経団連くりっぷ No.52 (1997年 3月27日)

社会貢献情報交流専門部会(部会長 土井智生氏)/3月14日

阪神・淡路大震災で立ち上がったNPOの現状について聞く


95年1月の阪神・淡路大震災から2年以上が経過した。震災を契機に組織を立ち上げたNPOには、当時のさまざまなニーズを引き継ぎながら特色のある活動を展開しているものがある。今回は2団体の代表を招き、「被災地」の状況と現地市民団体の現状について聞いた。

  1. 震災・活動記録室 実吉威代表
  2. 震災・活動記録室では3,000点にのぼる震災資料の収集と記録活動をはじめ、積極的に地域社会の情報提供サービスを展開している。
    災害復興住宅募集に関する情報提供活動を行なったところ、相談の電話が鳴りっぱなしの状態になった。行政が提供する冊子では分かりにくい点も多いので、私たちで解説パンフレットや住宅の周辺図を作成したりした。周辺図作成の過程で、障害者用の住宅など、必ずしも地域のニーズに応えていないものが多いことも分かってきた。今回の活動は行政に対する提言や地域の市民グループのネットワーク化にもつながっている。
    仮設住宅内での住民の自治能力の著しい低下、急速なハード面の復興と対比して遅れている弱者のケアなど、「被災地」の抱える問題は多様化し、見えにくくなっている。震災を契機に立ち上がったNPOは、組織力はないものの機動力はある。被災者の声に耳を澄まし、山積している無数のニーズに対してどのように課題を立て、ネットワークを組んでいくかが問題になろう。

  3. 多文化共生センター 田村太郎事務局長
  4. 震災発生の2日後、「外国人地震情報センター」を立ち上げ、13言語による情報提供を行なった。最初の5カ月で1,000件を超える相談を受けたが、半年が経過した時点で震災に絞った情報提供をやめ、「多文化共生センター」として活動の幅を広げる形で再スタートした。
    震災によって、日本に住む外国人には「言葉のカベ」、「制度のカベ」、「こころのカベ」があることが分かった。これは、外国人だけではなく、障害者や高齢者も抱えていた問題で、むしろ日常的な課題である。それぞれのニーズに対して平等な「多文化共生」社会でなかった弊害が震災によって明らかになったと思う。
    震災ではボランティアがイニシアチブをとって課題に気が付いた人間が動きだし、人が動くことによって状況が変わっていった。この状況を恒常化させるには、組織と地域の土壌がどうしても必要になる。
    私たちは活動を継続しながら現状とその背景を広く伝えていきたい。


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