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トップが語る

1%クラブニュース (No.62 2002 秋)

トップが語る
「企業が果たす社会への役割」

高木 茂
Takagi Shigeru
三菱地所(株)社長

─新生「丸ビル」が9月6日にオープンして、東京の表玄関の顔は随分変わりましたね。

昔の「丸ビル」は8階、新しいビルは37階建ですが、低層部分には以前の面影が残っているでしょう。行幸通り側メインロビーには昔の入口の三連アーチを再現し、すりガラスに刻画した江戸風景や古いステンドグラスなども残しています。丸ビルの地下の基礎には、5,000本以上の真っ直ぐで見事な松杭が埋まっていました。オレゴン州から輸入した木材で、8階建のビルを支えるには、それだけの本数が必要だったのでしょう。その松杭1本を、ロビーのガラス張りの床に埋め込みました。日本近代化の歴史を語るビジネスセンターの伝統を受け継ぎながら、新生丸ビルは次の100年に向けて「Open」「Interactive」「Network」をキーワードに、世界へ開かれた新しいビジネスの舞台づくりを目指しています。

─「丸の内カフェ」や「さえずり館」が仲通りにオープンして、丸の内のイメージも随分変わりました。

丸の内カフェのオープンは1998年ですが、あの場所はもと銀行だったところです。いわば代表的な銀行街でしたが金融機関の統廃合が続き、バブル期のような貸し替えが難しくなりました。ちょうどその頃、私は広報担当常務として丸の内の再開発に取り組んでいましたが、「丸の内が変わる」というメッセージを三菱地所から発信しようと、広報部の若手から提案されたのが「丸の内カフェ」です。地価の最も高い場所を無料で開放する企画に、社内の危惧や抵抗もありましたが、丸の内のオアシスとして若いビジネスマンや女性たちが集いマスコミも注目して、丸の内が変わるきっかけになったのです。今、仲通りには多くのブランドショップやカフェレストランも並び、大手町、丸の内、有楽町を結ぶ新しい回遊軸になっています。「さえずり館」のオープンも丸の内が変わる発想のひとつです。「日本野鳥の会」に協力して自然の潤いを都心にもと1999年に開館しました。地域への開放と共に、目の不自由な方々をお招きして皇居東御苑の散策や鳥の観察など、社員やOB・OGもボランティアとして運営を支えています。さえずり館の開館で当社の貢献活動も大きく広がったと思います。

─厳しい経済環境の続く90年代半ばから積極的な社会貢献活動を展開しておられますが、社会貢献活動は企業価値の向上に寄与していますか?

企業として全社的な取り組みを推進する専門部署「社会環境室」の創設は1994年ですが、歴史を振り返ると、関東大震災の時、当時の丸ビルに被災者救護所を設置して炊き出しや配食をしたことが社会貢献の始まりでしょうか。以来、災害救援活動には全社をあげて取り組む訓練を続けています。
三菱地所の基本理念は「住み・働き・憩う人々の立場にたって、安心、安全、快適で魅力あふれるまちづくりを展開し、真に価値ある社会の実現に貢献する」こと。1997年に策定した行動憲章に明示され、「良き企業市民としての行動」では積極的な社会貢献活動を規定しています。重点分野は環境保全、地域社会の活動、社会福祉、芸術・文化支援ですが、企業風土として社会貢献マインドを醸成するために、役職員への研修や支援制度の拡充にも努めています。企業価値を決めるのは人材です。役職員が相手の立場に立つゆとりと思いやりをもって、活動してほしいと思っています。経営層を横断的に集めた「社会貢献委員会」も1998年に設置し、ここ数年は経常利益の2.5%超を社会貢献活動に支出しています。バブル期には冠イベントなどの文化支援活動が主流でしたが、今は社員も参加・協力できる活動や企業の特性を活かす活動を継続したいと考えています。私個人としては、100余年にわたり丸の内ビジネスセンターを経営する企業として、日本の近代化の中で培われた歴史的なビジネス資料などを社会に還元する方策はないか?と考えているのですが…。

─NPOと企業との協働支援についてのお考えは?

NPO活動は今後ますます盛んになると思っています。今年、2つの中間支援組織型NPO法人が丸の内へ移転されるのを支援し、「丸の内NPOプラザ」が始動しています。新生丸ビルには国内外の大学・研究機関がオフィスを構え、7・8階に会議室やホール等も設備されています。インタラクティブゾーンとして学界と産業界の結節点になればと考えていますが、環境問題などNGO・NPOが参画する国際会議などにも活用していただきたいと思います。
広域の丸の内再開発に向けては、東京都や千代田区の計画主旨を踏まえ、大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会で締結した「基本協定」やまちづくり懇談会で合意した「まちづくりガイドライン」に則っていますが、今後各エリアのソフトマネジメントに関しNPO組織と連携することも考えています。

─環境保全への取り組みはどのように?

不動産業は一般的に環境負荷を高める業種だという基本認識を持って取り組んでいます。ビル建設には資源を、運営にはエネルギーを使い、壊すときは産業廃棄物が出ます。資源のリサイクルや省エネルギーなどの環境保全活動は1960年代から実践していますが、先の行動憲章にも「地球環境への配慮」を明言し、「企業活動のすべての領域で地球環境との共生を理念に行動する」ことを定めています。丸ビルの解体では循環できる廃材は悉く再利用し、5,000本もの松杭は、一部を国の研究機関へ再利用研究資材に提供。残りは家具やパルプにして紙や封筒、ファイルなどに悉く還元しています。当社の紙分別再利用の歴史は古く、循環率は97%になるでしょう。

─企業の社会的責任が今後、経営の重要課題になると感じますが、この点に関してのご意見を。

私が入社した当時から、社内では「所期奉公」(事業は社会のためにならねばいけない)、「処事光明」(ことをなすには公明正大に)、「立業貿易」(世界的見地に立った事業活動)、という簡潔明瞭な「三菱三綱領」を絶えず言われ続けてきました。三菱地所の行動憲章は、これを現代風に解りやすく纏めたものです。基本理念にある「真に価値ある社会」には、精神的な豊かさや環境との調和の意味も込められています。全社員がこの行動憲章を地道に実践していけば、自ずと社会的責任が果たせると考えています。今は企業の悪い面ばかりが大きく露出し、社会的信用が問われていますが、一番の基本は「企業は社会の公器だ」という認識でしょう。営利企業ですから利益は上げねばなりませんが、社会に役立つ仕事で上げなければ評価されません。たとえ短期的に利益が落ちても、長期的視点で社会への貢献を行う。社会が健全化していなければ、企業も永続的に利益を上げることはできないのですから。

─高木社長ご自身の社会活動はございますか?皇太子奨学金日本委員会の代表委員と伺いましたが…。

この奨学金は現在の天皇陛下のご成婚を祝い、ハワイの日系人が中心となり、皇太子殿下からの下賜金と寄付金を基金に1960年に創設されたものです。日本側は経団連(当時)が中心となって基金拡充に協力し、1973年にハワイ大学から最初の留学生が来日しました。日米双方の留学生は年間4名、今までの総数は100名余にもなります。年1回の選考委員会で実感するのは、女性たちが非常に活発で優秀なこと。目的意識もはっきりしていますね。
個人的な活動は社長就任以来、時間的制約があって思うようにできませんが、自社の社会貢献行事には時間の許す限り出席を心がけています。土と太陽があって何もしなければバチがあたると始めた、趣味の家庭菜園もしばらくはお預けです。ここ丸の内は日本を代表する東京の中心。今まで築いてきた伝統を受け継ぎ、国際的に評価される都市づくりをすることが、私どもの社会的責任だと考えています。4、5年後の丸の内に期待してく下さい。

(取材・文責 青木孝子)

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