Policy(提言・報告書) 科学技術、情報通信、知財政策  スタートアップと大企業による協創を促進する契約実務の普及に向けて

2020年4月2日
一般社団法人 日本経済団体連合会
スタートアップ委員会
スタートアップ政策タスクフォース

1.はじめに

デジタルトランスフォーメーションを通じて多様な人々が想像力・創造力を発揮する社会「Society 5.0(創造社会)」の実現に向けては、ビジョンドリブンで課題解決や価値創造に取り組むスタートアップがその担い手として期待される。

近年、わが国の大企業の間では、スタートアップとの連携によるオープンイノベーション(以下、「協創」と称する)に向けた取り組みが活発化しているが、連携に際して、「契約」に関するトラブルが頻繁に発生している。これは、大企業側の法務慣習や意識、スタートアップ側の法務リテラシーなど、両者が抱える様々な課題に由来する。

現在、経済産業省では、こうした課題を解決すべく、大企業とスタートアップの契約に関する「手引き」および「モデル契約書」(以下、総称として「本手引等」を用いる)の作成を進めており、2020年度の早い時点での公表を予定している。

以下、スタートアップと大企業による協創を促進する契約実務の普及に向けて意見を述べる。

2.協創を促進する契約実務に向けて

(1)手引き・モデル契約書に求めること

総論

一般的に、スタートアップは大企業に比して、法務や知財に関するリテラシーに乏しい。本手引等は、そうしたスタートアップにとって有益なものになると期待している。

大企業は、法務部門および知財部門に多量のリソース(人員、予算等)を投入しており、多くの実務経験やノウハウを有している。専門性の高い外部の弁護士や弁理士への委託も一般的に行われている。他方、スタートアップでは、ビジネスモデルの構築や技術開発、資金調達などに優先的にリソースが配分され、法務・知財に充分なリソースを割く余裕がない企業が多い。

そこで、本手引等の検討にあたっては、大企業とスタートアップとの間で、法務・知財に係るリソースが圧倒的に異なることを前提として、交渉時や契約締結時のポイント、モデル契約書における条項案や逐条解説を作成してほしい。

いうまでもないことだが、スタートアップも本手引等を活用しながら、法務・知財に係るリソースを強化していく必要がある。詳細は2.(2)①で述べる。

② 秘密保持契約(NDA)

秘密保持契約(NDA)は、スタートアップと大企業の連携の入口である。NDAを締結して初めて情報交換が可能となることから、できるかぎり短期間に締結できることを目指すべきである。

具体的には、NDA締結までは今後の連携の具体的内容については未確定な部分がほとんどであることから、「連携の具体的内容」や将来的に発生することになる「知財の帰属」等についてはNDAでは取り扱わず、PoC(技術実証)以降の契約で取り扱うべきである。

また、「秘密情報の範囲」が争点になり交渉が長期化することも多い。さらに、その定義が複雑な場合、法務・知財のリソースが乏しいスタートアップは秘密情報を適切に管理できずトラブルが生じるおそれがある。そこで、本手引等では、秘密情報の範囲を「秘密である旨を表示した文書等」といった明確かつ簡素な定義にすべきである。

③ PoC(技術実証)契約

NDA段階での情報交換を経て連携の可能性が見い出された場合、PoC(技術実証)へと進む。PoCでは、スタートアップは自らのリソースを割いて試作品の開発等に取り組むが、「目標(成果)」の定義がスタートアップと大企業の間で曖昧な場合、スタートアップは終わりの見えない開発を続けることになりかねない。これはリソースの小さいスタートアップにとって致命的な負荷になりうる。

そこで、本手引等では、PoCの「目標(成果)」に関する明確な定義を例示すべきである。ここで記載されるべき「目標(成果)」はPoCで最低限達成すべき「必達目標」とし、達成が望ましい「努力目標」はこれとは区別するようにすべきである。

また、PoCにおいて、新たに試作品を開発する場合と既存製品を適用する場合の双方についてモデル契約を作成してほしい。

④ 共同開発(研究)契約・システム開発契約

PoCが成功した場合、共同開発(研究)契約・システム開発契約へと進む。これらの契約に係る交渉では「知財の帰属」や「ライセンス条件」が争点となりやすいが、一般論として、開発(研究)を実施するまでどの部分に知財が生じるのか判然とせず、交渉段階で有意義な検討をすること自体が難しい。

少なくとも、本手引等では、「開発(研究)終了後の権利状況やビジネスを念頭に置きながら、知財の帰属やライセンス条件等について交渉すべき」といった記載を盛り込むべきである。

さらに、スタートアップ向けには、自社のビジネスの支障とならぬよう大企業側の出願戦略等にも注意を払いながら知財の取得方法や内容を検討すべき、との記載を盛り込んでほしい。

⑤ AI分野特有の課題への対応
(ア)性能保証

AIに係るモデルが有意義な効果を生ずるかどうかは実際に開発してみるまで分からないことが多く、また、AIに係るモデルの性能(精度)は学習データに依存する。そのため、少なくともNDA段階、PoC段階及びシステム開発の初期段階では、性能(精度)に関する正確な予測をすることは難しい。
そこで、本手引等では、AI固有の課題としてかかる事情を記載したうえで、NDA、PoC、システム開発に関するモデル契約には、性能(精度)の正確性については保証しない旨の条項を盛り込むべきである。

(イ)開発中に生じた生成物の権利等

AIに係る開発中に生じた生成物(学習用データセット、学習済みパラメータ、学習用プログラム、推論プログラム等)の所有権の帰属、これらに係る知的財産権の帰属およびライセンス条件は、AIの開発契約において最も重要な論点である。スタートアップのみならず大企業にとっても、本論点については明確な指針を打ち出すことが難しい。
本手引等においては、抽象的ではあるが、スタートアップに対して「開発終了後の権利状況やビジネスを念頭に置きながら、法律上の原則やビジネス上の条理に基づいて、事案に応じた知財の帰属やライセンス条件となるよう交渉する」ことを求めるべきである。さらに、参考として、「AI・データの利用に関する契約ガイドライン」(経済産業省、2018年6月初版、2019年12月1.1版公表)にあるユースケースを再掲してほしい。

(2)関係者に求める行動

政府

スタートアップ、大企業の他、ベンチャーキャピタル(CVCを含む)、アクセラレーター、スタートアップ系のメディア、スタートアップ支援に取り組む法律事務所等に対して本手引等を周知し、スタートアップエコシステムにおける認知度を高め、広く普及に努めてほしい。

また、本手引等があったとしても、案件によって優先すべきポイントが異なることや、条項の微調整が必要となることが多い。そこで、本手引等の公表を契機として、特許庁等に常設のスタートアップ向け法務・知財相談窓口(スタートアップ向け支援を行っている法律事務所の紹介等も行う)を設置することが望ましい。

② スタートアップ
(ア)本手引等の積極的な活用

大企業との協創に向けて、本手引等を積極的に活用しながら契約実務に取り組むことが求められる。
これに当たっては、民法や特許法といった法務・知財に関する最低限の知識を習得することが前提として不可欠である。
さらに、競業禁止規定といったスタートアップの存続・発展にとって重要な争点については、そうした規定が本当に必要かどうかの説明を大企業に求めるなど強気な姿勢で大企業との交渉に臨むこともときには必要である。

(イ)法務・知財体制の強化

さらに、知財戦略等の重要性を十分に認識したうえで、自社の法務・知財体制の強化に取り組むことも求められる。
短期的には、スタートアップ向けに支援を行っている法律事務所等への委託を積極的に活用すべきである。
中長期的には、弁護士や弁理士をはじめとする法務・知財の専門人材を採用し、大企業に伍する体制を社内に構築していくことが望ましい。その際には、大企業の実務や慣行に通じた人材(企業内弁理士等)を採用することも一案である。

③ 大企業

大企業側は、経営層のコミットのもとでスタートアップを協創に向けたパートナーとして位置付け、法務・知財部門を含めて、スタートアップという企業体の特性に応じた柔軟・迅速な対応・判断ができる社内体制を構築してほしい#1

3.おわりに

上述の意見は主として日本企業同士の契約実務を想定しているが、当然に外国企業も協創のパートナーとなりうる。そうした場合には、英文契約、外国語による交渉といったハードルを越えていく必要がある。今後、外国企業との契約実務に関する手引きやモデル契約の検討にも着手すべきである。

また、経済産業省、公正取引委員会等関係府省等が連携のうえ、政府全体としてスタートアップと大企業との契約関係の適正化に取り組んでほしい。

スタートアップに求められる行動は上で述べたとおりだが、加えて、ナショナルプロジェクトへの参画等を通じて、プロジェクトに参画する複数当事者間の契約交渉や報告書の作成を経験することも、大企業との連携に係るスキルを習得する観点から有効である。さらに、契約実務からは離れるが、共同開発の社会的インパクトや意義について、常日頃より大企業側のトップ・意思決定権者にアピールしておくことも、大企業との基盤的な関係構築の観点から極めて重要である。

本手引き等が広く活用され、Society 5.0の実現に向けて、スタートアップと大企業による協創がいっそう活発化することを期待する。

以上

  1. 例えば、2016年度から経済産業省が発行している「事業会社と研究開発型ベンチャー企業の連携のための手引き」にある企業事例などが参考になる。