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企業人政治フォーラム速報 No.64

PDFファイル版はこちら 1999年12月 7日発行

「今後の政局について」
/鈴木宗男 衆議院議員
(11月 2日政経懇談会)

11月2日に開催された政経懇談会では、自民党の鈴木宗男衆議院議員(前内閣官房副長官)を招き、自自公連立政権発足後の政局や、総選挙への取り組み等について聞くとともに、懇談した。

【小渕第二次改造内閣発足にあたって】

政界では、何か混乱が起こったような場合には、「田中角栄が生きていたなら」とか、「中川一郎、渡辺美智雄、あるいは田中六助がいれば」といったことが言われる。今の政治家には、こういった形で名前が出るような、個人としてのポリシーを持っていたり、明確な意思表示をする政治家は少なくなり、個性のない政治家が多くなったと思う。これも、国民に政治不信を抱かせたり、国民から政治を遠ざけている要因の一つなのかもしれない。我々政治家がもっとしっかりしなくてはならないと思う。言うべきことは言いながら、国民に対する約束を守っていくのだということを明確にしないと、自民党政権はいつまでも続くものではないという危機感を持っている。
私は、現在の小渕政権を見ていて、ほっとしていることが一つある。昨年の7月30日に小渕内閣が発足した際には、「3日もつか、よくて1ヶ月か」、あるいは「3ヶ月くらいか」というふうに言われていた。支持率も、一番低いところで18%、良いところで20%であった。逆に、不支持率では、一番悪いところで57%もあり、支持と不支持には3倍ぐらいの差があった。しかし、先月の大幅改造による新しい内閣の発足の際には、高いところでは支持率が53%、不支持立は悪いところでも27%と、スタート時とはまったくの逆転現象となった。この点で、「良い形」で新しい内閣に官邸をバトンタッチすることができたというのは無上の喜びであると思っている。野中前官房長官も再三の留任要請を断り、官邸を辞したわけであるが、退任の際には、「1年前の小渕さんとは違う。日本の宰相としての堂々たる風格が出てきた。もう独り立ちはできているし、我々がそばにいてとやかく言うべきものではない。自信を持ってやってくれればいいのだ。この支持率を見ただけでも、安心して官邸を辞すことができる。」というようなことを言った。私もこれを非常に印象深く聞いた。

【官房長官の役割】

野中前官房長官という方は、万般に配慮が行き渡った方である。私は、これは野中氏の「生き方」によるものだと思う。野中氏は町議会議員からスタートし、町長から府議会議員、そして副知事、その後58才で国会に出てこられて、最初の大臣経験が自治大臣という、地方議員出身者としては最高のコースを歩んでこられた方である。同時に、「下」からの「叩き上げ」であるので、各界、各層の気持ちがわかるという背景を持ち合わせているという意味でも名官房長官であり、非常に大きな役割を果たされたと思う。特に、小渕内閣は低支持率からのスタートであり、そういった意味でもタイムリーな方であり、野中氏のはっきりとした発言は、国民にもわかりやすかったのではないだろうか。
青木氏が官房長官に就任し、マスコミなどでは、「野中流」、「青木流」という手法の違い、つまり、野中氏は「積極型」、言ってみれば「攻撃型」であり、一方で青木氏は「受け身」、「守りのスタイル」であるといったように評されている。私は、小渕内閣のスタートが厳しかったという点で、野中流のやり方がわかりやすくてよかったと思うし、逆に、現在、これだけの支持を集め、安定感を持っている内閣においては、青木流の「守り」のやり方、あるいは「受け身」の姿勢というものが必要なのではないかと思う。官房長官というものは、その政治家のタイプによって違ってくるものであるし、状況によってそれぞれの対処の方法が異なってきてもよいのではないだろうか。そういった意味では、二人は好対照である。今後、青木官房長官の「持ち味」というものも出てくるであろ。新内閣のスローガンとして、「経済新生」を打ち出しており、近いうちに独自のカラーが出てくるのではないかという期待を持っている。

【小渕総理の素顔】

小渕総理が初めて大臣となったのは、大平内閣においてのことであって、昭和38年初当選組の中では一番最後であった。昭和38年初当選組というのは、渡辺美智雄、中川一郎、田中六助、藤尾正行、奥野誠亮、三原朝雄、西岡武夫となかなか多士済々な面々である。この中で、一番最初に、奥野氏が当選3回で、佐藤内閣において文部大臣に就任した。その後、三原氏が当選4回で、田中内閣において防衛庁長官を務めた。続いて、福田内閣において渡辺氏が厚生大臣を務めた。その次には、福田改造内閣において、中川氏が農水大臣に就任した。このような中で、小渕総理は、同期当選の中では、初入閣が一番遅かったにもかかわらず、現在、内閣総理大臣を務めているというのも面白い巡り合わせである。小渕総理は、選挙においては、福田氏や中曽根氏の間で鍛えられ、我慢強さや胆力といった点では並外れたものを持っていると思う。
また、小渕総理についてはよく電話をするということが言われているが、確かにすごい。ある時、野中前官房長官が「総理になる前というのは、いろいろな人に電話をするというのも良いが、総理になってからは、いろいろ言われることもあるので、電話についても考えられた方が良いのではないか。」と言ったことがあったが、その時に、小渕総理は「私は、この電話で福田氏と中曽根氏と伍してきたのだ。今、この電話を止めるとなると、『小渕』というものがなくなってしまうのだ。」と言い、それに対しては野中前官房長官も「よくわかりました。ここは総理におまかせします。」と笑ったことがあった。

【総選挙へ向けた取り組み】

私は、現在、党総務局長として、選挙の事務的な「裏方」を務めている。現政権は、自由党、公明党との連立政権であるので、当然、選挙協力についても考えなくてはならない。選挙協力については、時間をかけても解決するとは思わない。むしろ、きちんとした「決断」を下すしかないと考えている。
衆議院については、今回は定数が20議席削減され、480議席となり、241議席が過半数となる。前回、平成8年に、定数が500議席の時には、自民党は239議席を獲得し、その後、新進党等から復党した議員等を含めて、現在は265議席となっている。昨年の参院選挙や今年の統一地方選挙などの過去のデータを見ながら考えると、私は、自民党が獲得するのは、全480議席のうち、215〜220議席程度ではないかと予想している。これは、比例区で定数が20議席削減されること、さらに自由党、公明党との選挙協力を考慮したものである。何も弱気で言っているのではなくて、確実なところから押えていくという意味で、このあたりが無難ではないかということである。
参議院では、今後3回程度の選挙を経ないかぎり自民党が過半数に近づくことができない。たとえ衆議院で自民党が圧倒的過半数を占めたとしても、政権、政局の安定を考えた場合には連立に頼らざるを得ない。したがって、私は、自由党、公明党の意向というものも勘案しながら、「譲るものは、譲りながら」、自民党としても「最低限これだけは守るのだ」という確固たる視点のもとで、選挙というものを考えていかなくてはならないと思っている。
衆議院では、解散する以上は、1議席であっても負けた場合には、「負けは負け」ということで、政権は崩れてしまう。一方参議院では、選挙で負けて政権を辞したケースは、昨年の橋本政権が初めてであった。従来は、参議院の選挙は任期満了に伴う選挙であるから、参議院選挙で負けた場合にも、総理の責任は問われなかった。衆議院の場合には、解散というカードを使ったならば、待ったなしで責任問題を問われることになる。しかし、私は1、2年に一度、日本の総理大臣が代るのは情けない話であると思う。したがって、小渕総理には少なくとも4年、できるならば5年程度のスパンで務めていただき、日本を、世界の中でより名誉のある地位に持っていってもらいたいと考えている。それに対しては、選挙というのが最大の関門であり、最高の努力をしていきたい。

[鈴木宗男 衆議院議員プロフィール]

すずき・むねお
1948年北海道生まれ。拓殖大学政経学部卒業。大学在学中より故中川一郎衆議院議員の秘書を務め、1983年衆議院議員初当選以来、当選5回。第2次橋本改造内閣では、北海道・沖縄開発庁長官を務め、先月の内閣改造まで、2期連続で内閣官房副長官として小渕内閣を支えた。


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