チュバイス・ロシア連邦元第一副首相講演会(座長 安西邦夫日本ロシア経済委員長)/12月2日
来日中のチュバイス元第一副首相(統一エネルギー・システム社長)を迎えロシアの経済情勢に関する講演会を開催した。同氏は、ロシアの経済危機は、深刻な財政赤字の中、対外債務の集中的支払い時期を間近に控え、アジア経済危機と石油等原料の国際価格の下落に見舞われたことが原因であると分析する。
現在、世界中でロシアのルーブル切り下げ、デフォルト、危機が取り沙汰されているが、私ども実業に携わる者は、真実を読み取る必要がある。
8月17日のロシア政府の決定(短期国債の支払い一時停止とそれに伴うリスケ交渉の開始、ロシア商業銀行による外国債権者への90日間モラトリアム)を契機に、ルーブルは1ドル6ルーブルから17ルーブルへの切り下げとなった。この決定を余儀なくさせたのは、ロシア政府による国債の償還不能、政府経常支払いの不能、外国からの借り入れに対する支払い不能であった。ロシアは、投資家からの信用を回復するのに長い時間を要するだろう。
ロシアが、利回りの高い短期国債でマネーゲームをしたことが、今回の危機を引き起こしたとの分析があるが、これは表面的なものである。国債の発行は、世界中どこででも行なわれており、それが効果的に作用するか否かはマクロ経済情勢に左右される。
ロシアの場合、国の債務に問題がある。それは額ではなく(GDPの45%で、国際的にみても危険な水準ではなく返済可能であった)、返済期限が98〜2000年に集中していることである。ちなみに約1,400億ドルに達する対外債務のうち1,100億ドルが、1991年(ソ連時代)までに借りたものである。99年度(1〜12月)予算は、まだ固まっていないが、来年度の対外債務支払い額は175億ドル(2,800億ルーブル)、国の歳出総額は5,600億ルーブル程度なので、一方、歳出の半分が対外債務支払いに充てられなければならなくなる。
上記の問題だけであれば、ロシアは切り抜けることができたが、そこに2つの要因が加わった。ひとつは、アジア経済危機が数次にわたり波及しロシアから数十億ドルが流出したことである(ちなみに97年11月〜12月にロシアの資本市場から20億ドルが流出したが、当時、ロシア資本市場の1日当たりの取引高は1億ドル)。その結果、ロシア市場への警戒感が高まり、年間のインフレ率が6%程度であるにもかかわらず、国債金利が80〜90%に上昇するなど異常な状況となった。
第2の要因は、ロシアの主要な輸出品目である石油や鉄・非鉄金属など原料の国際価格の下落で、これによる逸失の収入は大きく、これがなければ対外債務や金融市場の問題には何とか対応できたであろう。
現在、ロシアは危機に直面してはいるが、破滅とは考えないでほしい。市場改革についても、推進途上ではあるが、その成果としてきちんと機能している部分もある。例えば、GDPの75%は民間企業により創出されているし、この危機の中にあってもルーブルの外貨交換性は維持されている。また、実物経済部門はかつての政府による統制経済から離脱して需要の動向に反応するようになっているし、ロシアの各都市では十分な量の消費物資があり自由に買うことができる。
また、ロシアでは、数千万人が民間企業に勤めており、市場経済は国民の間にも定着しはじめている。さらに先般、紙幣増刷に関するアンケート調査を行なったところ65%の人々がインフレ懸念から反対との回答を寄せるなど、国民の意識に後戻りすることのない変化がこの7年間に生まれた。
新政府の政策を見ても、マスリュコフ第一副首相は共産党の主要メンバーであるにもかかわらず、懸念された国有化、資産没収、ルーブルの交換停止、ドル流通停止といった共産主義的施策は全くとられなかった。これは、現在のロシアでは、完全ではないが、市場経済が機能していることを示すものである。
日本は、戦後、多くの困難を克服し近代国家を建設し高く評価されているが、ロシアにもそれができると確信している。