり、不健全な給源による賃金の引上げは結局、国民経済の根底を食いつぶすことに外ならぬという現実の論理を確認し、労働者、経営者双方がこの自覚に基いて、賃金安定対策に関し、夫々の立場から自発的に協力することが必要である。

即ち

(イ) 労働者は生活向上による企業経理の改善の必要を認め、また経営者は労働者の誠実なる労働に対しては、次項に掲ぐる限度においてその生活を確保する必要を認め、両者相協力して、生産の復興、日本経済の再建に寄与しつつ賃金給源の培養に努力すること。

(ロ) 労働者の実質賃金は、その時々の経済事情に立脚した国民経済に適合せる限度に制約されるものであり、この限度を超えた賃金支払は必ずや国民経済の破綻となって経営者にとっては、その企業の崩壊、労働者にとってはその生活破綻を招くことを知り、労資双方が安定対策の維持に責任をもつこと。

二、生活必需物資の確保

賃金安定を最も有効ならしめる要件は、主食、衣料等の生必物資の確保を図り、実質賃金を充実せしめるよう措置するにあるが、特に主食については、遅欠配を生ずるが如き事態を一掃し寧ろ少くも二合八勺程度に増配を可能ならしむるよう凡ゆる努力を払う必要がある。そのためには政府は、この際思い切った措置を採り、勇断を以って現在の保有食糧の緊急繰上配給を試みて遅欠配を防止し、また従来の労務者に対する傾斜配給方式に再検討を加えこれを実情に即して合理化すると共に、食糧の輸入を極力懇請する等の方法を講じ、更に衣料については、輸出向滞貨衣料の放出を断行する外、古衣料の輸入を懇請する等、本対策成否の鍵を握るこれらの裏付物資を絶対確保するよう全力を傾注し、これを達成しなければならない。

三、賃金安定の方法

賃金安定を企業の規模、業種の如何を問わず最も有効に行い、闇経営等の脱法的行為を阻止し、名実共に物価と賃金との悪循環を断ち切るためには、法的措置によって一応現在の実質賃金をストップし原単位の切下げ、即ち生産能率の向上に応じて、適宜これを引上げる方法による直接統制方式が、最も妥当と考えられるが、現在の如き政治、経済、労働等の諸情勢下においてこれを実施することは、却って不安と混乱とを招く惧れもあるので、差当っては、次ぎの如き間接統制の方法を暫定的に行い、諸事情の好転した際は、直ちに右の直接統制方式に切換える必要があると考える。

(イ) 後記するが如き賃金安定委員会において、業種別の標準賃金を決定し、必要に応じて企業別に総原価中に占める適正な人件費の割合を査定しまた各企業の原単位を調査する。

(ロ) 業種別標準賃金決定に当っては、単に現行の業種別賃金格差をその儘機械的に認めることなく、現在のわが国民経済における各業種の位置、実情に即した格差に補正して決定すること。

(ハ) 政府は、右を基準にし、この基準を著しく超えて賃金を支払う企業に対しては、企業監査を行い、不当な人件費、賃金の支払が行われている場合は、赤字融資を抑制し、資材割当、労務者用物資割当の面においてもこれを規制する等措置を講ずること。

(ニ) 特に闇経営等によって不当に高賃金を支払う如き企業に対しては流通秩序の再確立、徴税技術の改善、金融措置等によって適切なる規制を加え、重要産業だけが賃金安定対策の負担を課せられるという弊害を防止する必要がある。

(ホ) 高能率の企業に対しては、右の標準賃金以上の賃金支払を認め報奨物資を与えると共に能率増進に特に寄与した労働者に対しては能率給の増加を認めること。

四、賃金安定委員会

(イ) 中央の賃金安定委員会
中央の賃金安定委員会は、政府、学識経験者、経営者、労働者の各代表をもって構成し、業種別賃金格差の全体の調整を図り、次項の業種別賃金安定委員会作成の業種別標準賃金原案を審議決定するの外、謂わば国民生活安定委員会として、単に賃金のみならず、物価の安定、裏付物資の確保等賃金安定に関する基本的方策を審議立案する機関として、これを経済安定本部に設置する。

(ロ) 業種別の賃金安定委員会
各個別企業の適正な人件費の割合を査定し、また業種別に標準賃金を設定するに際しては、それぞれの企業の通常操業度、手持資材の多寡、雇傭人員の保有度等と睨み合せ、よく企業業種の実態に即して決定される必要があり、この原案作成を一本の中央賃金安定委員会において行うことは、実際上無理であり、徒らに審議の期間を延引せしめる結果になるので、それぞれの業種の専門家並びに関係官吏より成る業種別賃金安定委員会を前記中央の委員会の下部機構として設け、業種別標準賃金の原案作成にあたらせる。業種別賃金安定委員会は右原案作成に当っては、中央の賃金安定委員会できめられた基本方針に従って、他の業種別標準賃金との関係を十分に考慮すると共に労資双方より十分に意見を聴取しなければならないことにする。

五、賃金安定対策実施の時期

端境期に向い、今や主食の配給確保も危ぶまれる情勢にあるが、既述の如き方法によってこの困難を極力打開し今次の物価改訂と同時に暫定的に間接的賃金安定対策を発足させ事情の好転に応じて、可急的に直接統制へ移行させることが必要である。

従って、今次の物価改訂に当っては、勤労者の生活に著しい影響を及ぼすような改訂の方法は極力これを抑制する必要があり、物価改訂問題は、この側面から慎重に考慮されねばならない。

六、経過措置

今次の暫定的賃金安定対策の実施に当り、業種別標準賃金の審議中に、これを著しく超えた賃金引上げが行われるような場合は、その不当に引上げられた賃金部分は、これを将来の物価に織込まないこととし、又、かような場合には融資を規制することとし、実施前の準備期間における賃金の不当な昂騰を予め防止するよう適切なる措置を講することが必要であろう。

以上