経団連くりっぷ No.104 (1999年6月24日)

今後の日米協力を考える部会(部会長 田口俊明氏)/6月4日

日米フィルム問題における対米広報・反論活動


日米通商・経済交渉における民間の役割に関する検討の一環として、富士写真フイルムの田中孟執行役員・法務部長より、日米フィルム問題に対する同社の対応と対米広報・反論活動について説明を聞くと共に意見交換した。

  1. 事実に基づく反論を行なうことを選択
  2. 1995年5月、米国コダック社は日本の写真市場が閉鎖的だとして米国通商代表部(USTR)に通商法301条提訴を行なった。同提訴は突然であり、USTRの年次報告書における言及等の紛争の事前兆候は何もなかった。301条の構成要件には外国政府の行為が米国の輸出を阻害していることが必要なため、コダック社は日本のフィルム・印画紙市場における日本政府の行政指導を挙げると共に、当社などによる独占禁止法違反行為を日本政府が黙認していることが、外国製品に不利をもたらしていると主張してきた。
    当時は、日米の自動車・同部品問題が最終段階を迎えており、米国では日本市場に関して系列や排他的取引きなどネガティブなイメージが強かった。また、それまでの日米の通商問題は関係する日本企業は明確な反論は行なわず、何となく政府レベルで交渉が行なわれ、妥協による落とし所を探るケースが多いと言われていた。しかし、われわれはあくまでも事実に基づき反論することを選んだ。
    そのためコダック社の主張1つひとつに客観的調査に基づく綿密な反論をするよう心がけた。そうした作業を積み重ねて7月31日には反論書「歴史の改ざん」(Rewriting History)を発表し、USTRのみならず内外のメディアに配布した。またインターネットにホームページを急遽立ち上げ、日英両文で反論書を掲載した。
    また当社は米国の工場、販売会社、現像ラボ等で約8,000人を雇用している他、環境保護や地域社会にも積極的に貢献している。米国の新聞・雑誌の企業広告で、そうした当社の貢献をアピールした。さらに米国のコンサルタント等に相談して、草の根から議会に対して働きかけた。
    米国の新聞・雑誌等の論調は当初、日本市場は閉鎖的とのイメージ一色だったが、当社の広報・反論活動が徐々に実を結び、コダック社の主張はおかしいとする記事、論文を書く米国の学者、研究者が出てきた。そして米国のマスコミの論調も徐々に、この問題を両論併記で取り上げるように変わっていった。

  3. 日米フィルム価格差、市場シェア問題
  4. 日米フィルム問題で米国側が繰り返し指摘したのが日米のフィルム価格差である。コダック社は米国の値段として量販店でパック売りされているセカンド・ブランドのフィルム1本当たりの値段を取り、日本の値段としては総理府の行なった消費者物価統計の中のフィルム1本当たりの値段(写真専門店等における1本売りの値段)を取って、日本ではメーカーや流通業者が価格協定を結んでいるため、フィルム価格が米国の2.5倍位になっていると主張した。しかし、量販店のパック品1本当たりの値段と駅の売店やテーマパーク等で1本売りされているフィルムの値段に違いがあるのは日本でも米国でも同じである。実際の日本のフィルム価格は、米国より若干安いか同じ位、また欧州よりは安いという調査結果が出ている。
    そこでわれわれは業態別に日米の代表的店舗におけるフィルム価格を比較し、恣意的な統計処理を行なわない場合の日米のフィルム価格を示して、マスコミや一般の理解を求めた。
    さらに日米のフィルム市場におけるシェアの問題についても反論した。当時、米国市場においてはコダックが70%、富士フイルムが10%、逆に日本市場においては富士フイルムが70%、コダックが10%、日米以外の市場においてはコダックが約36%、富士フイルムが約33%のシェアを有していた。コダック社は、日本以外の市場では最大のシェアを持つ同社が、日本では10%しか取れないのは日本市場が閉鎖的な証拠であるという主張をしたが、同じ理屈でいけば世界市場で33%のシェアを持つ当社が米国では10%しか取れないのは米国市場が閉鎖的だからとも言える。つまり、コダック社と富士写真は日米でそれぞれミラー・イメージの立場にあり、お互いが自国ではhome town advantageを享受しているのである。

  5. 二国間の通商問題をWTOの枠組みで解決する方向へ
  6. 日米フィルム問題において非常に心強かったのは、日本政府がUSTRの調査開始直後に今後、一方的制裁をバックにした301条の下では一切交渉に応じない、問題解決は国際ルールに基づきマルチで行なうという姿勢を示したことである。
    結局、その後、米国は301条の下での制裁は発動せずWTOへの提訴を決めた。交渉がWTOに移ってからは、当社は日本政府へのデータ提供に努めると共に、日米欧のメディアにバックグラウンド・ブリーフィングを繰り返し行なった。また外国メディアのみでなく日本のマスコミのジュネーブ、ワシントン特派員にもかなり綿密に説明を行なった。
    最終的には98年1月のWTOパネルの最終レポートでは日本側の主張が全面的に認められ、米国側も上級委員会への上告を断念することをすぐに発表した。今回の日米フィルム問題は、WTOの枠組みで二国間の通商問題を解決するという今後の方向性をつくった点で大きな意義があったと思う。
    またフィルム問題を通じてわれわれも多くのことを学んだ。その1つは、国際社会、特にアメリカ相手には言うべきことをはっきりと主張しないと全く理解されないということである。残念ながら欧米では、日本市場は閉鎖的というパーセプションが未だに根強い。これに対して日本は規制緩和、内需拡大に努めると共に、政府、民間企業がより積極的に発言して、全世界に市場の実態についての理解を求めていくことが重要であると思う。


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