訪インド投資環境調査ミッション(団長 歌田勝弘氏)1/26〜2/5

経済改革に取り組むインド


1947年の独立以来、40年以上にわたって続けてきた自給自足型の計画経済体制から脱却したインドでは、91年7月以降、規制緩和と国営企業の民営化、外国資本の積極的誘致を中心とする外部に開かれた市場経済を目指して改革を進めている。持続的な安定成長と対外収支の改善などマクロ経済面でも良好なパフォーマンスを示す中、欧米諸国からの直接投資も急増しており、将来性のある有望な投資先として世界的にも注目を集めている。
経団連では、投資環境調査ミッション(団員約40名)をインドに派遣し、主要都市における自由化政策の進捗状況を観察し、今後の直接投資の進め方や協力の可能性を探ってきた。

  1. 地方都市からみた経済改革

    今回のミッションでは、マドラス、バンガロール、ボンベイ、デリーの順でそれぞれの都市を訪問することになった。これはラオ首相が推進する新経済政策のもとで、変わりゆく地方都市の現状を見聞し、そのうえで中央に赴き経済政策をめぐり政府首脳や経済界関係者と意見交換を行い、投資先としての可能性を探ることを狙ったからである。
    インドは州ごとに独自性豊かな特色のある発展を続けており、経済情勢に止まらず、文化や社会、宗教や言語に至るまで、多様性に富んでいる。また、どこの都市でも街の景観には、前近代的なスラムと近代的な高層ビルとが同居しており、見るものに雑然とした中にも経済活動の活気を感じさせる。投資環境に関する中央政府からの説明だけでは、この国を十分に理解することは到底不可能である。

    インドの地図

  2. 外貨準備の危機を経験

    91年4月に外貨準備を約10億ドル、輸入金額の1カ月以下という危機的な状況に直面してから、インド政府は輸出振興に本格的に取り組み始めた。
    インドの企業経営者は、91年以前は真面目にモノを作って輸出しようとはしなかったという。ライセンスのもとで高価で粗悪な製品を作っていた。高率の関税に守られた国内市場では、それでも売ることができたのである。そのころのインド企業の経営者は、自分たちの技術力に国際競争力がないことを誰もが知っていた。このような状況を打開すべく政府が立ち上がることになった。電力供給などのインフラ整備、資本財の輸入関税免除、タックス・ホリデーの付与など、輸出加工区を中心に外資系企業の誘致に積極的に乗り出すことになる。

  3. 後戻りのない経済自由化政策

    9億人の人口を抱えながらの経済改革は、全土にわたって企業活動にも徐々にではあるが着実な変化をもたらしている。今回バンガロールで出会った機械関係の企業経営者からは「自由化により事業の可能性は拡大しているが、企業間の競争激化に伴い、多くの同業他社が今後淘汰されていくだろう。この流れは、もう誰にも止められない」との声を聞いた。
    インドは民主主義の国であり、何事も政策の決定には時間がかかるという。近く地方選挙が実施されることになっており、選挙の結果によっては、政権党が変わる州も出てこよう。しかし、現在進められている経済自由化政策については与党も野党も支持していることから、この潮流が後戻りすることはもはやあり得ないというのが一般的な見方である。

  4. 投資先としての長所

    インドの企業経営者とだけでなく、既にインドに進出している日本企業関係者とも懇談する機会に恵まれた。投資先としてのインドの長所について、異口同音に指摘されたことは、まず第1に市場の大きさである。貧富の格差が大きい国であるが、総人口9億人のうち2億人程度は中産階級で、購買力も先進国と変わらないといわれている。労働者の賃金水準は日本の10分の1から20分の1でありながら、優秀であり英語も通じる。物事の考え方も日本人に比較的近く、日本人に対しては友好的である。現地の日本企業関係者の話では、もちろん場所によって異なるが、治安も良い部類に入るとのことであった。

  5. 高まる期待と日本との経済交流

    インド側に同じアジアの国との見方もあるためか、日本からの投資に対する期待は非常に強い。欧米諸国からの対インド投資が近年急増している中で、日本からの投資は伸び悩みの傾向にある。これを受けて多くの機会に「日本企業は何故インドへの投資に躊躇しているのか」との質問がインド側から出された。
    日本側からは、「かつての計画経済下の閉鎖的な経済運営のイメージが強く残っているのが一因である」と回答したが、今回のミッションを通じてインドに対する認識を新たにすることができたとの指摘が相次いだ。また、「日本企業の特質として物事の決定には時間を要するが、綿密な計画に基づいて事業が進められるので、一度決めれば途中で投げ出すようなことはない」との考え方も披露された。
    歴史的に見ても、インドと西欧との関係は、人種的なこともさることながら、東インド会社の例にもあるように厚みがある。かたや日本との間には6世紀に渡米した仏教があるだけで、それも一方通行のままで終わってしまい、その後は交流が途絶えてしまった。仏教自体も日本では開花したが、インドでは廃れてしまっている。現在、インドの仏教徒は、人口比率で僅かに0.7%しかいない。日本人はインド人に慣れていないともいえる。インドとの経済的な交流関係はいま緒についたばかりだ。

(本稿は2月1日、ニューデリーより発信された中間報告)


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