経済くりっぷ No.11 (2002年12月24日)

12月7日/1%クラブ(会長 伊藤助成氏)

平和を創造するために一人一人ができること

−1%クラブチャリティー・フェステイバルを開催


1%クラブでは、12月7日、チャリティー・フェスティバルを開催した。『平和を創造するアーチストの挑戦』と題する、現代美術・映像作家の田中勝氏の講演をきき、一人一人が次世代のためにできることについて考える機会を持った。また、法人会員43社からの協力を得てバザーを行い、収益金を会員が選んだ4団体に寄付した。

○ 田中氏講演要旨

1.21世紀を“平和の世紀”に

“平和”なしには、経済も、政治も、文化も脆く壊れることを人類は経験してきたが、新世紀を迎えても、未だ戦争は悲惨な状況を生み続け、終わりを知らない。21世紀こそ“平和の世紀”にとの人類の願いを実現するためには、平和のための具体的な準備を進めなければいけない。

2.平和を希求する日米の芸術家の出会い

私は、学者でも思想家でもなく、レンズ付フィルムで作品制作する、広島出身の一芸術家である。1998年春に初渡米した際、国際美術展でスピーチをすることになり、父の被爆体験や母校にまつわる原爆の話をした。その会場に、画家ベッツィ・ミラー・キュウズがいた。父親が原子爆弾研究のマンハッタンプロジェクトに関わる物理学者だったことにショックを受けたベッツィは、芸術活動を通じて平和に貢献することを願い、アートセラピーなどを実践していた。ベッツイとの出会いは、私の中の平和に対する使命感を呼び覚ました。

3.平和の新世紀プロジェクト

私たちは“戦争の世紀”と言われた20世紀末に、対立した歴史を越えて平和を創造することが可能であったという事実を残そうと、すぐに共同作品制作にとりかかった。私が撮影した写真とベッツィが描いた絵画をコンピュータでコラージュする方法で、Eメールでやりとりしながら作品をつくりあげていった。そして、その作品を持って、小学校などを訪問し、平和のメッセージを伝えていくこととした。1999年には、東京、広島、サンフランシスコで展覧会を開催し、2000年8月6日には、母校の己斐小学校で戦後初めての慰霊祭を行った。爆心地から3kmの同校は仮設の火葬場となり、800体の死体が火葬され埋められた場所で地域の人々にとって触れたくない過去だった。しかし、慰霊祭には地域の被爆者の方々も参列して下さり、自らの被爆体験を子どもたちに語ってくれた。翌年から慰霊祭は子どもたちに引き継がれている。

4.心の中に平和の砦を築く

戦争をするのも人間であれば、平和を創造するのも人間である。平和教育を思想的にとらえることなく、人々の心に平和の大切さを刻み込み、平和への貢献ができるような人になりたいと願う心を育む挑戦をしていかねばならない。ヒロシマに生まれた子どもとして、芸術によって被爆体験を継承するために、今後とも努力していきたい。

《担当:社会本部》

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