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「これからの世界経済と日本の課題」

−内外情勢調査会における奥田会長講演−

2006年1月18日(水)
於 赤坂プリンスホテル 五色の間

1.はじめに − 年頭所感

ただいまご紹介いただきました、日本経団連会長の奥田でございます。本日は、このように多くの方々の前でお話しする機会をいただき、大変光栄に存じております。
さて、新しい年が明けてから、すでに20日近くが経ちました。皆様方は、新年をどのような思いで迎えられたでしょうか。私は、明るい展望を期待しつつ、新しい年を迎えることができました。それは、昨年は景気の回復基調が続き、個人消費や設備投資の増加が見られるとともに、日経平均株価も、ここ2、3日は少し下がっていますが、16,000円台と、昨年一年間で40%超も上昇して終えるなど、日本経済にようやく明るさが戻ってきたことを実感できたからであります。ただ、年末から、特に日本海側を中心に大雪が続き、各地で雪害が発生していることは気がかりであります。被害者の方々には、心からお見舞い申しあげる次第であります。
さて、このように、日本経済に曙光が見えてきた背景には、小泉政権が進めてきた構造改革と民間企業による経営革新努力とが、あいまって進んできたということが挙げられるものと存じます。小泉改革は、小さな政府を目指して「官から民へ」という流れをつくってきたという点で、大変重要な役割を果たしてきたわけでありますが、改革は未だ途上にあり、課題も数多く残されているのが現実であります。
私自身も、日本経団連会長に就任した時、改革の道筋をつけるために「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題するビジョンを発表し、民間の立場から改革の断行を訴えてまいりました。消費税率の引き上げを含む税・財政の抜本改革や社会保障制度の一体的改革、アジア諸国との経済連携推進や外国人労働者の受け入れ、さらには政治と経済との関係強化など、その後の動きを見れば、数年前に指摘した問題がようやく出てきた感があり、われわれの提言は決して的をはずしていなかったと思いますが、完全に実現したとは言いがたい状況であります。
その一方、最近特に懸念していることは、景気回復が続いている中で、日本人が早くもあのバブルの反省を忘れ、心の豊かさや優しさよりもカネやモノを重視し、これに執着する考え方が出てきているのではないか、ということであります。最近の幼児・児童の連れ去り、殺傷事件や、企業をめぐる一連の不祥事や事故など、様々な問題や事件も、一見、何の関連もなさそうに思えますが、複雑系的な考え方から見れば、日本人の心の変化という深いところでつながっているのではないかと私は考えております。われわれはここでもう一度、日本のあり方、さらには日本人のあり方について、根本から問いただす必要があるのではないでしょうか。
現在、われわれの経済社会をとりまいているグローバル化や、ICT(情報技術)高度化の波は、非常に大きく、速いものがあります。また、いわゆるBRICs諸国など、非常に多くの人口を持つ国が世界の政治、経済の舞台に本格的に躍り出てきております。こうした中で、日本はようやく、失われた10年、あるいは20年という、長き低迷、混迷から抜け出ようとしておりますが、抜け出たことだけに安心するのではなく、世界の新しい潮流を的確にとらえ、それに十分に対応できるよう、しっかりと準備をしておく必要があると思います。
日本が長きにわたって低迷、混迷してしまったのは、ある意味で、世界の変化に日本の経済社会の仕組みや慣習がついていけなかったためであります。今日の日本の状況をしっかりと見極め、これからの新しい世界で生き抜いていくための方法を自ら探り出すことが必要であります。
本日、お話しするテーマを「これからの世界経済と日本の課題」といたしましたのは、こうした問題意識に立ってのことであります。

2.日本および世界の経済状況

それでは最初に、現在の日本経済ならびに世界経済の状況について、お話しいたします。

(1) 日本経済の現状

日本経済は、昨年半ばから「踊り場」を脱して、再び緩やかな回復軌道に乗ってまいりました。とりわけ企業収益が堅調であり、設備投資も増加を続けております。
こうした企業部門の好調さは、家計部門にも恩恵をもたらし、雇用や所得の改善を背景として、個人消費は緩やかに回復しております。年始のテレビニュースなどで、デパートの「初売り」で福袋を求めて列をなしたり、売り場に殺到したりする人々の姿が多く見られましたが、これも、個人消費が回復していることを示すものだと思います。同時に、住宅投資も堅調であります。
また外需では、一時は伸び悩んでおりました輸出も、中国をはじめとするアジア向けを中心に持ち直してきております。世界的なIT在庫調整の進展などを受けて、米国向け輸出も回復基調にあります。鉱工業生産も、一般機械、輸送機械、電子デバイス部品などを牽引役として、緩やかに増加しております。

(2) 今後の経済見通し

こうした中で、景気の回復基調は本年も続き、2006年度の経済成長率は、実質で2%程度になるものと見ております。
景気回復が続くと見込まれる背景には、まず、企業による投資意欲の根強さがございます。現在、日銀による量的緩和政策解除への関心が高まっておりますが、仮に解除されたとしても、それが直ちに金利の上昇を招くわけではございません。企業の手元キャッシュフローが比較的潤沢であることを考えましても、金融政策の変更が設備投資に及ぼす影響は小さいのではないかと考えております。むしろ、日本企業の中には、より技術集約的で高性能な製品を開発・製造して、海外との競争に打ち勝つために、あらためて国内での投資を拡大する動きも最近は見られます。
個人消費につきましては、定率減税の半減や社会保障費負担の増大など、マイナス材料はありますが、雇用情勢の改善に加えて、活況な株式市場と企業配当の増加などもあって、今後も堅調に推移すると予想されます。
さらに、米国や中国、また新興国を中心として、世界経済も順調に拡大を続けると見られます。世界銀行の見通しによれば、2006年の実質経済成長率は世界全体で3.2%と、昨年並みの伸びが見込まれております。こうした中で、日本から世界への輸出も底堅く推移するものと考えております。

(3) リスク要因

ただし、リスク要因もいくつか考えられます。今、申しあげた経済の見通しは、世界経済が順調に推移することが前提ですが、例えば、日本にとって大きな輸出先である米国や中国などの成長が減速するようなシナリオになれば、当然リスク要因と考えられます。また、原油をはじめとする資源価格が上昇傾向にあることなども、懸念材料として挙げられます。
さらに、米国で進められてきている金融引き締めが、実体経済や国際的な資金フローにどのような影響を及ぼすのか、注視していく必要があります。米国では今月末、FRBのグリーンスパン議長が任期満了で退任され、バーナンキ氏が後任に就かれます。バーナンキ氏が今後、どのような手腕を発揮されるのか、われわれとしては大いに注目しているところであります。
一方、為替市場では、米国の双子の赤字や利上げ打ち止め観測から、今後は若干、円高ドル安に向かうとの見方も浮上しております。各企業とも1ドル110円程度と予測しているようですが、企業の予測を大幅に上回る円高となれば、輸出企業を中心に、企業収益への影響も予想されるところであります。
資産価格の問題も忘れてはなりません。日経平均株価の上昇など、日本では資産価格の上昇傾向が顕著になっております。すでに一部、マスコミなどがこれを受けて、「バブルの再来」と煽っているように見受けられますが、実際のところ、経済の実力以上に資産価格が高騰した、1980年代後半のバブルのような状況につながらないかと懸念しているところであります。同時に、いわゆるデイトレーダーが増えて、マネーゲーム的になるとすれば極めて問題であります。今日、「格差社会の到来」が言われておりますが、こうした株取引に容易に参加できる者とできない者との格差が生じることになれば、さらに大きな問題となる恐れがございます。
世界経済への潜在的なリスク要因として、もう一つ、感染症の拡大も忘れてはなりません。今年の冬は、新型インフルエンザの大流行が心配されており、最悪の場合、日本でも16万人以上の死者が出るとの予測もあります。グローバリゼーションの進展とともに、エイズや西ナイル熱、BSEなどの感染症も拡大しており、日本としても、十分な感染症対策をとりつつ、国際社会に対しても相応の貢献を行うべきと考えております。
世界的な貧富の差の拡大も、潜在的なリスク要因と考えられます。国際競争の中で豊かになる人が増える一方で、競争に負けて富を失う人も増え、所得水準の格差が拡大する傾向が指摘されています。国際的なテロ活動も、こうした格差の拡大、特に貧困から発するものだと認識されております。
以上のようにリスク要因は多々ありますが、これらが悪い方向に動かなければ、先ほど申しあげたように、日本経済は2%程度の実質成長を達成できるものと考えております。

3.日本経団連3年間の取り組みと成果

次に、日本経団連の会長として、私が2002年5月からこれまでの間に取り組んできたことについて、お話ししたいと思います。

(1) 「新ビジョン」の策定

私が日本経団連の初代会長に就任して、まず取り組んだことが、冒頭でご紹介した「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題する「新ビジョン」の策定でございました。
当時の日本は、小泉改革がすでに始まっていたとは言え、「崩壊の危機に瀕した森」と言える厳しい状況にありました。企業は人員と設備、債務の「3つの過剰」にあえぎ、政府は「構造改革なくして景気回復なし」とうたいながらも、なかなか改革を具体的に進めることができず、国民は将来に明るい展望を抱くことができないまま、徒労感と閉塞感とが日本全体を覆っていた時期でありました。
この「崩壊の危機に瀕した森」である日本を再生させ、外国人にも「行ってみたい、住んでみたい、働いてみたい、投資してみたい」と思えるような「活力と魅力溢れる日本」とするために、個人・企業による「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」、そしてそれを支える「共感と信頼」を基本理念として策定したのが「新ビジョン」でありました。

(2) タブーへの挑戦

「新ビジョン」の中で私は、これまで正面から取り組むことがタブー視されてきた問題であっても、これからの日本の発展のために必要となるものについては、積極的に提案しようと考えました。例えば、増大する社会保障関連費をまかなうためにも、歳出の徹底した削減を前提に消費税率を段階的に引き上げて、最終的には18%にすべきだと提言いたしました。これはかなり大胆な提言であったと思いますが、発表当時はさほど反響を呼ばず、消費税という身近な問題に対して国民の関心が高まらなかったことを残念に感じました。
これに加えて、東アジア自由経済圏の創設や外国人労働者の受け入れ、豊かな心を育むコミュニティづくりなど都市・居住環境の改善、さらには終末期医療にも絡む尊厳死の問題、そして企業による政治寄付の促進なども「新ビジョン」の中で提案いたしました。
その後も日本経団連では、日本の再活性化に資する、あるいはこれからの日本の進むべき方向を示すといった観点から、従来経済界としては発言してこなかった問題や、タブー視されていた問題についても、積極的に意見を取りまとめ、発表してまいりました。憲法改正を含む国の基本問題に関する提言や武器輸出三原則の見直し提言などは、まさにこの一環であります。

(3) 小泉構造改革支援と民間の努力による日本経済の活性化

こうした日本経団連の動きは、小泉構造改革と目指す方向を同じくするものでありました。日本経団連が小泉内閣を、発足以来、一貫して支援しているのには、そうした背景があるからでございます。
同時に、国民も小泉構造改革が目指す「小さな政府」を支持し、改革に大きな期待を抱いていると考えます。昨年9月の衆議院議員選挙で小泉自民党が歴史的な勝利をおさめたのは、これを端的に示した結果であると思います。経済界といたしましては、小泉内閣が郵政民営化を突破口として、その他の重要な構造改革の課題にさらにスピード感を持って取り組み、具体的な成果をあげることを期待しております。
また、政治に対して重要政策課題の実現を促すため、日本経団連は一昨年より、独自で策定した「優先政策事項」に基づいて、自民・民主両党の政策ならびにその取り組み状況に関する評価を行い、その結果を公表しております。これに基づいて各企業が、政治と透明な関係を築きながら社会貢献の一環として自主的に政治寄付を行うことになるわけでありますが、日本経団連としては、この仕組みをますます強化していきたいと考えております。これによって、主要政党が公的助成への過度な依存を脱し、民間が主体となって支える健全な政党政治が実現されることが期待されます。日本経団連は、個人や企業による自発的な政治寄付の促進を、引き続き呼びかけていく所存であります。

4.基本的課題

こうした中で、われわれが現在直面している基本的課題を主要な3点にしぼってお話ししたいと思います。

(1) 民間活力による持続的かつ本格的な景気回復

第1の課題は、日本の景気回復を、民間の活力によって持続的かつ本格的なものにしていくことであります。最近、企業経営者の目には、きらきらと光るものが感じられるようになってきました。しかし、慢心、油断は禁物であります。バブル期の反省を踏まえながら、企業組織の隅々にまで目を配り、強く正しい姿勢で経営にあたることが求められています。今こそ経済人は、民の力で自律的かつ持続的な成長を確かなものとし、日本経済のさらなる発展をリードする気概を持つべきであると考えます。
企業の取り組みは、当初、不採算部門の縮小や整理、人員のスリム化などによる効率化、財務体質の改善・強化といった「守りのリストラ」が中心でありました。しかし、その局面はすでに終わり、「攻めの経営戦略」に力点を置く企業が増えております。将来に向けて新たな収益源となる新しい商品、新しいサービス、新しいビジネスを生み出していく、あるいは国内外に新しい市場を開拓していくといったことが、「攻めの経営戦略」であります。政府による研究開発促進税制の拡充もあり、例えば電機メーカーなどは、赤字の中でも歯を食いしばって巨額の研究開発投資を続け、それが今日のDVDレコーダや薄型テレビ、あるいはデジタルカメラといったヒット商品の誕生につながりました。しかし、価格面では、新製品の投入後、そう時をおかずして値崩れが生じてくるため、技術開発とともに、流通面を含めたビジネスモデルの再構築が必要になっていると考えられます。
活力と魅力溢れる日本をつくりあげるためには、企業の活力、創意工夫を引き出すとともに、心豊かで個性ある人材を育成し、その多様な力を活かして、新産業・新事業を創出することも不可欠であります。そうした意味では、「ジャパン・クール」として海外からも高い評価を受けているアニメなど、エンターテインメント・コンテンツ産業のさらなる競争力向上や、新たなコミュニティづくり、防犯・防災や、景観保全などの観点も踏まえた新たな都市・住宅関連産業の育成なども重要になっております。
他方、行政に対しましては、民間活力の源泉である企業が、その能力を最大限に発揮できるよう、法律・制度の見直しを含めた環境整備を急いでほしいと思っております。特に、規制すべきことはきちんと規制し、必要のない規制は思い切って撤廃するといった抜本的な規制改革が、民間の新たな知恵を引き出し、新たなビジネスを創出するということを強く訴えていきたいと思います。また、2002年に公表された国立社会保障・人口問題研究所の低位推計によりますと、2026年には、65歳以上の高齢者が人口全体に占める割合が約3割となり、高齢者1人をたった2人の現役世代で支えなければならなくなります。このようにわが国は、世界でも類を見ない超高齢社会・人口減少社会に今まさに、足を踏み入れようとしております。そうした中にあっても、全ての国民が安心して生活し、働けるような、様々な改革に取り組むことが期待されるところであります。

(2) 国際競争力の強化と国際ビジネス環境の改善

第2の課題として強調したいのは、国際競争力の強化とそれを活かすための国際ビジネス環境の改善であります。BRICsや東南アジア諸国、さらには中東欧諸国の急速な台頭に伴い、わが国企業は、好むと好まざるとにかかわらず、加速するグローバル経済の中でいかに勝ち抜いていくかを考えなければなりません。国としての新たな成長戦略を描き、将来にわたり国を支える産業の創出、育成が求められております。
先日、海外プレスから取材を受けた際に、「中国と米国の狭間で、日本はどのように生き残っていくのか」という質問があり、これに対して私は、「『科学技術創造立国』が唯一の方法」と申しあげ、「しかし、どの国も技術革新に取り組んでいるので、生半可なことでは生き残れない」と答えました。中国、インドなどは、10億人の人口規模を有する国であります。技術開発に取り組むことのできる優秀な人材は、わが国の10倍以上もいることになります。1億の人口の国の目線で10億単位の人口の国を見ると、物事の判断を誤るということを、われわれの中国事業における経験からも、この際、認識しておく必要があると思います。
これまでの日本の状況は、世界に比べて1周後れ、あるいは2周後れと言われてまいりました。この後れを取り戻し、世界との競争に打ちかって生き残るためには、国、地方、官民をあげて、懸命に「科学技術創造立国」の実現に力を尽くす必要があります。20世紀には、飛行機で世界中を短期間に旅行し、携帯電話で世界の様々なところにいる人とも直接話をすることができ、さらに宇宙にすら行くことができるようになりました。21世紀には、21世紀の人々の夢を実現するさらにすばらしい技術を開発し、その製品化を実現させなければなりません。
特に、バイオ、ICT(情報通信技術)、環境、ナノテクノロジー、海洋、宇宙などの先端技術開発と、その産業化が重要であり、産学官、とりわけ産学の連携が必要になってまいります。そのため、知の拠点である大学と、その活用・産業化を担う産業界との連携の成否が、わが国の国際競争力を決定付けるものと思われます。これまでに培われてきた「知の創造」の成果を活用してイノベーションにつなげ、目に見える形で社会に還元していくことが重要であります。経済産業省が中心となって策定の作業を進めている「新成長戦略」も、こうした動きを促進するものと期待しております。
あわせて、日本企業が自らの持てる競争力をいかんなく発揮できるよう、戦略的な通商政策、外交・安全保障政策を推進することも重要であります。WTOに基づく多角的な自由貿易体制の維持・強化は、わが国企業が国際的にビジネスを展開していくうえで不可欠でありますが、交渉が思うようになっていない現実を考えますと、アジア・太平洋地域の諸国との間で経済連携協定(EPA)を締結することも急がれます。そのためにも国内の構造改革が必要であることは、言うまでもありません。
さらに、グローバリゼーションが進展する中で、南北間の格差の拡大や宗教対立の激化が、日本にも直接、間接の影響を及ぼすようになっております。世界の平和と安全は、われわれの願いであるとともに、日本企業の海外活動の前提条件でもあります。憲法をはじめとする国の基本的枠組みを再構築しつつ、戦略的な外交・安全保障政策を推進していく必要があるとともに、国益に沿った形での政府開発援助(ODA)の積極的な活用も従来以上に重要になってくると考えられます。
また、近隣諸国との関係では、中国、韓国との関係がぎくしゃくしていることは残念であります。中国とも韓国とも、経済的な相互依存関係は年々強まっております。両国との関係を改善するためには、首脳同士が直接会って話し合い、双方の立場や考え方について理解を深めることが必要であると考えますし、ぜひその方向での努力をお願いしたいと思います。

(3) 多様な価値観が生むダイナミズムと創造

第3の課題は、新ビジョンでも強調した「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」を基本に、国民のやる気と力を引き出すことであります。これまでの日本の強みというものは、均質性、画一性であったと考えられます。教育水準が高く、男性はフルタイム勤務の長期雇用、女性は専業主婦か補助的仕事という画一性が、世界第2位の経済大国を作りあげたと言えるのではないでしょうか。こうした仕組みは、高度成長の時代、欧米を手本にして品質の良いものを大量に生産するには適していたものでありました。現在は中国が、まさに画一性の強みをいかんなく発揮して、日本を含む先進各国を追い上げてきています。
これに対して、多様性の象徴はシリコンバレーであります。そこでは、国籍も人種も、宗教も言語も、そして性別も年齢も異なる多様な人々が働いています。規格品の大量生産には向いていないかもしれませんが、新しいユニークなアイデアを出したり、マニュアルのない非定型で創造的な仕事をするには、互いに異なるバックグラウンドを認め合い、それぞれの発想を尊重し、調和する中から独創的なアイデアが生まれる仕組み、組織の方が良いと思われるのであります。
多様性の高い組織や社会においては、価値観や考え方、ライフスタイルの違いにより、意見の対立や衝突、軋轢が生じやすくなります。そこでわれわれが言っている「共感と信頼」という概念とそれを実現する取り組みが重要となってまいります。経済発展の一方で、格差の拡大と社会の階層化が問題となり、ニートやフリーターといった社会現象も踏まえて、格差拡大の問題をあらためて取り上げた『下流社会』といった本が売れる時代であります。こうした時代だからこそ、あらためて「共感と信頼」が問われているのだと思います。行き過ぎた格差は社会全体の活力を失わせることになりますので、一定の再分配政策やセーフティネットによって弱者を救う必要はあります。しかし、競争に敗れた、いわゆる敗者については、自ら選択した結果は本人がきちんと受け止めるという自己責任原則を徹底するとともに、失敗しても再挑戦が可能な社会システムとすることで、その活力を再度引き出す仕組みが必要であると思います。

5.21世紀に生きる日本人の課題

(1) 「個」の確立と「公」の精神、武士道

次に、こうした3つの課題に取り組むうえで、あらためて日本人のあり方を考えてみたいと思います。
例えば、先ほど述べた「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」を実現するためには、多様性のもととなる「個」が確立しているということが重要な意味を持ちます。「個」に対して「和」を重んじる心は、日本人の美徳と言えるものでありますが、これが、調整ばかりに時間を費やす意思決定プロセス、あるいは横並び意識や談合といった形になると、世界の潮流から後れをとってしまいます。しっかりした「個」の確立があって初めて、「和」の力が発揮されると思うのであります。
また、これに関連して、企業の国際競争力とともに、個人の国際競争力ともいうべきものも意識すべき時代になっていると思います。例えば、アジアの国々のリーダーたちの能力は、すでに国際的な水準に達しており、ある意味では日本のリーダーを凌いでいるケースもあるのではないかと思います。仮に日本の労働市場が完全に開放された場合に、欧米の一流大学で教育を受けたアジアのエリートが、日本人の給与水準なら喜んで働くということも十分に考えられます。個人も、それぞれの立場で勝ち残っていくための努力を怠ってはいけないということであります。
他方、一人ひとりが「個」を確立することは重要ですが、一気にそれを国民全てに求めるのは現実的ではないということもあります。実際、ほとんどの個人が、行政サービスを利用し、企業に働く場を求め、互いに助け合い支えあいながら生きているわけであります。したがって、「個の確立」とともに「共感と信頼」に裏付けられた新しい「公(おおやけ)」の領域をつくりながら、一人では解決できないことに対処することも必要になってまいります。個人は、「公」の中で求められる役割をきちんと果たしながら、自助努力を積み重ね、自らの個性や能力を発揮する、そうした社会が望ましいのではないかと考えます。高い倫理観を備え、自分の考えを持ち、他人の意見を尊重しながら、自分の課題を自分で解決できるようになることが目指すべき個人の姿であり、これは、実は、日本人が長く尊んできた武士道の精神に通じるものであると思うのであります。
武士道で最も重要な精神には、「正々堂々として卑怯なことはしない」という「義」、「正義を貫くためには命がけでも思い切って行動する。逆に、正義に反することであれば、こらえる」という「勇」、さらには「目には見えない気持ちを思いやり同情する」という「惻隠の情」などがあります。最近起きている社会問題や企業不祥事について、ここではいちいち取り上げませんが、いずれも、こうした武士道の精神が徹底されていれば起こっていなかったであろうことは、皆様にもご賛同いただけるのではないかと思います。企業としても、事業で利益を生み出すことがもちろん大事ですが、CSR(企業の社会的責任)を意識し、企業倫理の徹底と社会貢献活動に取り組むことが重要であります。

(2) 教育およびマスメディアへの期待

ここで問題となるのは、こうした精神をいかに涵養し徹底するかであります。なんといっても教育の建て直しが急務であると考えます。特に、義務教育終了までに、家庭ならびに学校でしっかりとした倫理観を持った人間を育てあげてほしいと思います。また、公立学校が「多様性」「競争」「評価」を基本とした教育改革を断行して、子どもたち一人ひとりの個性を十分に尊重しながらも教育水準を今以上に高めることができれば、現在のように塾に過度に依存する必要はなくなると思います。公教育では不十分だから子どもを塾に通わせる、塾に通わせる結果、家計の負担が大幅に増える、というのは、実におかしな話だと思います。
教育の話をすると、必ず「効果が出るには時間がかかる」と言われます。それに対して、日々われわれの意識や価値観に影響を及ぼすのがマスメディアであります。新聞を見ていると、事実を誇張したりして、読者が期待しているようなストーリーにあてはめて記事を書いていると感じることも多々あります。例えば、私が「談合は問題だが、日本に根付いてしまっているので、まずはその実態と背景を理解しないと解決は難しい」という趣旨の発言をいたしますと、「根付いてしまっている」という部分が誇張され、私があたかも談合を是認しているかのように書かれるわけであります。また、テレビについては、視聴者を喜ばすことしか考えていないかのような娯楽番組が多いのではないかと感じます。特にインド洋の大津波発生直後の日本の正月番組などは、災害に苦しんでいる多くの人々がいる状況を知りながら、愚にもつかないお笑い番組がそのまま流されていて、私は憤りさえ感じました。その傾向は今も変わっていないと言わざるをえません。
思えば、国民が画一的な価値観とライフスタイルで生きていた時代には、豊かさとは「モノの豊かさ」でありました。「他人と同じこと」が幸福でもあったと言える時代でありました。これに対して、多様な価値観が共存する社会では「自分らしく生きること」が幸福であり、「心の豊かさ」が大事になります。残念なことに、日本では年間3万人以上の自殺者が出ていますが、内訳を見ると、60歳代以上の自殺が全体の3割強を占めています。また、25年前と比べると、20歳代以下の若年層の自殺者数が減っている一方、50歳代以上の年配者の自殺が大きく増えていますが、この世代の日本人が、バブル後の大きく変化する社会の中で、その後の生き方を明確に決めきれなかったことが一つの原因になっているのではないかと考えられます。
バブル後の不況は、大変つらい状況でありましたが、自らの幸福感を問い直す良い機会でもあったと思います。その結果「心の豊かさ」に目を向ける人々も増えました。ところが、景気回復の兆しとともに、「カネさえあれば何でもできる」といった考えが再び出始めております。こうした動きが出始めたときに、いわば警鐘をならすのがマスメディアの重要な役割でありますが、現実には、そうした動きを逆に助長している感さえあると、あえて申しあげたいと思います。新聞社にとって読者、テレビ局にとっては視聴者の反応が気になるのはわかりますが、公共性を唱えるマスメディアとしては、その影響が大きいだけに、本当に読者・視聴者のためになっているかという観点からの反省を促したいと、あえて申しあげたいと思います。

(3) これからの時代に求められるリーダー像

さて、残された時間で、21世紀に求められるリーダー像と次世代への期待について考えを述べたいと思います。
21世紀に求められるリーダーの素質をあえて一言で言えば、世界の潮流や社会の変化を的確に把握し、スピード感をもって行動することのできる人物であると思います。この点は、政治家でも経営者でも同じであります。
私は、日ごろから「意思決定とは行動に移すこと」であると考えております。実行に移して初めて「決めた」と言えるのであります。何らかの改革を断行すれば、必ず既得権を失う人が出てまいります。それを避けて、問題を先送りすれば、事態がさらに悪化し、より大きな痛みを伴うことにもなります。あれこれ議論することに没頭するよりは、まずは実行に移し、その後、「PDCA」のサイクルをまわしながら改善していくことが重要だと思います。リーダーに求められるのは、「行動力を伴う決断力」であり、小泉総理が国民の支持を得た理由も、まさにその点にあったのではないかと思います。本年9月には、小泉総理が退陣し、新しい総理が誕生するとされていますが、いわゆる「ポスト小泉」にも、このような資質を期待したいと思います。同時に、リーダーたる者には、「惻隠の情」、すなわち、強さと同時に優しさも備え、他人を思いやる心を持ってもらいたいと考えます。私は、よく「勝ったときが負けたとき」と、自らを、そして社員を戒めております。あえて申し上げれば、このことは、小泉総理のもとで先の総選挙で大勝した自民党についても言えるかもしれません。競争を進歩につなげるためには、よきライバルの存在も必要であり、ライバルが倒れたときに二度と立ち上がれなくなるまで打ち負かすのは健全な競争とはいえないと思います。
昨年は、大勢の皆様のご参加を得て、「愛・地球博」を成功裏に開催することができました。そこで人気展示の一つになったユカギル・マンモスからわれわれが教えられることは、「自然界では強いものではなく変化に柔軟に対応できるものが生き残る」と言うことだと思います。今まさに問題となっている少子化について、アルビン・トフラーは、1980年出版の『第3の波』の中で、子供を持ちたがらないドイツ人夫婦の言葉として、「現在のライフスタイルに慣れてしまったし、二人っきりの独立が好みに合う」ということを紹介しています。また、フリーター問題についても、「1977年の調査によると、パートタイムのみを希望する失業者の比率が、過去20年間で倍増している」と紹介しつつ、「彼らは、自分の趣味、スポーツ、宗教、芸術、政治などの活動に充当する時間さえ取れれば、収入が少なくても構わない」と書いています。まさに現在、われわれが直面していることは、25年前に「第3の波」として指摘されているわけであります。
こうした状況において、現在、「少子化を止めるにはどうしたら良いか」、あるいは「フリーターをいかに正社員化するか」などといったことが議論されておりますが、正直なところ、それが果たして可能なのか、あるいは、効果的な対策が本当にあるのか、という気がしてなりません。私自身もまだ解決できていない問題であり、考えていきたいと思います。こうした新しい波が、新しいライフスタイルや労働形態への願望から起きていて、今後10年、20年と次第に大きくなっていくものであるとすれば、これまでわれわれが確立してきた考え方や組織・仕組みに次世代の人々を押し込めることは無理なことではないかと思うのであります。要するに、若い人々は、自分の人生をありきたりでないものに、カスタマイズしようとしているのであります。
したがって、リーダーたるものは、これまでの考え方や組織・仕組みを前提とせずに、新しい人々の意識と行動の変化を的確にとらえながら、それを活かす方向で新しい対策を考え、講じていかなければなりません。現在進められている少子化対策やフリーター対策がそのような形で行われていないことに、私は個人的に、若干の不安を覚えるのであります。

(4) 次世代への期待

こうした点からも、私は、若い人々の斬新でユニークな発想こそ、世の中を変えていくものと期待しております。
しかし、どんなに新しくてユニークなアプローチであっても、ビジネスとするからには、倫理にもとることや不道徳なことは決してやってはいけません。市場主義を『国富論』で唱えたアダム・スミスも、それに先立ち『道徳情操論』において、惻隠の情の重要性を説いています。私なりに解釈すれば、市場での自由競争で勝敗が決するからこそ、そこに参加する個人の倫理観が問われるということをアダム・スミスは言いたかったのではないかと思います。「カネさえあれば何でもできる」などと言っていたのでは、尊敬されないばかりか、そのビジネスモデルも長続きしないでしょう。
これとは逆に、私と同じ、あるいは上の世代の人に会うと、「どこそこの病院は良い」だの、「あの薬は効く」といった話が多く、聞いていて残念な気持ちになることがあります。要するにこれも、「カネさえあれば命も買える」と言っているようなものでありまして、心構えの貧しさは、若い人に限らないと思います。人生の最終局面である「最期の迎え方」について、われわれはもっと真剣に考える必要があると思います。寝たきりになっても、植物状態になっても生き続けることをわれわれは本当に望むのか、自省すべきだと思います。一人ひとりが確固たる死生観を確立する中で、人生の終末に関する選択肢が必要となっています。私は、尊厳死協会の会員でありますが、尊厳死を法的に位置づけることも、急がれる課題ではないでしょうか。
いつの時代にも、上の世代は次世代を指して、「最近の若い者はなってない」とか、「われわれの若い頃はこうした」などと小言を言ったり、不当に低く評価したりするものであります。しかし、時代を動かすのは若い人々の力であり、明治維新で活躍したのもその当時の若者たちでした。最近、自ら起業する若者が増えていますが、彼らから、「今に自分の時代が来る」「自分が新しい時代をつくる」といった自信に満ちた発言を聞きますと、われわれには見えていない時代の流れや新しい世界が、彼らには見えているのではないかと思うのであります。次世代を担う若い人々は、必ずわれわれを乗り越えて行くと期待しております。そして、上の世代の者の責務は、そうした次世代を時に厳しく鍛えつつ、あたたかく見守り、応援していくことであると考えます。

6.おわりに

これからの日本は、世界から尊敬される国家を目指すべきであると、私は常々申しあげております。世界第2位の経済大国となりながら、日本は国として、いまだに世界の範たる存在にはなっておりません。なぜそうした存在になれないのかを、私は自問自答しています。かつて日本人は、その立ち居振る舞いや行動規範、生き方、死生観が諸外国の人々から高い評価と尊敬の念をもって見られていました。
日本が今後、新しい礎を築くにあたって国のあり方を模索する時、もう一度、新渡戸稲造博士がまとめた武士道精神などを基盤として、そのうえに新しい価値観を積み上げていくことが必要であると思います。特に各界のリーダーには、高い志をもってことにあたることが求められます。
以上、私見を含めてお話し申しあげました。
ご清聴ありがとうございました。

以上

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