月刊・経済Trend 2006年5月号 巻頭言

公器の本分

森下議長 森下洋一
(もりした よういち)

日本経団連評議員会議長
松下電器産業会長

企業は社会の公器なり。これが声高に叫ばれるようになって久しい。企業が公器と称されるゆえんは、その営為の一から十までが社会と切り離せないからであるが、しかし実際はどうかといえば、「公」が影を潜めて「私」が跳りょうする姿をしばしば眼にせざるを得ない。そういう今だからこそ、社会の公器が意味するところを改めて確認しておきたい。

企業を公器と見なす出発点は、事業に必要な経営資源の捉え方にあろう。ヒト、モノ、カネに代表される経営資源は、いずれも社会の財産であり、企業はそれらを預かる立場にある。人材や資金はいうまでもなく、土地にしても、建物にしても、たとえ法で所有が認められようとも、私物とはいえない。こう捉えるべきではなかろうか。

そうした経営資源を企業は最善の方法で事業に活かし、製品やサービスを通じてお客様のお役に立ち、社会の発展に貢献しなければならない。その過程で求められるのは他でもない、われわれの企業行動憲章が謳う「社会の信頼と共感」である。法令やルールを超えた倫理意識や良心、異なる文化・慣習への細やかな気配り。それらを世界各地で積み重ねていくことが信頼と共感につながっていく。

公器の本分とは、このような理解で事業に邁進し、繰り返していうが、社会の発展に貢献することにある。そして貢献を果たしてこそ、企業はそれにふさわしい報酬を利益としていただくことができる。つまり目的は貢献であり、利益はあくまで結果に過ぎないのである。公器をもって任ずるからには、こうした利益に対する考え方も肝に銘じておかなくてはなるまい。

今こそ公器の本分に徹しようではないか。そうすれば自然と使命感が湧き立つようになる。かけがえのない財産を託してくれる社会の期待に応えんと志す、強い使命感が培われるのである。この使命感があれば、「私」の誘惑に屈することなどなくなるにちがいない。経営者も、従業員も、ともに強くなれるのである。ほんとうにそう思う。


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