為替の適正化・安定化に関する報告書

1995年9月19日

社団法人 経済団体連合会
国際金融・資本交流委員会 企画部会


1.はじめに

  1. 1973年に変動相場制度が導入されて以来20余年を経過したが、当初の期待に反し、変動相場制度の下でも、経常収支の不均衡の速やかな是正がなされないばかりか、為替相場は乱高下や望ましい為替相場からの大幅な乖離を生じ、各国経済や企業活動に様々な影響を与えている〔注1〕

  2. 円の対ドル相場は1995年初来急騰し、4月には一時1ドル=80円を割り込んだ。その後、7月7日以来の日銀による短期金利の低め誘導、8月2日の政府の海外投融資促進策の発表及び日米独の協調介入等を受けて、行き過ぎた円高に漸く歯止めがかかりつつあるものの、依然としてわが国経済の実力を超えた水準にある。行き過ぎた円高や為替の乱高下は、企業活動の大きな障害として、景気の自律的回復への足かせとなるばかりか、今後、わが国の産業、技術を空洞化させ、雇用にも深刻な影響を与えていくおそれがある。わが国は、円高が行き過ぎたものとならないよう努めるとともに、為替の安定化に取り組んでいく必要がある。
    そこで国際金融・資本交流委員会企画部会では、今後わが国政府、経済界が、為替の安定化に取り組んで行く上での参考に資すべく、為替相場をめぐる諸問題に対する経済界の基本的考え方や議論を整理し、報告書としてとりまとめた。なお、経済界の中で必ずしも意見が一致しない問題については、両論を併記している。

  3. 本報告書では、まず、円高を是正していくうえで、政府および経済界が取り組むべき課題を取り上げ、次に、中長期的な視点から為替相場の安定化を図っていく上での、わが国の経済構造改革、円の国際化、通貨制度改革等に関する考え方を整理した。

2.為替の適正化について

民間企業は、これまでの行き過ぎた円高のなかで、(1)海外からの資材・部品等の調達比率引き上げ、(2)完成品及び主要部品の現地生産化の促進、(3)海外生産拠点からの輸出の拡大などに努めてきたが、雇用問題からこうした努力にも限界がある。
そこで、円高圧力の根源ともいえる経常収支と資本収支をあわせた外貨の需給アンバランスを改善していく必要がある。このためには、先ず、経常収支黒字の削減や、対外投融資を促進し経常収支黒字の円滑な還流を図るとともに、機動的な介入等を通じて、望ましい為替相場からの乖離に歯止めをかけていく必要がある。

  1. 円高の背景

    1995年5月に経団連が会員企業を対象に実施したアンケート調査結果では、企業は、概ね1ドル=100〜110円をわが国経済にとって望ましい為替相場水準と考えている〔注2〜4〕。しかし、為替取引において資本取引が大きなウェイトを占めているなか、国際資本移動、外為市場の期待や需給変化によって、短期的な為替相場の乱高下や、望ましい為替相場水準からの乖離が生じ、企業活動に深刻な影響を与えてきた〔注5〕
    特に、わが国の膨大な経常収支黒字の累積(及び米国の巨額の経常収支赤字)が、外為市場における実需面でのドル売り圧力に加え、市場関係者の円高期待を強め、行き過ぎた円高の大きな原因となってきたと考えられる。
    なお、為替投機が為替相場の乱高下を増幅させ、行き過ぎた円高をもたらしてきたとの指摘がある。
    これに対し、ヘッジファンド等による投機は、一定期間内に為替ポジションを元に戻さねばならないため〔注6〕、為替相場に与える影響は限定的であるとの意見がある。
    いずれにせよ、為替投機の定義および為替市場に与える影響を先ず明確化していく必要がある。

  2. 経常収支黒字の削減

    経常収支黒字の累積は円高圧力の最大の要因と考えられる。特に、日本経済に巨額の需給ギャップが存在するなか、政府は、(1)公共投資基本計画の前倒し実施等積極的な財政運営、(2)抜本的な税制改革(法人税率の引下げや地価税の廃止等法人の税負担の軽減等)を通じ、内需(特に民間投資)を刺激するとともに、(3)規制緩和、市場アクセスの改善等の輸入促進策を実施し、循環的な要因による経常収支黒字を拡大均衡により削減させていく必要がある〔注7〕
    他方、民間企業としても、輸入の障壁となるような商慣行の見直し等に引き続き取り組んでいくべきである。

  3. 対外投融資の促進

    居住者による対外投融資の促進も、経常収支黒字の還流を通じ、円高圧力の緩和に寄与するので、積極的に推進していくことが望ましい。こうした意味から、先に大蔵省が発表した「円高是正のための海外投融資促進対策」は、機関投資家等の海外向け投融資の促進に寄与するものとして評価できる。今後とも一層の規制緩和を通じて海外投融資を促進していく必要がある。
    しかし、わが国の機関投資家等は、資産デフレの結果、リスクテイク能力が弱まっている。資産デフレ対策等(特に、証券税制および土地税制の見直し)を通じ、為替リスクのある対外投資を積極的に行えるような環境整備等に併せて取り組む必要がある。
    これに対し、機関投資家等の運用資金は円であり、たとえ外債を購入してもいつかは円に戻すために売却せねばならず、長期的には為替水準に影響を与えることはできないとの指摘もある。

  4. 機動的協調介入

    1995年4月のG7蔵相・中央銀行総裁会議で合意された為替相場の「秩序ある反転」を受けて実施された、数次に及ぶ協調介入は行き過ぎた円高の是正に有効であった。このように為替の乱高下や望ましい為替相場からの乖離を抑制するためには、通貨当局による機動的な協調介入が不可欠である。
    ただし、市場介入は政策当局による適切な政策が実施され、市場関係者がこれを評価している場合に限り有効であり、経済のファンダメンタルズ〔注8〕から乖離した為替相場水準への誘導は困難である。前述のマクロ経済面での円高是正策等と歩調を合わせて実施していく必要がある。

  5. デリバティブ取引の影響

    デリバティブ(金融派生商品)取引は、小さな資金でリスクヘッジが可能となるため、相場感が似通ったものであれば、一定のレンジに大量の取引が集中しやすく、局面によっては為替相場の変動を加速させたり、振幅を拡大させる可能性がある。ついては、デリバティブ市場が拡大するなか、こうしたデリバティブ取引の性質を踏まえ、その影響について十分な研究が必要である。

3.為替安定化について

中長期的な視野にたって為替相場の安定化を図っていくためには、先ず、わが国経済の構造改革を進めていく必要がある。加えて、現在の変動相場制度が適切に機能するよう、国際的なマクロ政策協調を強化していかねばならない。更に、将来の通貨制度・体制のあり方についても内外の議論を深めていく必要があろう。

  1. 日本経済の構造改革

    経済の対外不均衡は、国内の不均衡の裏返しである。わが国としては、規制緩和、内外価格差の是正(特に、国内における生産性の低い分野の改善)、社会資本整備等を通じ、日本経済に内在する貯蓄・投資の構造的な不均衡を是正し、内外需がバランスした国際的に調和のとれた経済構造を実現していく必要がある。

  2. 国際的なマクロ政策協調

    変動相場制に代わるような新たな通貨制度に関する国際的な合意が直ちに期待できない中、為替相場の安定化のためには、国際的なマクロ政策協調を行い、必要に応じ協調介入でこれを補完していくことで、変動相場制度のマイナス面を補っていくことが重要である。マクロ政策協調を通じ、(1)先進国の経済パフォーマンスの収斂が可能となる、(2)各国の経済政策に対する相互監視が可能になる等の効果が期待される。
    わが国としては、経常収支黒字削減計画を策定し、内需拡大や規制緩和を通じて、黒字を削減し、日本の経済構造改革を行っていく決意を内外に明示し、この実現に向けて努力していくべきである。併せて、米国に対し、財政収支赤字および貿易収支赤字といういわゆる双子の赤字の削減に引き続き努力するよう働きかけていく必要がある。
    これに対し、政策協調を行おうとしても、多くの場合、各国は為替政策よりも国内政策を優先しがちとなるため、為替安定化を目的とした政策協調の効果に限界があるといった指摘もある。

  3. 円の国際化

    基軸通貨国は、経常収支赤字のファイナンスが容易であるため、米国では経済運営上の節度を守らねばならないという自制心が低下し、これがドル不安の主因となっていると言われる。この結果、為替安定化の責務を非基軸通貨国が一方的に負わねばならないという、基軸通貨国とその他の国との間のマクロ政策の非対称性が問題となっている。このように、現在のドルに過度に依存した国際通貨体制は必ずしも安定的といえない。
    こうしたことから、将来、円及び欧州におけるマルクまたはECUが、基軸通貨であるドルを補完していくような3極通貨体制が確立すれば、米国の経済政策に対する牽制効果も働き、国際的な通貨の安定に資することが期待されるとの意見がある〔注9〕
    なお、円の国際化は非居住者の円建て資産保有比率の上昇等を通じ、円需要を増大し、一時的な円高促進要因となる可能性がある。円の国際化の具体的な促進策、速度等については、企画部会で更に検討し、別途報告書をとりまとめる予定である。

  4. 目標相場圏構想等について

    変動相場制度が本来の期待通りに機能していないことから、将来の通貨制度のありかたをめぐり、固定相場制度あるいは金本位制度への復帰、目標相場圏構想など様々な提案がなされている。
    この内、最近活発な議論が行われている目標相場圏構想〔注10〕については、(1)為替の安定化に寄与し、企業の将来の為替動向に対する予見可能性を高める、(2)政策協調の制度化を通じ、米国等の主要先進国に対し、マクロ政策上の節度を課すことが可能となる等の理由から、わが国としても積極的に推進すべきであるとの意見がある。
    これに対し、各国の利害が錯綜している中で、目標相場圏を設定し、それを維持することはEUの例をみても容易でないと思われる。特に、(1)目標とすべき為替相場基準の合意が困難である、(2)各国が自国通貨安定に責任をもつ政策を実行し続ける保証がない、(3)為替相場維持は国内的に大きな犠牲を伴う可能性がある等の問題が指摘されている。
    現在の通貨制度が多くの問題を抱えるなか、既存の制度の機能強化を図りながら、新たな制度を模索していく努力が必要である。ブレトン・ウッズ体制の成立から半世紀を経て、この間、国際経済は、固定相場制度及び変動相場制度についてかなりの経験を積んできた。こうした経験を活かし、21世紀に向け、望ましい通貨制度のあり方についての議論を活発化させていく必要があろう。


〔注1〕

変動相場制度の下では、(1)経常収支の不均衡が為替の調整メカニズムを通じ自動的に調整される、(2)インフレ、金利の変動等海外からの攪乱・政策要因は為替相場の変動によって吸収される、などの理由からマクロ経済政策を国内均衡の追求のみに振り向けることができ、自国の金融・財政政策の自主性が確保されると期待されていた。しかし、現実には、(1)Jカーブ効果、各国間の国際分業の深化等から経常収支の不均衡の是正には長いタイムラグがありなかなか実現しない、(2)為替相場は短期的な乱高下や望ましい為替相場からの乖離という形で予想以上に大きな変動を示し、時に各国経済に深刻な影響を与えた、(3)一国のマクロ経済政策、攪乱が他国に容易に波及している、など変動相場制度はこれまで当初の期待に十分応えられなかった。

〔注2〕

経団連の1995年5月のアンケート調査結果では、日本経済にとって望ましい為替相場が「1ドル=100〜110円」と回答した企業が41%、「1ドル=110〜120円」と回答した企業がが32%であった。なお、1995年5月の実勢為替相場の平均値は、1ドル=85.10円であった。

〔注3〕

日本経済の均衡為替相場(マクロ経済を均衡させるような為替相場)の一つの計算方法として、貿易財の購買力平価が使われることが多い。
購買力平価の基本的考えは、二国間に「一物一価の法則」が成立し、為替相場は財に対する購買力が等しくなるように決定されるというものである。その計算方法は、通常、「相対的購買力平価」(均衡為替相場が実現していると思われる過去の年を基準時点とし、その時点からの二国間の物価水準の変化率を用いて算出)による。「相対的購買力平価」は次のような算定式で求められる。

「相対的購買力平価」
              日本の物価水準/日本の基準年の物価水準
   =基準年の円ドル相場×───────────────────
              米国の物価水準/米国の基準年の物価水準
貿易財の「相対的購買力平価」を、財貨・サービスの輸出デフレーターを用い、1973年第2四半期を基準として計算すれば、1995年第1四半期で1ドル=103円となる。
なお、日本の輸出には円建て契約と外貨建て契約があり、外貨建て契約の部分については円高の進行に比べて輸出価格の引き上げが遅れがちである。この結果、円建てでみた輸出物価全体の上昇速度は遅い。こうした理由から、実際の為替相場は貿易財の購買力平価を若干下回った相場となる必要があるとの指摘がある。

〔注4〕

なお、購買力平価の計算方法については、基準年をいつにするか、基準とする物価指標を何にするか等をめぐり、様々な考え方があり、それぞれ計算結果が大きく異なる(例えば、1973年第2四半期を基年とし卸売物価を基準に1995年第1四半期の購買力平価を計算すると1ドル=154円となる。)。また、購買力平価には、産業構造の変化、製品の品質に対する消費者の嗜好の相違(例えば、日本の消費者は少々高くても日本製品を好む可能性があるため、購買力平価による裁定が貫徹されない)が考慮されていないなどの限界も指摘されている。
こうしたことから、工業の生産性を基準とした均衡為替相場の計算方法も提案されている。例えば、輸出産業の実力を最もよく表していると考えられる機械工業の日米の労働生産性を基準として、1973年を基準に算出した長期均衡相場は、1994年第4四半期で1ドル=112円となる。(出所 三和総合研究所調査部)
また、日本の物価は今後数年間にわたり下落していく可能性が高く、物価上昇率を基準とした購買力平価では、理論値が益々円高となってしまうとの指摘もある。

〔注5〕

1994年度の銀行の対顧客為替取引では、輸出入に係わる貿易取引に伴う取扱高は全体の4%程度であり、資本取引が全体の85%程度を占めている。

〔注6〕

例えば、米国の投機家が円高を見込み円買いを行う場合、損益を確定するため一定期間内に円を売却しドルを買い戻さねばならない。

〔注7〕

経常収支の黒字には、循環的黒字(二国間の景気局面の差異から説明される黒字)と構造的黒字(構造的な貯蓄・投資アンバランスに基づく黒字)があると考えられる。
循環的な黒字は、内需振興等で、輸入を拡大することにより是正が可能である。他方、構造的黒字は、わが国の社会構造や基本的な経済構造に根づいており、その解消には国内投資を活性化し、国内の過剰貯蓄の有効活用を図る必要がある。

〔注8〕

為替相場に影響を及ぼす経済のファンダメンタルズとしては、経常収支、金利水準、物価上昇率等が考えられる。

〔注9〕

複数の通貨がドルを補完していく体制が確立すれば、基軸通貨の利益をめぐり、複数の通貨国間の競争が活発化するなかで、各国の政策に対して一定のチェック機能が作用する可能性がある。つまり、ドルの使用度が低下すれば米国も国際収支の均衡に無関心でいられなくなり、米国の経済、財政政策に対する規律回復への圧力となり、通貨の安定に資すると期待される。

〔注10〕

目標とすべき均衡為替相場を国際的に合意し、実際の為替相場が均衡相場から一定の範囲内で変動するよう各国にマクロ経済運営の義務を負わせるような通貨制度。なお、均衡為替相場は適宜見直しが行われる。


日本語のホームページへ