今年度は、中国などから合計32名を受け入れ、奨学金を2年間にわたり支給するが、支援総額は7,000万円に達する。
今年度の奨学生の1人、中国から立教大学に留学している方博さんから、夏休みの『生活報告書』が当財団に送られてきた。その一部を紹介する。
「……平安神宮は、全体的に鮮やかな朱色にめでたく塗られているが、私にはとてもけばけばしく見えてならなかった。一方、われわれは平等院などの古い寺を見るときに、そのわずかしか残っていない褪せた色彩に目をひかれて、歴史の重さ、文化の深さを感じるなどと言う前に、まず気持ちが穏やかになれるのである。
しかし、考えて見れば、この古い色彩は、実はその当時は、いまの平安神宮と同じくらいけばけばしかったとも十分に考えられる。とすれば、けばけばしさや未熟さが、『時』に磨かれ、消えていくと共に、建物自体の価値は実現されてくるのではないか。時が経つということは、淘汰することであり、洗練することでもあると初めて実感した私だった。
日本には、このように今を表現する平安神宮と、歴史を代表する平等院とが併存しているが、中国では、どんな古いものでも、機会されあればそれを斬新にしてしまう傾向が強い。お寺にしても、しつこく金箔などの光るものを使って、昔を再現しようとする。われわれ今の中国人の中には、大昔からの膨大な書物の中で、輝いていた中国文明を思い出すだけではもう満足できず、その輝きをもう1回現実にしようという思いが潜んでいるのかもしれない。中国では、幾度の災難や人々の過度なきらびやかさへの追求により、昔のままの建物がほとんど残っていないというのは、なんとも残念なことである……」
彼の文章は「このような思い出がいっぱいできたのも、経済的に許されたことだったからであり、つくづく私を応援して下さる方々に心より感謝するばかりである」と結んでいる。石坂財団の援助により、故郷の国を見つめなおす学生が、また1人ここに生まれた。