経済くりっぷ No.10 (2002年12月10日)

11月22日/経済法規委員会コーポレート・ガバナンス部会(部会長 村山 敦氏)

コーポレート・ガバナンスはアカウンタビリティ(問責性)により担保される

−公開会社のコーポレート・ガバナンスのあり方の課題


コーポレート・ガバナンス部会では、一連の法改正や企業不祥事を背景に、改めて日本型、米国型のコーポレート・ガバナンスの是非やその対応等について検討している。11月22日には、企業金融やコーポレート・ガバナンスが専門の野村総合研究所の渡辺茂上席研究員を招き、公開会社の株主の視点から見たコーポレート・ガバナンスのあり方について意見交換をした。

I.渡辺上席研究員説明要旨

この10年で「コーポレート・ガバナンス」という言葉は世の中に浸透したが、便利に使われてすぎてかえってその定義が曖昧になっている。整理すると、「会社の意思決定の仕組み」の意味と、公開会社の株主の視点で考えた場合には、「投資家が自分の投資を確実に欺かれることなく回収するための仕組み」、すなわち、広く株主構成や監査人のあり方、格付会社やアナリストの行動規範までも含んだ意味がある。
企業活動のモデルとして、英国の社会学者であるロナルド・ドーア氏は、組織志向型と市場志向型という対比を提示した。市場志向型の会社とは「株主の財産」であり、経営者は株主の代理人である。よって、株価をどれだけ上げたかにより巨額の報酬を取ることが容認されている。一方、組織志向型の会社とは「従業員のコミュニティ」であり、経営者はコミュニティのリーダーであるため仲間とかけ離れた報酬は取らない。
最近までの米国企業は明らかに市場型であり、日本企業は組織型である。ただし、歴史的には日本も戦前は市場型であり、米国でも1970年代までは進歩的な経営者は組織型を優れた経営のモデルとしていたので、組織型が日本型、市場型が米国型とは必ずしも言えない。
戦前の日本では、株主は株価が一銭でも高いことを期待し、配当しない経営者を解任することも珍しくなく、経営者は高額報酬を得ていた。これについては、経営者のインセンティブになる、重役の一挙手一投足こそが損益に影響を及ぼすので高額の報酬も是認されるとの擁護論がある一方で、社会に及ぼす影響の大きさで報酬の多寡を決するのであれば、賞与だけで当時の首相の年俸の15倍以上を得るような状態は不当、不正であるとの批判もあった。
米国は、1980年代後半に市場志向型に転換した。株主価値の最大化という新しい信条が生まれ、企業買収、分割、レイオフ、自社株買いなどが進展した。レイオフやコストカットによる利益から経営者がボーナスを得ることは、従来は米国でもなかったことであるが、1990年代にはこの新しい行動パターンが定着した。そしてエンロン事件が発生した。株主利益の最大化とリンクした巨額報酬により、それが唯一の経営目的と化した場合、何をやってもいいという陥穽(かんせい)にはまりやすい。
米国では、不祥事のたびに社外取締役の強化が叫ばれる。公開会社では株主が分散化し、株価以外に関心のない株主が多数を占め、取締役の選任に関心を持つのは現経営者のみとなるから、現経営者が取締役候補者を決め、異議なく承認される。それではよくないということで、取締役会の一定数を経営者と利害関係のない人で占めることとした。しかし、本来は、株主が関心を持たないことこそ問題である。エンロンはこれ以上ないほど理想的な社外取締役陣を擁していながら、問題を発見することができなかった。社外取締役が機能するのは、よい経営者がいる場合か、問題が誰の目にも明らかである場合である。経営者の監視という意味では社外取締役に多くは期待できない。
また、クリントン政権下で、ギングリッジ下院院内総務(共和党)が、監査人を提訴しにくくする一連の法改正を進めた。株価高騰へのインセンティブを強くする一方で、取締りを緩めたことも、エンロン事件以来の米国の不祥事につながっていると考える。
そこで、アカウンタビリティが必要になる。これを「説明責任」と呼ぶのは軽すぎる誤訳である。何か説明らしきことをすればよいのではなく、コーポレート・ガバナンスの定義である「投資家が投資を確実に回収できる仕組み」が信頼できるものであるかがアカウンタビリティである。中国では、これを「問責性」と訳している。アカウンタビリティを担保するためには、米国の企業改革法のように公的制裁を厳罰化する方法と、程度問題はあるものの内部告発制度の整備による私的エンフォースメントがあると考える。

II.意見交換(要旨)

日本経団連側:
日本企業に残る組織型の良さはグローバルには評価されないか。
渡辺上席研究員:
現在の日本でうまくいっている組織型の会社もある。しかし、今後10年で見れば日本企業も市場型に動くだろう。業績がしっかりしていなければ組織型は維持できないし、市場の大部分が組織型をとらなければ一部の企業だけで組織型を維持することはできないからである。

日本経団連側:
社外取締役の効用は限られているということだが、コーポレート・ガバナンスを担保するのは経営者の資質しかないのか。
渡辺上席研究員:
社外取締役も100%無駄ではない。たとえば渋沢栄一は有名社外取締役であり、彼が取締役を引き受けると「渋沢銘柄」として信用された。また、逆に、社外取締役が一挙に辞任した場合には、「炭坑の中のカナリア」のように異常を知らせる兆候にはなるのではないか。

日本経団連側:
社外役員の構成によるガバナンスの優劣を議論するのはコストがかかるだけである。それよりもリスクマネジメントの仕組みなどの実質を議論する方が実益があると思うがどうか。
渡辺上席研究員:
日本企業のコーポレート・ガバナンスが議論されるのは、やはり日本の仕組みに納得いかない点が残っているからではないか。社外取締役も、選任しない理由を説明するより、誰かを選任してしまえばよいのではないか。
《担当:経済本部》

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