1950年代に至り、まず、米国からの輸出に影響を与える行為に反トラスト法を適用するという判例が現れた。ミネソタ・マイニング事件、コンセントレイテッド・フォスフェイト輸出組合事件では、米国企業の輸出を阻害する米国企業のカルテルを違法とするものであった。
さらに、米国司法省は、1977年に国際取引ガイドラインを発表し、米国の輸出を阻害する競争制限行為が反トラスト法の適用対象となることを明らかにした。しかし、このガイドライン発表以降、1994年のピルキントン事件に至るまで、米国司法省が外国企業の外国における行為で米国企業の対外輸出を阻害するものに対して訴追した例は多くなく、ずわい蟹事件等数件を数えるのみである。
ビンガマン反トラスト局長は、反トラスト法の域外適用を強化する方針を明らかにしていたが、1992年4月に至り、米国からの輸出を阻害する海外での競争制限的行為に米国反トラスト法を積極的に適用するとの方針を宣言した。
同宣言に対して、日本の公正取引委員会委員長が遺憾の意を表明する等抗議が行われたが、実際には、1994年に至るまで米国司法省による域外適用はなされなかった。