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多様で豊潤な概念「共生」

月刊 keidanren増刊号『私の共生論』を発刊


「敗戦後の外地で俘虜生活を送る私たちが恐れたのは衛生状態の悪化による伝染病の発生であった。この時、ファーブルがいう『地から不浄を取り去ることを天職とする』糞虫が営々として糞ころがしをする姿を見て、天の啓示を受けた思いであった。」戦後50年を経て、八十二銀行の小林春男相談役は「これが私の共生論の原点だった」と回顧する。

経団連では、会員企業の経営者135人が、こうした「自分にとっての共生」を綴った小論をまとめた月刊keidanren増刊号『私の共生論―経済人135人のオピニオン』を、このほど発刊した。本誌では、小林相談役のような「共生の原体験」を語るものから、欧米・アジアなど海外諸国との共生、環境との共生、消費者・生活者との共生などまで、「共生」をキーワードに、経営者にとっての経営哲学、人生観を交えた、多種多様な共生論が展開されている。

「共生」という言葉を平岩前会長(現名誉会長)が使われたのは1991年、欧米との貿易不均衡が国際問題となっていた時であった。当時の共生議論は「海外との共生」が中心的課題であったが、その後の社会情勢の変化により、共生の理念は、環境との共生、消費者・生活者との共生など、さまざまな領域においてポジティブな意味を広げてきた。経団連でも「共生に関する委員会」をはじめ、関係委員会で、共生の深化と実践に努めてきた。

高丘季昭委員長のもとで設置された共生に関する委員会総合部会では、共生の理念について「世界的な変化のうねりの下では、単一の価値観による固定的な概念としてよりも、多様な価値を認める豊潤な概念として捉えるべきである」とまとめている。

奈良久彌三菱総研会長はこう言う。「共生は生まれて日の浅い言葉であり、その解釈は人により多様である。しかしおそらく、完全な定義をしようとすべきではない。例えば企業経営という語が喚起するイメージは、新入社員、中間管理職、管理者、経営者それぞれの間で大いに差があるだろう。同様に、共生という語が提供しうる理念の豊かさは、これを是とし行動基準として企業やその社員が内面化するプロセスと経験の中で大きく拡がっていくものと思う。われわれは共生という原石を磨き、育てていくべきなのである。」

「共生」の理念はいかにあるべきか。135人の経営者の135様の共生観をご一読いただきたい。


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