経団連くりっぷ No.68 (1997年12月11日)

新東京圏創造のためのワーキンググループ(座長 國信重幸氏)/10月20〜21日

新東京圏創造に関する提言とりまとめに向け
ゲストハウスフォーラムを開催


首都機能移転推進委員会「新東京圏創造のためのワーキンググループ」では、ゲストハウスフォーラムを開催した。フォーラムにはゲストスピーカーとして、雑誌「東京人」の粕谷一希編集長を招き講演を聴くとともに、新東京圏創造に関する提言のとりまとめに向け、集中討議を行なった。以下は「21世紀の東京をよくするために」と題する粕谷編集長の講演概要である。

  1. 「東京」を考える
  2. 粕谷編集長
    1. 1978年に中央公論の編集長を辞し時間のゆとりをもてたことから、街をブラつく習慣をとりもどせた。その時ふと自分にとって「ふるさと」はどこかと考えた。年を重ねるごとに両親の郷里には親しい親戚がいなくなっていたため、私に残された故郷は東京しかなくなったこともあったのだろう。変わらない山河という田舎と違い、変わり続ける東京を故郷といえるだろうかと不安に思いながら、東京とは一体何だろうかと考え始めた。

    2. 文化といっても、単に学問や芸術といった部分を問題にしているだけでははっきりと全体をつかめない。当時、梅棹忠夫が文明という視点を強調していたが、文明という観念は文化と異なり様々な装置を含んでいる。一説には都市化と文明化は同じものと言われる。それは都市が文明全体を包含しているからにほかならない。デパートやホテル、劇場等が都市の装置として都市生活の中に組み込まれている。こうした中で初めて豊かな生活を享受できる訳である。

    3. 1980年代初頭に様々な都市論が出てきた。そうした中、芳賀徹や高階秀爾という学校時代からの友人から誘われて文化としての都市景観に関する研究会に参加した。黒川紀章が主査で、陣内秀信、藤森照信、前田愛、磯田光一など建築の研究者や文学者等が議論に加わった。これほどの人数の面白い人たちが東京のことを考えているのなら一つの雑誌にできると考えた。そうした矢先に偶然に東京都から東京の雑誌を編集してほしいと依頼された。雑誌の編集はもうやるまいと決めていたが、東京に対する以前からの思いと戦後日本が成熟社会になって経済とか文化などという一つの断面からではなく、全体として東京を考える雰囲気が当時出てきたことから、編集を引き受けることにしたのである。

  3. 雑誌「東京人」の誕生
    1. 30年も前の話であるが、コロンビア大学に留学し帰国したばかりの本間長世に中央公論まで来てもらい、米国の大学の様子などを詳しく聞いた。米国の学生の読んでいる雑誌について尋ねたところ、「エスクワイヤー」や「プレイボーイ」などの雑誌とともに本間が名前を挙げていた雑誌に「ニューヨーカー」があった。この「ニューヨーカー」に興味を持ち更に聞くと、米国のあらゆるライターにとって「ニューヨーカー」に寄稿できることが名誉であるという。本間の話を聞いて、東京にも「ニューヨーカー」のようにライターが憧れ、かつ若者に親しまれるような「東京人」という雑誌があってもよいのではないかと考えた。早速中央公論の社長に提案したが、採用には至らなかった。その後時間を経て東京都から話があったとき、私は即座に雑誌の名前は「東京人」にしてはどうかと話したことから、雑誌「東京人」が誕生した。

    2. 東京を良くするためには建物ばかり良くしてもだめで、そこに生きる人たちの人間類型を面白くしなければならない。18世紀の江戸は、当時のパリより進んでいたと思われる。吉原なんて封建的などという人もいる一方で、若い女性で関心をもつ人もいる。一夫一婦制の家族に限界を感ずる若者が、江戸時代の吉原のような遊興空間に目を向けているのであり、こうした若者の指向を理解しつつ編集を行なっている。

  4. 東京人の美学
  5. 東京人はどういう人間でないといけないか。パリやニューヨークにも共通するが、東京人の資格は「洗練、張り、艶」があることである。東京は留学生にとっても単に留学にきて大学で勉強するだけでなく、都市全体が刺激に満ちていることが重要である。

  6. 世界都市と東京
    1. 私は東京を世界都市と言ったことは一度もない。東京はまだ世界都市の要件を満たしていない。

    2. 世界都市の条件とは、人間の規範となるべき真理、真実を備えていることである。世界都市だった古代ローマはローマ法によりあらゆる民族を超えてローマ市民の資格を与えた。長安も同様に遣唐使にとって仏教の真理を学ぶことができた。長安に行かなければ人間としての価値を身につけることができないという一面があったのである。

    3. 19世紀後半以降、パリにはわが国から岩村透をはじめ、若き日の高村光太郎、佐伯祐三などの多くの貧乏画学生が集まった。同じ時期にパリには日本人だけでなく、米国人等も多く集まっていた。印象派以降の画家の魅力が国境や民族を超えて魅力を発揮していたのである。

    4. 山口昌男が最近の経済学に関して、「人間社会の全体把握に失敗している」と指摘するように、対象を分割して考える思考法では駄目だ。官僚もマスコミも部分部分でしか問題を考えないから、価値のコンテキストを見失っている。

  7. 求められる遊興空間と学習空間の多様化
    1. 今後は企業も自治体、地域社会も遊興空間と学習空間を多様化し拡大させていくことが重要である。これにより東京は面白くなる。極論すれば都市の都市たる所以は「劇場、デパート、ホテル」である。こうしたものが良くなれば都市はよくなる。

    2. 「中世の秋」の著者ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」は「ホモ・ファーベル」の批判である。良寛や一茶のような感覚で遊興空間を創造しないと東京に艶は出てこない。

    3. 官庁のキャリアとノンキャリアのように就職時の出発点の些細な違いで人生が固定化している。10年に一度くらい自分の能力を試すことができる社会にしていくことが大事である。こうした中で生涯学習が大切となってくる。
      いきいきと学習し、いきいきと仕事をし、さらにいきいきと遊べる。こうした東京人が面白い東京を創造して、東京を良くしていくであろう。


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