経団連会館

経団連会館の沿革


【わが国経済界の本拠の建設を】

1950年代、わが国経済が目覚しい成長を遂げ、国際的地位も高まってくると、経団連の活動も広範にわたり一層活発化していきました。
特に貿易自由化を前にして海外諸国との経済交流が活発化し、外国要人の来訪が頻繁となるに及んで、「わが国経済界の本拠となるべき施設を建設するべきである」との機運が高まってきました。
このような情勢の下、1960年8月、石坂会長(経団連第2代会長・当時)が『経団連会館』の建設を首唱したのが発端となり、同年10月25日の第178回理事会で会館の建設が正式決定されました。
この決定に基づき、直ちに「経団連会館建設準備委員会」が組織され、同年11月、建設候補地として現在地である千代田区大手町の元大蔵省印刷局跡の国有地が選定され、翌61年1月9日、大蔵省に払下げを申請、公益性が認められ63年2月20日に払下げが決まり、会館建設の具体的な計画に着手しました。

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【建設業界が総力を結集】

『日刊建設通信』(昭和41年11月16日) 経団連会館は、1964年6月20日に着工し、2年余を費やして、経団連の創立20周年に当たる66年10月末に竣工しました。
地下5階、地上18階、延床面積43,500m2という規模は、当時としては例の無い大変な規模の高層建築であり、また「構造的には耐震診断が必要ないほど保有体力にゆとりを持たせた」安全な設計がなされ、当時の『日刊建設通信』(昭和41年11月16日)は、「建設業界の総力が結集された」「財界の殿堂にふさわしい」威容を誇る建物だと伝えています。前面に池と噴水を置き、敷地内で自動車を回せる設計は、その後の高層建築の先駆けとなる非常に先進的な計画でした。


「アルミキャスト・カーテンウォール」 また、現在も経団連会館の外装のトレードマークとなっているアーチ状の庇をもつファッサード「アルミキャスト・カーテンウォール」も、当時最先端の技術を導入したものであり、この面でも経団連会館は「時代を画した」建物だと高く評価されました。
66年11月9日には、新装なった本会館で盛大な竣工式が挙行され、政財界要人や在日各国大公使等を招いて会館披露パーティが開催されました。ここに、わが国における国際会議場の草分けとも言える経団連会館が誕生しました。


【わが国経済界の顔となった経団連会館】

わが国経済の発展とともに、経団連の名前と活動は国際的にも世界に大きく認知されるようになり、各国の要人の来訪はますます頻繁になってきています。
今日では、“KEIDANREN”とその会館は、わが国経済界の顔として世界に広く知られています。


ベルカ(BELCA)賞

【ベルカ(BELCA)賞を受賞】

時代は移り変わり、経団連会館も歴史を積み重ねてきました。竣工から32年を経た1997年5月16日、経団連会館は、その内部環境が特に優秀であり、長年にわたり適切な維持・保全が実施されていることが認められ、96年度BELCA賞(建築・設備維持保全推進協会賞)のLLB(ロング・ライフ・ビルディング)部門賞を受賞しました。


【多様なニーズにお応えする経団連会館】

現在も経団連会館は、国内外の最も代表的な会議施設として、経団連会員はじめ多くのお客様に、国際会議、学術会議、講演会、周年記念、午餐会、懇親会など、様々な会合や宴席にご利用いただいています。
これからも経団連会館は、お客様の多様な催事・会合のニーズにお応えする快適かつ利便性に富む施設・設備環境を提供できるよう努力を続け、皆様とともに歩んでいきたいと思います。



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