PDFファイル版はこちら | 1999年 3月 5日発行 |
企業人政治フォーラムでは、去る2月23日の夕方から24日の早朝にかけて、経団連ゲストハウスにおいて、昨年のいわゆる金融国会(第143臨時国会)で金融再生関連法案の与野党協議の取りまとめに活躍し、政策新人類と称された自民党の石原伸晃衆議院議員、塩崎恭久参議院議員を招いて、ゲストハウスフォーラムを開催した。企業側からは、役員、部課長クラスを中心に、約40人が出席した。初日は、第一部の全体会合、第二部の分科会、さらに深夜にいたるフリーディスカッション、そして、翌日は、早朝から、朝食懇談会を実施した。以下に、その一部を紹介する。
先日、生まれて初めて舞台に出演し、幕末をテーマにした劇を演じた。その時、現在と幕末の状況は非常に良く似ていると改めて実感した。1つは、それまで比較的うまく機能してきた社会システムが、時代の変化、特に外圧により、大幅な変更を迫られるという点、さらに、改革といっても、何をどう変えればいいか、誰もよくわかっていないという点だ。
ただ、幕末の時の外圧は、黒船や大砲という形で目に見えるものであり、日本人は庶民にいたるまで危機感を持っていた。しかし、現在の外圧は、目に見えず、国民レベルでは、危機感が欠如している。例えば、金融ビッグバンにしても、郵便貯金という国が保障する預金もあるし、銀行が潰れそうになっても、国が資本注入するので何とかなるだろう、という国民の経済に対する甘い認識がある。この危機感の有無が大きな違いである。
現在、自民党と民主党が与野党に分かれて対立しているが、両党の政策的な違いはあまりない。その意味では、どちらが政権をとるかはあまり重要な問題ではないが、しかし、大事なことは、同じ政策でも、手法が違えば、違う結果が出るということだ。したがって、国民が政治に参加し、投票することの重要性をもう少し再認識する必要がある。投票する気が起きないのは、半分は政治の責任であり、半分は国民の責任である。
福沢諭吉は、「一身独立して、一国独立」、「独立の気力なきものは、国を思うこと深切ならず」と学問のすすめの中で書いているが、国民一人ひとりが社会の構成員だという責任を自覚し、独立の気概を持たなければ、この日本の今の危機は乗り越えられない。
かつて、自民党の安定政権時代、タイの政治が連立でくっついたり離れたりしているのを見て、彼らは一体何をやっているんだと思っていた。しかし、実は、今の日本はそれと同じことをやっている。例えば、自自連立政権を作るときに、確かに政策協議はやったが、一緒になることは初めから決まっていた。たとえれば、お見合いで一緒になることは決まっている二人が持参金の相談をしていたようなものだ。日本もタイと同様、外国からみると、非常にわかりづらいことをしている。
我々が目指す改革は何かといえば、政治家が自立するということだ。今まで、日本では、三権分立がうまく機能しているとはいえなかった。そういう意味で、政治家が自ら考える力と情報を持っていないことが最大の問題だ。それらがないと、結局は、情報も政策も官僚に頼ることになる。そういう意味で、政治家を育てることが改革の第一だ。今度、政府委員制度を廃止することになったが、政治に競争原理を働かせる意味で、大賛成だ。
一方で、官僚には国家的見地を持って、がんばってもらわなければならないし、司法についても、これから司法制度改革に取り組むが、その重要性はますます高まる。
さらに、ガバナンスの仕組みとして必要なのは、チェック・アンド・バランスの仕組みを作ることだ。例えば、為替の介入政策は大蔵省が権限を握っており、日銀にその決定権はない。しかし、どんなに優秀でも、間違いをおこす可能性はあるのであり、その意味で、チェック・アンド・バランスの仕組みを作ることが非常に大切だ。