第6回ミャンマー研究会(座長 春名和雄氏)/11月6日

日本との経済関係拡大を望む
─オン・ジョー外務大臣と懇談


このほどミャンマーのオン・ジョー外務大臣が来日した。この機会にミャンマー研究会を開催し、意見交換を行なった。以下はその概要である。また、研究会に先立ち、同大臣は豊田会長とも懇談した。なお、94年6月に経団連の経済調査ミッション(団長:春名氏)が同国を訪れた際にも、ミャンマーの外交政策、麻薬問題や人権問題に対する考え方、環境保全対策、憲法制定のための国民会議での審議状況などについて同大臣から説明を受けている。

  1. オン・ジョー外務大臣発言要旨
  2. 多くの日本企業が、ミャンマーに関心を持っていることを大変心強く思う。日本とは長い協力関係の歴史があり、わが国としては日本との経済関係が一層緊密になることを願っている。わが国は過去30年間、休眠していたが、アジア経済のダイナミズムと世界の動きに伴い、7年前に目覚めた。そのときから経済改革に着手し、計画経済から市場経済への転換に取り組んでいる。現在の政府は法秩序の回復とともに、経済的な発展を目指している。

    わが国は、中国、インド、タイ、ラオス、バングラデシュの5カ国と国境を接しており、これらの国々との間で国境貿易も行なっている。現在、ASEANとの協力体制を強化すべく努力している。96年にはASEANのオブザーバーとなる予定である。経済の自由化を進め、ASEANの一員として経済発展に貢献したい。国内政治が安定し、わが国に対する外国の関心も高まっている。

    法律や制度は時代の変化に合わせて常に見直さなければならない。外国投資法を制定し、投資環境の整備にも努めている。海外の投資家とも経済発展の成果を等しく分かち合えるようにしたい。わが国は多くの天然資源を産出し、専門知識を持つ人材にも恵まれている。海外からの投資を誘致すべく、わが国に関する情報は積極的に提供していきたい。

    経済面での目標として農業生産の向上に重点を置いている。2000年にわが国人口は5,000 万人になると予想される。食糧の安定供給のために、ダム建設、河川の有効利用、灌漑技術の導入によりコメの増産を目指している。94年のコメ輸出は100 万tであり、95年は150 万tが見込まれる。その他、綿花、豆、砂糖キビも生産しており、農業を中心とした工業化を進めている。

  3. 懇談
  4. 経団連:
    ミャンマーにおける計画経済から市場経済への変革の特徴は何か。
    大臣:
    1962年〜88年、経済活動は政府の統制下にあったが、国民が変化を求め、市場経済に移行した。海外とも積極的にコミュニケーションを図ることが重要だと思うようになった。幸いにして、わが国には英語を話せる国民が多く、商法、会社法なども整っており、これらの点でその他の社会主義諸国とは異なると思う。

    経団連:
    ミャンマーに対する国連など国際機関の姿勢に変化はあるか。残された反政府勢力との和平交渉の見通しはどうか。
    大臣:
    わが国は、国連の加盟国として何ら問題のない透明性の高い国である。過去には国連事務総長も出している。冷戦の終結とともに二大国のうち一方は崩壊してしまった。大国は人権、麻薬問題、民主化を基準に、独立した国に圧力をかけてくる。わが国はASEANや非同盟諸国と協調しているが、内政干渉の権限はいかなる国も持ちえない。正確な情報が伝わっておらず、誤解を生んでいる。国民会議で憲法制定のための審議を続けているが、憲法が公布されれば誤解は解けるだろう。わが国にとって少数民族問題は極めて重要な政治問題である。独立以来40年間、16の反政府勢力が山岳地帯に潜伏し、中央政府と対立してきたが、7年前から和平交渉を続け、既に15.5の勢力が帰属した。残っているのはカレンの半数であり、間もなく問題は解決すると思う。麻薬問題は貧困問題でもある。ケシは国境地帯で栽培されているが、これらの地域は貧しく、他に生活手段がないことが最大の問題である。取締りとともに良好な生活環境を作り出すことが何よりも必要であり、政府としては解決に向けて努力している。日本からも支援を受けている。

    経団連:
    租税条約、工業所有権保護に関するパリ条約、著作権保護に関するベルヌ条約など、条約の締結状況はどうなっているのか。
    大臣:
    良好な投資環境を作るためにも各種条約の締結は必要な措置だと考えており、その方向で努力している。森林保護など環境保全に関する条約には既に加盟したが、今後どの条約を締結するか、外務省、法務省で優先順位を検討している。


最近のミャンマーの動き

88年  9月 国家法秩序回復評議会(SLORC)の成立
   10月 民間貿易の自由化
   11月 外国投資法の制定
89年  3月 社会主義経済政策の放棄を発表、
      国営企業の独占を禁止する国営企業法の公布
89年  7月 スー・チー女史を自宅軟禁
    9月 投資商業銀行の設立
90年  1月 ミャンマー商工会議所の再開
    3月 商業税法の公布
    5月 複数政党制による総選挙実施
    6月 観光法の公布
    7月 中央銀行法、金融機関法、農業・地方開発銀行法の公布
   11月 民間企業法の公布
91年 10月 スー・チー女史にノーベル平和賞
92年  4月 タン・シュエ議長就任
    5月 外貨送金の自由化
    6月 預金銀行法の公布
    9月 民間銀行第1号開業
      戒厳令、夜間外出禁止令の解除
93年  1月 憲法制定のための国民会議開会
    2月 外貨証券(FEC)発行
94年  6月 経団連ミッション派遣
    7月 ASEAN拡大外相会議に招待
    9月 軍政/スー・チー第1回会談
   10月 軍政/スー・チー第2回会談
   11月 米国国務省ハバード次官補代理来訪
   12月 李鵬中国首相来訪
95年  2月 経団連ミャンマー研究会設立
    7月 スー・チー女史自宅軟禁解除
    8月 ASEAN拡大外相会議に招待
   10月 マウン・エイSLORC副議長の来日

日本語のホームページへ