国土政策委員会(委員長 増澤高雄氏)/2月3日

新しい時代の次期全総計画の策定に向けて


国土政策委員会では、大阪産業大学経済学部の今野修平教授を招き、広域地域開発と次期全総計画のあり方について懇談した。今野教授は「わが国は新しい時代に入り、それに対応した次期全総計画の策定が必要だ」と指摘した。
なお懇談後には、経団連がナショナル・プロジェクトとして推進しているむつ小川原工業開発の現状並びにむつ小川原港の整備促進に向けた取り組みについての報告を行うとともに、「むつ小川原港の整備促進について」と題する要望書につき追認を得た。

今野教授説明要旨

  1. 国土政策とは
  2. 全国総合開発計画(以下、全総計画)は、わが国の発展に資する基幹的な社会資本整備を進める長期的政策である。政府には財政計画や事業別5カ年計画(道路、河川、都市公園など)といった短期的計画はあるが、全総計画は、これら各種計画の基本となる計画である。
    最初の全総計画の策定にあたった吉田達男氏(都市化研究公室専務理事)は、「社会資本ABC論」を唱えた。すなわち、Aは全国的波及効果がある社会資本計画(新幹線、港湾など)、Bは地域経済波及効果がある社会資本計画(市民ホール、病院など)、Cはコミュニティー経済波及効果がある社会資本計画(学校、幼稚園など)であるが、先進各国では、中央政府はAを、地方自治体はBやCを推進しており、わが国でも政府が責任をもって全総計画を策定し推進する必要がある。

  3. 戦後国土政策の回顧
  4. 戦後の混乱期を脱し、高度成長が始まった1950年後半から、東京圏、中部圏、近畿圏等の既成工業地帯とそれ以外の地域の生産性の格差が著しくなったことから、それ以外の地域の工業化・開発を目的に、62年に最初の全総計画(70年を目標)が策定された。
    その後、予想を上回る高度成長が続き、大都市への集積と地方都市の過疎化が同時に進んだ。こうした状況を是正するため、69年に新全総(85年を目標)が策定され、新幹線や高速道路の計画などによる拠点開発が盛り込まれた。
    73年の第1次石油ショックを契機に、日本経済は安定成長軌道に転じた。限られた国土資源を前提として、安定感のある地方定住圏を整備する観点から、77年に三全総(おおむね87年を目標)が策定された。
    その後、モータリゼーションなど交通の高速化を背景に、80年頃から再度東京圏への人口集中が始まった。このような東京一極集中現象を是正すべく、87年に多極分散型国土形成を目的とした四全総(おおむね2000年を目標)が策定された。

  5. 新しい時代の始まりと新政策の課題
  6. 昨年開かれた四全総総合的点検調査部会(94年6月に調査報告)では、わが国が新しい時代に入ったという意見が強く出された。
    まず第1に、グローバル時代の到来である。わが国では明治維新後、外国との付き合いは基本的に外務省を通して行われてきたが、今後は国民一人ひとりが外国と接するようになる。東京と青森とでは、1人当たりに対する外国人数は約10倍の差があるため、このような地域差を是正すべきである。
    第2は、人口減少への対応である。既に、全国の約6割の市町村で人口減少が起こっており、今後は、欧州の人口減少対応策などを参考に、わが国独自の対策を検討すべきである。
    第3は、高度情報社会への対応である。特に、今回の阪神大震災のような大地震の際に、通信ネットワークに甚大な被害が及ぶ。災害から情報を守る国土づくりを念頭に入れなければならない。
    第4は、地方主体の国土づくりである。これまでの国土づくりは、霞が関からのトップ・ダウン方式で行ってきたが、地方分権が進む中、次期全総計画では、地方が行えることは地方に任せ、政府はそれ以外の領域で力を発揮すべきである。
    第5は国内産業の空洞化への対応である。生産拠点がアジアに移転するのに伴い、日本は生産基地から、頭脳基地に転換しなければならない。そのためには、基礎研究が十分に行えるような投資を行うべきであり、また東京を中心とした投資から、地方に向けた投資を進めるべきである。


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