産業技術委員会 提言「戦略的な産業技術政策の確立に向けて」 補論

産業技術力強化に向けた知的財産政策のあり方


  1. 産業技術力強化のための知的財産政策の必要性
  2. 産業競争力は技術革新によって強化される。特許権をはじめとする知的財産権制度は、基本的に研究開発の成果について排他的権利を付与する仕組みであり、開発者の先行者利得の獲得を確実にすることで技術革新にインセンティブを与えている。
    経済がグローバル化し、ネットワーク等によって世界市場が一体化している現在、知的財産権の取得によってもたらされる先行者利得は巨額となる可能性を秘めているため、知的財産権制度の意義や有用性は一段と増している。そのため、欧米諸国は、自国産業の競争力強化を目的として、知的財産権を強める方向で政策を展開しており、わが国も、特に以下の三点を踏まえつつ、知的財産政策を見直すことが迫られている。

    1. 米国における知的財産権強化の流れ
    2. 米国においては、1980年代以降、競争力強化策の一環として知的財産権を強化する動きが活発化した。
      まず、技術進歩に歩調を合わせ、遺伝子組換えやアルゴリズム等に対しても特許権の保護対象範囲を拡大してきた。特許法の他にも、著作権法改正によるコンピュータ・プログラムに対する保護の導入等の法的対応の先陣を切った。
      また、判例形成を通じても知的財産権は強化された。特許権については、1982年に、連邦巡回控訴裁判所(CAFC:Court of Appeals for the Federal Circuit)が創設され、一定の要件の下で特許クレームの文言を拡張的に解釈する均等論を認める判示を通じて、特許権の保護水準が実質的に強化された。また、トレードシークレット保護も判例の積み重ねおよび経済スパイ法(Economic Espionage Act of 1996)の制定等により次第に強まった。
      さらに、1985年には、大統領産業競争力委員会が発表した報告書(通称ヤングレポート)の中で、産業競争力回復のための知的財産権強化が提言され、これを受け、国外における米国企業の知的財産権保護のために二国間協議や多国間交渉を通じた積極的な働きかけが行われている。
      1990年代に入り、標準化関連技術の独占については、競争政策強化の動きも見られるが、これまでの米国における一連の知的財産権強化の動きは、現在の米国産業復活の一つの要因となっている。わが国が米国の知的財産権強化の流れに適切に対応することが最重要課題である。これを欠けば、既に一部の米国企業が手中にしている標準化関連技術による優位性のみならず、将来に亘っての米国産業の競争上の優位性が決定的なものとなりかねない。わが国としても、産業技術力強化の観点から、望ましい知的財産政策のあり方について検討していく必要がある。

    3. デジタル化・ネットワーク化の急速な進展
    4. 技術革新により、デジタル化・ネットワーク化が急速に進展し、デジタルコンテンツがネットワークを介して国際的に流通する状況では、基本的に有体物の形での国内流通を想定した既存の知的財産権の法的枠組みでは対応できない問題が発生し始めている。あくまで既存の法的枠組みの中で問題に対応しようとすると、旧態依然とした法制度が著作物の産業利用の足枷となる懸念も強く、21世紀に格段の発展が期待されているソフトウェアをはじめとする情報関連産業の成長を阻みかねない。
      新たに生じている問題としては、第一に、一般にマルチメディア時代と言われるように、デジタル技術によって音声・映像・文章・情報等が融合・統合されるようになり、「著作物の種類に応じて別々に権利構成をする」という発想を根本から見直す必要が出てきたことが挙げられる。また、ネットワーク化の進展により、流通媒体毎に支分権を設定することの意義に疑問が生じている。
      第二に、デジタル化・ネットワーク化に伴い、質的に劣化しない複製物が、短期間に大量に拡散する可能性が高まるため、複製権を中核とする著作権の有効性が減衰しているとの指摘がある。このような状況下では、デジタルコンテンツの制作者は違法複製を怖れて、ネットワークに自己のコンテンツを安心して流せず、また、利用者もネットワークから入手したコンテンツが真正なものであるか判断出来ず、安全に利用できない等の問題が生じている。さらに、違法複製を防止する技術等を具備することにより、情報関連機器の価格が上昇する惧れがある。
      第三に、表現が異なれば、同一の機能を果たすプログラムであっても保護を受けられない場合がある等、専ら表現の保護に着目した著作権法では、デジタルコンテンツの一部には、必ずしも十分な保護が与えられない惧れがある。
      第四に、デジタル化された著作物は、その改変・編集が容易であるというメリットを有する。反面、著作者人格権に基づく同一性保持権に抵触する惧れも高まる。
      第五に、ネットワークを通じて著作物の国境を越えた流通可能性が高まったことから、国境を前提とした法的規整が形骸化している。
      これらの問題を解決し、安定的なコンテンツ流通を確保するため、時代の流れに応じた著作権法をはじめとする法制度の変更が不可避となっている。

    5. 国際的枠組み(条約・機関等)の動向
    6. 知的財産権を巡る国際的情勢の変化も著しい。
      米国は、諸外国が米国企業の知的財産権を十分に保護するよう、通商法や関税法による水際規制の強化を背景に、特に途上国等における知的財産権保護強化を積極的に働きかけてきた。GATTウルグアイ・ラウンドでの米国の戦略的な交渉姿勢が、1995年に発効した、知的財産権保護のミニマム・スタンダードを定めるTRIPS協定(Agreement on Trade-related Aspects of Intellectual Property Rights)に結実し、この協定は国際貿易秩序の重要な柱となっている。
      さらに、デジタル化・ネットワーク化等の飛躍的展開に伴って発生した問題等に対応する観点から、WIPO(世界知的所有権機関)、WTO等の国際機関を舞台として、新たな法整備のあり方についての検討が活発に行われている。その中で、例えば、EUは、他国に先駆けてディレクティブを定め、政策論議の方向をリードしようとする等、欧米諸国は自国の産業競争力強化に資するよう、これらの国際交渉の場を積極的に活用している。
      わが国政策当局が、国際的合意形成過程でイニシアティブを発揮しなければ、国益確保は困難な状況にある。

  3. 新しい知的財産政策のあり方
  4. わが国政策当局も、特許法、著作権法等の逐次改正に努めているが、産業競争力強化の観点からは、世界規模での政策潮流、経済社会の変化に対応し、既存の枠組みにとらわれない政策の再構築が求められる。知的財産政策を産業競争力強化の重要な政策手段として活用している諸外国に後れをとらないために求められる政策設計の方向は以下の通りである。

    1. 産業技術力の強化に資する特許政策等
      1. 特許権による保護対象範囲の拡大
        技術進歩に従い、特許による保護の範囲は漸次拡大しているが、今後も、21世紀の望ましい産業構造を先導する事業分野を中心に、特許法による保護対象範囲を新たな技術領域に拡大することを検討すべきである。例えば、ネットワーク上での取引の対象となるプログラムについて、特許法によって既にプログラムを記録した媒体として保護されているソフトウェア発明と同等の保護を与えることの是非について、検討を急ぐことが望まれる。

      2. 特許権に対する保護水準の向上
        米国では、CAFCにおける判決を通じ、事実上特許の保護水準が引き上げられており、彼我の格差により日本企業が不利益を被らないよう、わが国においても必要な検討を進めるべきである。
        なお、市場参入に不可欠であり、当該特許権に基づく「技術の独占」が「市場独占」につながる惧れがある特許権については、競争政策的対応も必要となる場合も想定される。しかし、例えば、技術革新によって市場参入機会が高まる可能性もあり、競争政策の運用にあたっては、潜在的な競争も含め、市場の動態的変化を充分勘案すべきである。

      3. 特許審査期間の短縮等
        諸外国に比べ、長期に亘っている権利取得期間の短縮が望まれており、特許庁による審査期間短縮に向けた取組みを着実に実施すべきである。
        現在、検討されている審査請求期間の短縮が実施されると、請求件数の増加が見込まれるが、指導により出願・審査請求件数を抑制することなく、審査水準の維持や審査期間の短縮を推進すべきである。また、審査請求件数の増加により、出願人の費用負担が一層増大する惧れもあり、米国の制度等を参考に、特許関連諸手続に係る費用を低減すべきである。

      4. 特許権等の保護の実効性確保
        特許権をはじめとする工業所有権訴訟では、権利侵害の事実、損害の因果関係、損害額等を立証するために必要な情報が相手方に偏在しているために、立証が一般に非常に困難であり、損害賠償額についても、米国と比較して著しく低い水準にとどまっている。
        特許権等の保護の実効性を高めるため、侵害行為立証のための文書提出命令の拡充等の証拠収集手続の強化、損害の適正な算定のための計算鑑定人制度導入、侵害者利益の立証容易化のための推定規定の活用等、特許権等の権利救済に資する訴訟手続の整備が急務である。
        併せて、特許侵害訴訟の場合のみならず、営業秘密に関連する訴訟においては、訴訟審理過程で知り得た営業秘密につき、罰則規定の整備も含め、秘密保持義務を課すとともに、一部訴訟審理の非公開を可能とする措置を講じ、営業秘密の保護を図るべきである。

      5. 特許権等の紛争処理機能の充実
        裁判所における知的財産権に係わる紛争処理期間は、一般の民事訴訟に比べ長期に及んでおり、損害賠償額が一般に不十分である等の構造的要因も相俟って、特許権等に関する裁判が国内で行われず、国外での判例形成が先行し、これが国内での保護水準に、事実上、影響を与えているという指摘がある。
        このような傾向に歯止めをかけるため、当面、裁判所での知的財産権専門部の拡充、高い専門性を有する裁判官及び裁判所調査官の育成・増員等に加え、裁判所と特許庁との情報交換制度の整備、人的交流等を急ぎ進めるべきである。将来的には、特許庁の審判における事実審機能を充実させることによる侵害訴訟における審級省略、特許裁判所の設置等をも視野に入れ、特許紛争解決に要する期間の短縮を図る必要がある。

    2. 安定的・効率的な法制度の整備
    3. デジタル化・ネットワーク化が進む中で、これからの高度情報化社会の主要な担い手となる情報産業の健全発展を図るとともに、安定的・効率的な著作物の流通取引を可能にし、広く国民全体による著作物の活用を図るという観点から、デジタル化された著作物について、著作権法による保護のあり方を見直す必要性が高まっている。
      デジタル化された著作物については、新たな制度整備を含め、以下の方向で早急に検討を開始すべきである。

      1. デジタル化された著作物の産業利用を促すためには、競争的・効率的な権利処理機構の整備等も視野に入れ、円滑な流通システムを作り上げることが必要である。例えば、新たな利用形態に対応して報酬請求権を柱とする法的枠組みを検討することも考えられる。

      2. 技術進歩に伴い、新たな問題が発生する都度、権利を新設・付与したり、支分権を細分化していくという対応は、徒に法を複雑にし、法的不安定性をもたらすのみならず、権利者と利用者の利害調整にも時間を要し、産業利用には必ずしも適さない。必要に応じて、行為規制との相互補完的な対応も検討していくべきである。

      3. 新たな法制度においては、ネットワークとその端末である情報関連機器に対して、技術的に過度な義務を課してはならない。また、通信事業者、インターネット接続業者等が、権利者と利用者間の争訟等に不当に巻き込まれることがないよう、法的に配慮すべきである。

      4. 必ずしも産業利用になじまない権利内容については、適切な見直しが求められる。

      5. 国境を越えた流通を前提とした、国際的に調和可能な制度を構築する必要がある。

    4. 国際的ハーモナイゼーションへ向けたイニシアティブの発揮
    5. わが国が知的財産権に関し、国益を実現するためには、以下の方向で、WIPO、WTO等の国際機関の場におけるイニシアティブや国際的な制度への積極的な関与等を強めていく必要がある。

      1. 国際的に見て独自の法制度を持つ国に対してハーモナイゼーションの働きかけが喫緊の課題である。

      2. 技術の国際移転を促進するためには、途上国等での知的財産権保護の仕組みの整備が不可欠である。知的財産権保護が不十分な国に対しては、わが国企業の知的財産権を十分に保護する観点から、引き続き、関連法制の整備、適切な権利設定・執行を積極的に働きかけるとともに、制度設計、人材育成、審査等に関し必要な協力を行うべきである。

      3. 知的財産権の活用は国境を越えて広がっており、属地主義を前提とした法的枠組みは限界に直面している。世界統一的な知的財産法の確立をも視野に入れ、当面、例えば、外国での侵害行為からの救済を円滑に受けられるようにするために、準拠法や裁判管轄の決定の問題等につき、産官学が連携して必要な検討を行い、働きかけを開始すべきである。
        特許に関しては、日米欧三極当局間の連携強化が進められているが、企業による事業の円滑な国際的展開を図るため、三極当局間の審査協力をさらに進め、三極同時特許に向けた取組みを推進すべきである。将来的には世界共通特許の実現が望まれる。

以  上

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