環境安全委員会(委員長 辻 義文氏)/9月20日
しかしながら、規制の導入に伴って生じた経済社会の硬直化や行政コストの肥大化などから、欧米では、“国の失敗”が問われ、経済的規制のみならず、社会的規制の見直しに着手している。
わが国においても、技術革新の進展や行政事務負担の軽減などの観点から、国による規制は必要最小限の範囲・内容に留め、安全確保や被害補償については、事業者の自己責任と事後救済を重視する方向に転換すべきである。
事故が発生すれば企業の評判を落とし、その後の事業活動に差し障ることや、製品の安全性に留意するとともに、当該製品に関する情報提供を十分に行なうことが競争力に繋がることなどを考えると、安全の確保は市場メカニズムにある程度組み込まれていると言えよう。
また、自己責任原則に基づき規制を見直すにあたっては、事前的対応として、安全確保に向けた投資を行いリスク回避に努める一方、事後的対応として、事故発生時の補償負担のあり方について、保険制度などを活用し関係者間でルールを明確化しておく必要がある。
今後の社会的規制のあり方を検討する上で、国が安全基準やその実施方法を定めるに際しコスト意識が欠落している点を改めるべきである。
米国では、規制を遂行するために必要なコストと、人的損害を回避することによって得られるベネフィットを算出し、コストがベネフィットを上回る規制は基本的に導入しない方針をとっている。また、コストベネフィットの観点から、規制に優先順位を付けることも必要であろう。
さらに、同じレベルの安全性等を確保するにしても、できる限り効率的に行なわれ、社会的に最小の負担で達成する必要がある。その意味で、国が基準の作成から検査・認証まで関与する体制を見直し、例えば、保険制度を充実させてそのチェック機能を活用する、あるいは、国は性能基準を定めるに留め、第三者機関が仕様基準の策定や品質審査を担うなどの転換が必要である。
国民の意識の中に、安全・環境・健康の確保は国が一義的に責任を負うべきであるとの意識が依然として高いが、コスト意識がない。
社会的規制を聖域視せず、コスト意識に基づく見直しを図るためには、国民自らが、リスク回避に向けて的確な判断を下すことができるように、国や企業が安全確保に係る必要な情報を十分に提供するなどの環境作りが必要である。