東亜経済人会議日本委員会1996年度総会(委員長 服部禮次郎氏)/5月30日

台湾の李登輝総統就任演説を読む


台湾では5月20日に総統就任式が挙行され、初の民選総統となった李登輝総統は、民主主義の勝利や中国との緊張緩和などを謳った就任演説を行なった。この演説に対する中国の反応や、今後の両岸関係に与える影響が注目されている。そこで、東亜経済人会議日本委員会では、5月30日に開催した1996年度総会において、慶応義塾大学法学部の国分良成教授より、中国と台湾をめぐる情勢について説明を聞いた。以下はその概要である。

  1. 李登輝総統は中国人か?
  2. 数カ月前に訪中した時、会う人ごとに「李登輝は中国人か」と聞いてみた。返ってきた答えは、誰ひとりとして李登輝を中国人と思っていないというものだった。その理由は、中国人には独特な行動パターンや発言の仕方があるが、李総統はそれを逸脱しているからだという。中国人は原則と面子を重んずるが、李総統は原則が絶えずぶれているし、考え方が柔軟でフットワークが軽過ぎる。中国人からすれば、李総統がどう動くかまったく読めないということだ。
    確かに李総統は中国人ではないかもしれないが、彼は中国人をよく知っている。長年、国民党で外省人たちに囲まれて活動しているうちに、中国人の考え方を理解するようになったのだろう。今回の就任演説を見ても、李総統は中国人との論争の仕方を知っているなと感じた。北京政府にとって見れば、対応に困るというのが本音だろう。

  3. 中国の面子を重んじた就任演説
  4. 今回の就任演説は、いわば李総統の4年間の施政方針演説である。この演説の中で、彼はしばしば「中華民族」と「中国人」という言葉を使い、独立しないことを強調した。これは非常に重要な点である。李総統は、自分の4年の任期中に、統一も独立も不可能だということを十分に認識した上で、ある意味で自分自身を過渡的な存在として位置づけた。これは普通の政治家にはなかなかできない態度である。
    また、彼は中国への配慮も忘れていない。台湾人は中国人であると強調するとともに、「中国人は中国人を助ける」という方針を打ち出した。その上で独立を否定し、統一を掲げた。これらは中国の最大の原則であり、李総統は原則を重んずることで中国の面子を立てたといえよう。

  5. 北京へのインパクト
  6. 施政方針演説の中で李総統は、「中国人には民主主義を運営できる能力があるということを証明した」とし、台湾にできることは中国でもできると述べた。李総統の立場は、民主主義の価値観は世界中どこでも変わらず、特殊状況は許さない、というものである。さらに、「大台湾を経営し、新中原を建立する」と謳い、大陸をはるかに上回る教育レベルと文化を持つ台湾が、今後は文化の主導権を発揮し、新中原の役割を担うことになるだろうと述べた。
    これらは大きな侮辱とも取れるが、それでも中国は慎重に対応せざるをえない。なぜなら、李総統は中国の原則に則っており、原則を重んじた上で譲歩を引き出すというのが中国人の交渉術だからだ。実際、中国側は、批判はしても名指しは極力避けている。中国は攻勢に出ているように見えるが、実際は受動に立っている。演説の解釈をめぐって、共産党内でも盛んに論争が行なわれている。この意味で、今回の演説が中国に与えた影響は絶大だったと言える。

  7. 米国と中国の立場
  8. 対中政策において米国の立場は常に微妙である。冷戦中はソ連という共通の敵がいたため対立は少なかったが、冷戦終結と天安門事件をきっかけに、米国は人権と民主主義を掲げるようになった。この旗印のもと、今や多くの議員が超党派で台湾側に立ち、この問題に積極的に関与している。しかし、米国にとって、市場としての中国の魅力もまた重要である。11月の大統領選挙まで、米国の対中政策における政治と経済のアンバランスは当分続くだろう。
    中国は台湾を最重要問題と考えている。第1には、中国共産党の正当性に触れる問題だからだ。台湾を平定して、初めて国家が完成するのである。第2には、台湾問題に寛容な態度を取れば、中国の分散化傾向が一層強まる恐れがあるからだ。とは言え、台湾は中国が抱える問題の一部に過ぎない。米国、日本、香港、ロシアなど、中国を取り巻く情勢は厳しさを増しており、中国は自らが封じ込められているという被害者意識を持っている。加えて、国内には地域格差や国有企業改革など問題が山積しており、まさに内憂外患と言えよう。

  9. 日本が果たすべき役割
  10. 日本はかつて天安門事件の時に、円借款をいち早く再開するなど、中国を国際社会に引き込むことに腐心した。しかし今は中国に対するイメージの悪化から、むしろ厳しい態度を取っている。少なくとも中国には、日本は中国を孤立化させようとしているように見えるだろう。
    日本と中国、台湾の3者の最も望ましい関係は、まず第1に冷戦思考を排除することである。もはや中国と台湾の二者択一の時代ではない。例えば、日本と台湾の企業が手を結んで中国に投資すれば、これは中国にとってもプラスである。このように、平衡点を見い出していくことが必要だ。第2点は、バランスを崩さないことである。台湾にとって一番重要な関係は米台でも日台でもなく、中台関係である。両岸が常に接触していることが、安定構造の基礎となる。日本はそれを促す努力をすべきだろう。

  11. 台湾についてよく知ることが必要
  12. 台湾に対して日本はどうあるべきか。私は大学で台湾について講義をするが、若い学生は台湾についてほとんど知らない。これは悲劇である。日中国交回復後、日本は中国に対する贖罪の意識から、ずっと台湾を忘れてきた。日本の目が台湾に対して真剣に向けられるようになったのは、ごく最近になってからである。われわれは、もっと台湾について勉強する必要がある。
    政府間の関係は、国際関係を形成する要因の一部でしかない。全体の国際関係を考えてみれば、日本と台湾の関係は大変良好である。もちろん、これは台湾の人たちの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。この素晴らしい関係を、今後ともますます発展させる余地があると思う。


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