経団連くりっぷ No.57 (1997年 6月12日)

ボランティア専門部会(部会長 島田京子氏)/5月23日

「介護をしながら自分も生きる」
−介護と仕事の両立のために


社会貢献推進委員会ボランティア専門部会では、従来よりボランティア・コーディネートにつき調査・研究を重ねてきた。その一環として、高齢者介護の分野におけるコーディネートについて、鹿児島県志布志町で両親の介護を通じて公的介護サービスのコーディネートをしながら、新たなシステム作りを模索している竹永睦男氏、竹永和子氏と懇談した。
以下は両氏の説明概要である。

  1. 竹永睦男氏説明概要
    1. 介護退職に至るまで
    2. 96年5月に48歳で25年間勤めた大手化粧品会社を退職し、両親の介護のため鹿児島県志布志町に帰った。在職中にはプロデューサーとして商品企画、広報などに携わり、社会貢献を担当したこともある。
      30年前に脳梗塞で倒れて以来病気がちだった86歳の父は、その頃病院でチューブに繋がれた生活をしており体は衰える一方だった。そんな父の面倒をみてきた82歳の母も、精神的なことから突然腰が立たなくなってしまった。
      一方、私自身が自分の人生を見つめ直していた時期でもあり、ターミナル・ケアに対する自分なりの考え方もあったので、両親の介護のために退職を決意した。

    3. 介護プロデューサーとして行なったこと
    4. 介護を介護地獄ととらえるのではなく、介護をつらくしているものを排除していくという考え方が必要である。そのために、具体的に行なったことは以下の通りである。

      1. まず、ホームナースに来てもらい、(1)デイケア・サービス、(2)介護支援センター(24時間ヘルパーサービス)、(3)ナースセンター(訪問看護)、(4)社会福祉協議会の4つの公的支援サービスを利用する形で介護プランを立てた。

      2. 老人の寝室を奥に追い込むのでなく、家のメインであり一番明るく広いリビングルームに持ってきて、家の中で何が起っているか皆がわかるようにした。

      3. 社交が途絶えていた家で、誕生日、十五夜などのイベントを創ることによって、介護関与者もウキウキできる状況を作った。

      4. 老人の3K(臭い、暗い、汚い)を脱するための作業をしている。家をきれいにし、いつも花が咲いている状態にしておく、タオルも色を揃えて常に新しいものを積んでおくなどのことを心掛けている。

    5. 発想の転換が必要
    6. 介護プロジェクトを立てる際に、公的介護サービスを利用し、オムツ交換などの介護作業はプロに任せる形をとった。私が直接手出しをしてオムツ交換をする、ということは土日以外はしていない。このことに評価も批判もあるが、家族には家族にしかできないことがある。犠牲的なやり方をすると全部潰れていくが、発想の転換をすると介護はそんなに難しいことではない。現在、父は家の中の安全な環境下で安心感を持てるようになり、改善の効果がでてきている。

    7. 介護と仕事の両立のために
    8. 労働省も推進している「介護をしながら仕事を続ける」というのは実現可能であり、そのためには以下のことを考えていただきたい。

      1. 24時間ヘルパー派遣サービスが必要である。これがあったために私は1年間やってこられた。制度の充実は必要であり、声を出し続けてほしい。

      2. 介護休暇制度を豊かなものに見直す必要がある。仕事を辞めたくない人が辞めざるを得ない状況を避け、給与、復職後の配属、キャリアプランへの影響等の不安を払拭する必要がある。

      3. ヘルパーの地位、権利を確保する作業が必要となってくる。

  2. 竹永和子氏説明要旨
  3. 「ある日突然の介護」という言葉があるが、わが家でもその通りであり、夫が突然退職して実家に帰ると言いはじめた。このことを看護婦という専門職を通しての視点と、一個人、女性として妻としての心の揺らぎという視点からお話したい。

    1. 看護婦として
    2. 今、介護の問題を考える時、医療関係では3つのキーワード「恐怖、曖昧さ、疎外感」がある。この3つの感情から守ること、切り離すこと、安全と安心の対策を立ててあげること、が21世紀の大きな課題になる。
      ベッドをリビングにもっていったことは両親を最も疎外感から解放してくれた。また、息子が帰ったことで恐怖感が取り除かれ、安心感が与えられた。竹永が帰って1年経って、彼の母がいきいきと元気になった様子をみるにつけ、治療効果に優るとも劣らないケアの力を思い知らされた。人から「恐怖、曖昧さ、疎外感」を拭い去った時、安心と安定と希望が持てる場が作れることが科学的に証明されたと思ってもよい。

    3. ひとりの女性として
    4. 竹永が志布志を理想的なゾーンにすればするほど、私の家はこれからどうなるのか、という曖昧さや疎外感を味わうことになる。
      竹永がターミナルに近づいた両親と一緒にいるために志布志に帰ったことは、重要なことであるが、過ごす年月によって、両親の家と妻と子どものいる家のどちらに馴染むのか、という不安を拭い去ることはできない。

    5. 介護と仕事の両立のために
    6. 私の立場から、介護と仕事の両立のためにお願いしたいことが3つある。

      1. 「介護は嫁がすればよい」という発想ならば、女性はいつまでたっても仕事を続けていくことができない。家族が直接手をくださなくとも、家族だからできること、つまり「恐怖、曖昧さ、疎外感」を取り除くことが介護において非常に効果のあることを認識してほしい。そうすることによって、具体的な介護、食事、掃除などが職業として確立できるようになる。

      2. その時に女性が「私がすればタダなのに」という思いを断ち切って、ペイしペイされる感覚を持てるようにしないといけない。

      3. 些細な感情の動きを見逃すことはできない。感情は人を病気にし、人間関係の大きなネックになる。一番大切なのは、人と人との触れ合い、親密さである。介護される側に親密さが重要なように、介護する側の夫婦関係も親密さを維持する努力が必要であることをご理解いただきたい。


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