創造的な人材の育成に関する懇談会(座長 末松副会長)/3月27日

日本の教育をどう見るか

− NHK野原解説委員と懇談 −


創造的な人材の育成に関する懇談会では、現在の教育システムが抱える諸問題について、初等・中等教育を含む学校教育全般、さらには、家庭や社会における教育などを含めて幅広く検討し、企業や経済界が果たすべき具体的な課題を探っていくことを目的としているが、第1回会合で東京大学前総長の有馬先生と懇談したのに引き続き、NHK解説委員で文化女子大学教授の野原明先生より、偏差値偏重教育や子供の塾通いの過熱、家庭の教育力の低下など、教育全般の問題について話を伺うとともに懇談した。以下は、その概要である。

1.日本の教育をどう見るか
− 野原先生説明要旨

1.高まる通塾率

文部省の調査によれば、1993年度の通塾率は、1985年度と比較すると、小学校6年生が29.6%から 41.7 %へ、中学校3年生が47.3%から67.1%へと大幅に増加している。
しかも、最近は、低年齢化、地方への拡散が進んでいる。小学校1年生の通塾率は、8年前の2倍となっているし、小学校1年生から中学校3年生までの平均の通塾率を都道府県別に見てみると、1位は徳島県(57.1%)となっている。
こうした学習塾通いの過熱は、学校や家庭において、教育とは、偏差値を高くすること、すなわち、良い大学に進学することと考えられているからに他ならない。
最近問題となっているいじめも、子供の評価が全て学科の成績・偏差値で行われることに原因があると思われる。

2.歪んだ学歴主義

一昨年より中学校から高校への進路指導に偏差値を用いないことになったが、学校では、依然として分かる授業ではなく、偏差値を高める授業が行われている。
加えて、家庭の教育力が失われている。親は、子供に勉強しやすい環境を与えてはいるが、基本的な生活習慣を身につけさせてはいない。
大学にも責任がある。大学生を対象にした就職講座で論文指導を行うことがあるが、最近、文章を書けない学生が増えている。小・中・高と、暗記至上主義で、試験で点数をとることが重要で、試験の後は忘れてしまうという勉強では、考える能力や創造力は身につかない。
学生も、マスコミ、金融、商社など違った業種の会社を受けており、目標をもって就職に臨んでいるとは思われない。
さらには、企業側の採用にも問題がある。バブル期には、新入社員を大量に採用していたが、ひとりひとり丁寧に対応するのではなく、出身大学で判断してきたのではないか。
こういう状況のもとでは、何としても良い大学に入らなければならない。そのためには、良い高校、良い中学、良い小学校、果ては、良い幼稚園に行くために塾に通うということになる。歪んだ形の学歴主義に陥っているのである。

3.求められる改革

今後は、まず、大学入試の改革が必要である。センター試験で一般的な能力が分かるのであるから、2次試験は、学部学科にふさわしい学力や適性を見れば良いと思うが、現実はそうではない。手間がかかるとの意見もあるが、良い学生を入学させるためには、ある程度の手間は必要である。
企業も、採用にあたって、出身大学を重視するのではなく、欲しい人材を丁寧にとって欲しい。
現在、大学で、カリキュラムの改革が進んでいるが、ほとんどの大学で、一般教養科目を減らし、専門科目を増やしている。高校までの間に一般教養を身につけることができれば良いが、それがむずかしいならば、大学で一般教養を教えるべきである。文学や哲学に触れたことのない専門知識だけの学生が、社会の変化に主体的に対応していけるのか、はなはだ疑問である。
高校以下の教育も、受験のための教育ではなく、知的好奇心をかきたて、自分でものを考えることを教えていくべきである。そのためには、先生自ら考えなければならない。自ら考えない先生では、社会の変化に主体的に対応できる生徒を育てるのは不可能である。
父親も子供の教育に関与すべきであり、企業もそのための環境整備を行う必要がある。授業参観にも出られないようではいけない。最近、ボランティア休暇がクローズ・アップされているが、休暇の面で、父親が子供の教育に参加できるようにしていくべきである。

2.懇談概要

経団連側:
教師は、いじめや怪我などで怒られてばかりである。待遇も高くない。魅力のある人は、先生になりたがらないのではないか。
野原先生:
少子化が進んでいることから、希望してもなかなか先生になれないのが現状である。むしろ、先生の採用が、学力偏重であることに問題があると思う。
経団連側:
家庭の生活パターンのくずれが企業を直撃している。
野原先生:
偏差値教育で育った人が親になっている。
経団連側:
今の大学生は勉強していない。教養より専門をみっちり教えるべきではないか。
野原先生:
センター試験に相当するフランスのバカロレアで、「現代のように科学技術が進歩した社会において何故宗教が存在するのか」という論述問題がでたことがある。日本でも、論理的思考を教えるべきである。高校以下の教育に期待できないとなると、大学で教えるしかない。
経団連側:
学校にあまりに多くのことが期待されているために、何かあると学校の責任が問われる。そのために、先生の行動が縛られてしまう。このことが、子供の成長にとって悪影響を及ぼしているのではないか。
野原先生:
学校の外にいけば体験できるものがあるにもかかわらず、先生は事故を恐れて外につれていかないという現実がある。親も多少のことは目をつぶるという考えになっていかなければ変わらない。


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