経済くりっぷ No.4 (2002年9月10日)

8月1日/総合政策委員会企画部会(部会長 神尾 隆氏)

日本経済の検証と今後の課題について


総合政策委員会企画部会では第2回会合を開催し、奥野(藤原)正寛 東京大学大学院経済学研究科教授を招き、「1975年体制と日本経済」と題して説明を受けるとともに意見交換した。

I.奥野教授説明要旨

1.新制度派経済学の勃興

明治以降の日本経済・社会には、明治開国から戦間期までの好調期から第2次世界大戦の敗戦で底を打つまでの波と、1975年前後にピークを迎える波がある。とりわけ前者の社会には多様性があったが、下降期に入ると価値観が一元化し、多様性や適応性が欠けてしまった。ここに日本経済の問題がある。
近年、新制度派経済学では、ゲーム理論を用いて、日本型の経済システムを制度としてみる比較制度分析が行われている。この理論では、制度や文化の補完性が働くと、ゲーム理論でいうナッシュ均衡となり、外部環境が変化してもその均衡から抜け出せなくなる。日本の制度は、この「安定性」の状態に陥っている。
シュンペーターは「資本主義経済は、ダイナミックな企業が革新を起こして利潤を得、この模倣・適合により動く」と主張しているが、日本にはこのダイナミックな革新と模倣という意識が抜け落ちていることに問題がある。

2.1975年体制

1955年頃(高度成長時代の始まり)の日本には活力があった。経済政策は、官僚が緊張感をもって主導していた。思想的には、戦後民主主義だけでなく、戦中統制主義や戦前のリベラルな思想など多様な考え方が存在した。自民党と社会党、財界と官僚、政治と官僚が緊張関係にあった。つまり、「多元主義」がうまく機能していた。
しかし、1975年頃になると、この体制が崩れだした。田中角栄の「列島改造計画」、ニクソンショック、第1次石油ショックが起こり、戦後初めてマイナス成長になり、スタグフレーションとなった。これを解決するため、長期の雇用保証が行われた結果、会社主義が生まれ、価値観も一元化されていった。

3.日本社会に求められるもの

今後、日本社会が多元的な価値観を回復するためには、組織に安住することなく、緊張感をもって能動的に信頼できる対象を選んでいくこと、企業中心の社会から個人を基軸とする社会に転換することが必要である。

II.懇談要旨

日本経団連側からは、「日本社会では私権が過度に保護されている。公益や国益を社会全体の基盤として強く打ち出すべきである」、「補完性を前提に多様性を担保するにはどうすべきか」、「少子化・高齢化、人口の問題を考えないと、今後の成長は期待できないし、成長を前提にした社会保障制度も破綻する」等について指摘があった。

《担当:社会本部》

くりっぷ No.4 目次日本語のホームページ