ミャンマー研究会(座長 春名和雄氏)/2月9日

経済改革、少数民族との和平交渉で成果を上げるミャンマーの軍事政権


ミャンマーに88年9月、SLORC(国家法秩序回復評議会)が誕生してから7年半が経過した。この間、SLORCは、治安の維持と秩序の回復、少数民族との和平、経済情勢の改善、新憲法制定に向けた国民会議の開催など、困難な課題に精力的に取り組み、これまでに大きな成果を上げている。ミャンマーの国づくりの現状と今後の見通しについて、山口洋一駐ミャンマー大使に聞いた。

  1. 政治情勢
  2. ミャンマーに関する一般的な報道は現地の実情を正確に反映していないものが多い。88年以前の26年間、ビルマはネ・ウィン体制のもとでビルマ式社会主義が続けられ、近隣諸国の進歩から取り残された。経済が停滞し、国民の不満が鬱積して88年の暴動に繋がった。多数の犠牲者が出るなど、治安が悪化したため、SLORCが政権を担うことになった。その後、国内は秩序を取り戻し、現政府は複数政党制による民主的な体制を目指して、憲法制定作業を進めている。現在までに10の政党が組織された。

    政府は仏教徒や学生に対しても特別な対策を講じている。仏教徒対策としては、中国から釈迦の歯を借り受け、象牙で複製を作成し、寺院に納めるなど、民心掌握に気を配っている。また学生対策として、寮の建設や大学施設の改善なども行っている。

    ミャンマーは人口の約7割をビルマ族が占めるが、135の少数民族から構成されている。このうち16の少数民族が反政府武力闘争を続けてきたが、既に15勢力との間では和平が成立し、残りはカレン民族同盟(KNU)だけとなった。カレンとの間でも和平交渉が始まっており、近く決着するとみられる。また、麻薬王クン・サーは23,000人のモンタイ軍を率いていたが、最近、約1万人の将兵とともに投降した。

    95年7月、アウン・サン・スー・チー女史が自宅軟禁から解放された。現在でも5人以上の集会は禁止されているが、政府は同女史の政治活動を黙認している。その後、同女史は「外国がミャンマーへの援助を始めると軍事政権を支えることになるので、援助はすべきではない」などと発言するまでになった。95年11月には、NLD(国民民主連盟)が国民会議を一方的にボイコットした。これらの行動をみてミャンマー政府は、「同女史は真面目に対話するに値しない。30年間、外国生活を続けた同女史はミャンマーの実情を十分に認識しておらず、周囲には優秀なブレーンもなく、政権を担当できるだけの能力はない」と判断した。

  3. 投資環境の改善
  4. ミャンマー経済は、過去3〜4年間、6〜9%の成長を続け、民心安定の大きな要因となっている。現政権はネ・ウィン時代の政策を180度転換し、経済自由化政策を進めている。マクロ経済のパイは着実に拡大しており、ヤンゴンは活気に満ち、多くのプロジェクトが進行中である。一般に途上国の場合、経済が成長していれば、分配面で多少の不公平があっても、市民生活は着実に向上する。経済情勢の改善は、現政権の大きな成果の一つである。

    インフラについては、日本企業を中心に工業団地のプロジェクトが進められている。工業団地内の電力、水道、排水処理施設などのインフラ整備にミャンマー政府も積極的に対応しており、インフラ不足はかなり改善されるだろう。

    二重為替問題については、公定レート(1ドル=約6チャット)を実勢レート(1ドル=約120チャット)に一本化すべく準備が進められている。95年12月にFEC(外貨証券)の交換センターがヤンゴン市内のほかマンダレーなど地方都市にも設置され、実勢レートでの交換が可能になった。関税率も大幅に見直されている。国有企業は公定レートで原材料を安く入手してきたが、実勢レートになると大きな影響がでるため、個別の対応が検討されている。

    インフレについては、最近は20%台前半で推移している。ハイパーインフレとはいえず、企業活動にとって、それほど大きな阻害要因ではなくなっている。

    ミャンマーは英国植民地であったこともあり、法制が整っており、英語も通じる。農業国で、労働力の質は高く、天然資源、水産資源も豊富である。木材輸出は抑制しているが、植林に力を入れている。親日国で、日本との関係強化を望んでいる。

    賃金水準については、例えば市が雇っている清掃作業員の日当は50チャット(約40円)、建設現場の労働者は100チャット(約80円)、技能労働者は250〜300チャット(約200円)である。

  5. ミャンマーを取り巻く国際関係
  6. ミャンマーの対外政策の基本は等距離外交であるが、特にASEANとの関係強化に力を入れている。95年12月のASEAN首脳会議にはタン・シュエ首相、キン・ニュン第一書記がゲストとして招かれたが、本年7月の高級事務レベル会議から、ミャンマーはASEANの正式なオブザーバーになる。ミャンマーのアイデンティティは東南アジアの国ということだ。「ASEAN10」は既定の事実になりつつある。96年1月にはタン・シュエ首相が訪中した。カンボジア、ラオスとも関係を築きつつある。

    我が国も現政権との対話を通じて、民主化の努力を支援しており、その成果に応じてODAの再開も検討することにしている。欧米諸国はミャンマーに対して批判的な態度をとり続けている。欧米のメディアはミャンマーの実情を詳しく知らないまま、欧米流の尺度で報道しており、これがミャンマーのイメージ・ダウンにも繋がっている。現政権にとって90年の総選挙は禍根となった。485議席の選挙であったが、あの時点では一院制か、二院制か、大統領制か、議員内閣制かの区別も不明であった。選挙でのNLDの得票率は4割強であったが、小選挙区制のため当選者議席の8割を占めた。現政権は「憲法審議には少数民族も含まれており、拙速な議論では不満が残るので慎重に進めている。憲法制定後に民政移管する」と説明しているが、国際世論の誤解は解けていない。今後、NLDが政権担当の能力をつければ、SLORCも政権を渡すだろう。そうでなければ、選挙で多数を占めた他の勢力が政権を担当することになろう。


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