グエン・ディン・ロック司法大臣
当時のベトナムには民法の概念や知識が存在せず、民法の専門家も限られていた。また、計画経済体制自体が民法制定にとっての最大の障害であった。すなわち、国民生活は配給制を中心としており、個人の自発的な行動は期待されず、政府の統制が生活の各方面に浸透していた。計画経済下の国民生活をどのように民法に反映させるかが課題であり、戸惑いでもあった。このようななか、80年代後半からドイモイ政策が実行に移されていった。
その後の92年憲法は、民法制定にとっての大きな原動力となった。同憲法に商業活動の自由、国家の管理下における市場経済の推進が規定されたからである。ドイモイが成果を上げ始め、個人の活動が活発になり、民法制定に対するニーズも強まった。国民の間でも「私人の権利義務とは何か」との問題意識も高まり、個人の取引や契約に関する法的枠組みを作る必要性が認識されるようになった。
民法は国民生活の基本を律する法律であり、国民各層から幅広く意見を求めた。今回の民法制定ほど各方面から多くの意見が出されたことはなかった。法律制定にあたり、多方面から意見聴取するのはベトナムの伝統である。通常の聴聞期間は1〜2カ月だが、民法については最終草案のヒアリングだけでも8カ月を要した。大衆討議用の資料を作成し、全国に配布し、国民から寄せられた意見を研究する担当部署も設置した。すべての作業を終了した段階では、838条からなる民法案となった。
日本の民法から学んだことに「公共の利益の尊重」(2条)がある。ベトナムは計画経済から市場経済への過渡期にあるが、この変化の過程では、古いものを排除するのではなく、古いものを少しずつ新しくしようとしている。法律の縛りが厳し過ぎると現実から遊離し、緩やかだと経済発展のプロセスを後退させることになる。
民法は国民生活を律するので、外国の民法をそのまま国内に適用することはできず、ベトナムの伝統や習慣を踏まえて、取捨選択する必要があった。民法の根本精神は個人の権利の尊重であり、これは92年憲法が掲げる大きな原則でもある。
第5章の土地使用権の譲渡は、ベトナム固有の規定である。ベトナムでは土地は国が所有し、個人に使用の権利を認めている。第6章の知的所有権については各国の新しい民法を参考にした。
一連のドイモイ政策のなかでも、民法の制定は特に大きな出来事であった。ドイモイの現状を民法に反映させるととにも、ベトナム特有の慣行を踏まえて、各国の最新の成果も取り入れてきた。ベトナムでは村の団結が固く、共同体意識が強い。権利主張が強くなることによって、争いが多発するようでは困る。民法の制定には、国民が踏まえるべきルールを国民にも周知させるという意味もある。ベトナムでも裁判が多くなっているが、法律に対する国民の知識が少ないことも原因のひとつである。新しい民法が適用されていくうちに、改正の必要も生じてこよう。今回の民法は内外から高い評価を受けているが、国民生活や経済発展に寄与することを願っている。
今後、商法の制定、投資法、税法の改正を予定しているほか、銀行法、鉱産物に関する法律など経済関連の諸法律の整備も考えている。