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トップが語る

1%クラブニュース (No.63 2003 春)

トップが語る
「企業が果たす社会への役割」

森下洋一
Yoichi Morishita
松下電器産業(株)会長

─松下幸之助氏が昭和初期に制定された綱領を拝見し、物を見る視点の大きさに感銘を受けました。

創業者松下幸之助氏は一人の経営者としても、希に見る方だったと思います。「企業は利益を上げるだけでなく、社会に役立つ崇高な存在でなければならない」という、創業者の根本的な考えが膨らみ、「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」という綱領に繋がりました。また幸之助氏は、「創業者はいつか世を去るが、事業は永遠。企業は普遍的哲学を機軸に持てば存続し、無ければ続かない。世の中は時代と共に変化し、変化する社会にあって企業はそれぞれ役割がある。時々の経営者がこの変化に対応しつつ、250年ほど事業を繰り返すと完成する」と語っています。松下電器は創業85年位ですから、まだ序の口ですね。

─壮大で崇高なお考えをお持ちだったのですね。

辛苦を重ね、世の中を一番下から広く見渡す力と感性を備えておられました。当社には「根源の社」と呼ぶ小さなスペースが彼方此方にあります。自己の魂と対峙し、人間はどうあるべきかを考え祈る場所でした。宇宙根源の力に思いを馳せ、物事を広く深く多面的に捉える。創業者の哲学が大きく広がり、「企業は社会の公器、即ち社会のためにあり、社会によって支えられ、社会と共に歩むもの」という理念が生まれたのです。あらゆる企業活動の根幹をなす松下電器の経営理念です。

─社会貢献活動に対する基本的な考え方と、実践されている活動をご紹介ください。

企業は事業活動を通じて社会に貢献しなければなりません。社会があって企業は存在する、社会に貢献することは当然と言えます。松下電器には「利益は結果の報酬」という考えがあります。利益が上がらないのは、時代の変化に対応できず社会への貢献が薄くなった証明と言えるでしょう。企業はさまざまなステークホルダーへの貢献の結果として報酬をいただき、その報酬の一部をお返しする。社会貢献活動はここから始まっています。1960年代には社会から受けた報酬を還元する形で、1865年に焼失した浅草雷門と大提灯の再建寄贈や、交通量激しい大阪駅前に歩道橋を建設して大阪市に寄贈するなど、各地域や自治体の依頼・要請を受けて実施していました。
自主的な活動は、1968年の創業50周年記念事業からです。全国の子どもたちを交通事故から守る基金として50周年に因み50億円を、15年分割で全国47都道府県に寄贈しました。基金の用途は各自治体にお任せしましたが、これが最初の大事業でした。1970年の大阪万博ではタイムカプセルを大阪城近くに埋めました。創業者の発想は遠大ユニークで最終開封は5千年後。30年経過した2000年に一度開封点検し、次の点検は百年後の2100年です。この世界に人類が存在する限り、普遍的な企業理念で時代に対応すれば、5千年後も我々は世の中に貢献できるだろうという発想です。松下電器では5千年後にも存続することを願い、将来いかなる組織変更があろうともこの事業は社史室で永遠に引き継ぐことが定められています。

─現在、力を入れておられる活動分野は?

企業市民としての貢献活動には、

  1. 次代を担う人材を育成する「人材育成・教育支援」
  2. 心ゆたかな社会づくりを目指す「芸術文化支援」
  3. 人にやさしい社会に向けた「社会福祉支援」
  4. グローバルな緊急課題「地球環境との共存」
  5. 新しい社会の構築に向けた「市民活動支援」
があります。中でも「人づくり」を目指す人材育成・教育支援は創業以来の基本的な企業姿勢で、世界各国の主要部門に教育支援基金を設け、各地域の実情に応じた活動を実施しています。財団による支援活動の中でも1988年、創業70周年に設立した(財)国際科学技術財団による「日本国際賞」が象徴的な活動です。この賞は科学技術において独創的・飛躍的な成果をあげ、科学技術と人類の進歩に著しく貢献した人に贈呈される賞で、科学技術の動向などを勘案し、毎年2つの分野を受賞対象として指定しています。授賞式は毎年4月、天皇・皇后両陛下ご臨席のもとに開催されますが、財団や賞の名称に「松下」の冠は一切付けておりません。

─世界各国の幅広い貢献活動も、松下本社からの基本方針に基づいて実施されるのでしょうか?

人材育成・教育支援に関してはそれぞれの国や地域によって「パナソニック教育基金」や「松下教育基金」を設け、一貫した姿勢で活動を実践していますが、他分野については各国・地域の特性・ニーズを踏まえたプログラムを展開しています。特に予算枠は設けておりません。各国・事業所の「結果報酬」に対する社会還元が原則ですから自ずと金額は決まります。現在中国には40以上の工場があり、進出先の市や州との繋がりや社会状況によって、違いがあります。工場進出数が多く、今後の発展が期待されるアジア地域では、21世紀をリードする人材の育成と、日本とアジアの相互理解・友好親善を推進するために「パナソニックスカラシップ」制度を1998年に設立しました。アジアから日本の理工系大学院修士課程に留学を志す私費留学生に奨学金を支給する制度です。

─財団新設による人材育成支援活動ですか?

社内に「パナソニックスカラシップ社」という専門組織を設けての活動で、私が社長時代、創立80周年記念事業としてスタートしました。奨学生の募集は各国にある海外会社が主体となり、現地の教育機関や大学と連携しながら募集・選考します。奨学金は月額20万円で年間20〜30名、5年間で160名近くの優秀な若者たちがこの制度を活用しました。当初、5年間の期限付き事業でしたが、あまりにも評判が良く5年間の延長を決めました。国内の記念事業では老朽化した社員研修施設を取り壊し、グローバル研修棟を建設して国際的な研修等に活用しています。

─NGO/NPOとの協働プログラム推進や支援にも積極的ですが、取り組みの契機や時期は?

NGOやNPOとの協働プログラムや支援活動は松下を退職したOB社員のボランティア活動を支援することから、ごく自然に始まりました。創業者の培った企業風土の中で巣立ったOB社員たちは、華々しい活動より地道な草の根的ボランティア活動を海外や国内で実践している人が多いのです。「小さな草の根活動をしているが、支援してもらえないか?」という要望が多く、ボランティア活動や市民活動への支援制度が5年ほど前から本格的に始まりました。人々の意識や価値観、企業のあり方が大きく変化していく中で、NPOや市民団体と協働しつつ、新しい市民社会を構築する活動は大変重要だと考えています。まだ途についたばかりで、現在は子どもたちの教育や環境分野を中心に、NPOの基盤強化に向けた支援活動を行っています。最近は社会変化のテンポが速く、NGO/NPOがどう育っていくか、5年単位くらいで見守っていかねばならないと思っています。

─最後に森下会長ご自身でされている社会的活動がございましたらご紹介ください。

私の住まいは大阪ですが、仕事柄、東京在住が多く、地域社会での活動は物理的に難しいのが現実です。地域社会の一員としてのボランティア活動は、若い頃から家内が大変熱心で、さまざまな活動をしていたようです。子どもたちもボーイスカウトに入って、活発に活動しておりましたので、野外教育活動などにも熱心でした。家の中では家内が地域でのボランティア活動を実践し、私がそれらの活動への金銭的支援を担当するという、役割分担が今も続いています。私自身の地域活動はまだ無理ですが、自分の住まう地域の氏神様を敬い寄進する活動はずっと続け、新年には孫たちも一緒に氏神様に詣でます。これからは地域社会における活動やボランティア活動等に、もう少し時間を作る余裕を持ちたいですね。

(取材・文責 青木孝子)

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