今後の日米協力を考える部会(部会長 田口俊明氏)/10月28日
今後の日米協力を考える部会(部会長:田口俊明 トヨタ自動車常務取締役)では、日米交渉を中心に国際経済交渉において民間の果たす役割につき検討を行なっている。その一環として、東芝の宇井野 忍 半導体渉外部部長より、日米半導体交渉における官民の役割ならびに半導体産業における業界団体の役割について、以下の説明を聞いた。
米国半導体業界は1977年頃より危機感を持ち始め、85年の米国半導体工業会(SIA)による提訴により日米半導体交渉が始まった。
86年に導入された日米半導体取極は、アンチダンピングと市場アクセスがテーマとなり、取極違反による3億ドルの制裁措置(87年)を経て、91年には第二次半導体取極が続くこととなった。
民間は、この取極の下、96年まで、政府間の半導体協議に設けられた官民合同評価会議に代表者が参加し、遵守状況のフォロー、翌年の行動計画の見直しを行なうとともに、日米業界会談を進めてきた。
世界の半導体市場では、80年代初頭まで米国が50〜60%のシェアを占めていた。80年代半ばから90年代初頭までは日本が首位となり、一時は50%を超えたが、昨今では30%台となっている。
半導体の需要は波が激しく、市場の拡大がなければ、R&D、設備投資の回収は困難である。日系企業と外国系企業の提携については、貿易摩擦解消策との見方があるが、第二次取極前後からの提携の急増は、産業構造の変化に伴う相互補完関係の必要性によるものであり、近年ではマルチの提携も進んでいる。
日本市場における米国系企業のシェアは80年代後半伸び悩んだが、94年第4四半期には20%を超え、97年には構造変化の追い風も受けて34%を達成した。
交渉体制では、日本側は通産省、外務省、日本電子機械工業会(EIAJ)、米国側はUSTR、SIAがそれぞれ中心であったが、閣僚級の国家経済会議(NEC)から省庁を越えた課長級のインターエージェンシー会合まで多様なレベルで検討を進める米側の対応は驚くべきことである。
SIAは、議会公聴会での証言、関連小委員会での検討の働きかけ、議員を通じた大統領への嘆願書提出等のロビイングをはじめ、シンクタンクの活用や国家安全保障、失業問題に結び付ける世論操作等、業界プレゼンスの強化という強い意識をもって活発な活動を展開した。いわば民間の働きかけにより官が発言しているという印象である。これに対し、日本は全く逆のように思われる。加えて情報輸出入のインバランスから見解が正確に伝わらず、日本側に厳しい報道となったことも反省すべきであろう。
こうした中、日本の民間はデータを用いて米国の主張に反論する一方、日米のメーカー、ユーザーによる日米業界会談を87年以来開催し、用途別の協力促進、サプライヤー同士の協力、提携促進等を進めてきた。さらにEIAJでは外国系企業の日本市場アクセス促進に取り組んできた。これらは地道であるが重要な作業と考える。
96年の第二次取極終了に際し、米国側はそれまでの取組みを成功例として評価し、継続を希望した。米側は、世界市場でのシェアとの乖離の縮小や、政府の関与がなければ達成したシェアが縮小する惧れがあること等も主張したのである。
これに対し日本側は、協定は失敗であり、また実際にはシェア、金額、デザイン・インとも米側の目標を達成したことから、市場は閉鎖的ではないとして、協定の終了を主張した。産業構造の変化も効果的な理由であった。その上で日本は
さらに、
こうした経験から、
以上の経緯を経て、96年8月のバンクーバー合意は、
半導体業界では、94年4月に半導体産業研究所を設立し、