継続するアジア通貨危機の影響に関するセミナー(司会 藤原常務理事)/9月22日
経団連では、来日中の米国国際経済研究所(IIE)ノーランド上級研究員を招き、アジア通貨危機の原因や今後のアジアの景気回復における課題などについて説明をきくとともに意見交換を行なった。
今回のアジア通貨危機のそもそもの原因は、1980年代中盤の日本に遡る。80年代中頃、円高不況に対して大蔵省は財政政策を好まず金融政策一辺倒であった。そのため、85年から89年の間にマネー・サプライがほぼ50%増加し、物価レベルは11%下落、株価は158%上昇し、円高が進むと共に流動性が高まった。そうした資本は韓国、台湾に向かい、台湾ではマネー・サプライが117%増え、株式市場は1,053%上昇、韓国でもマネー・サプライは105%、株式市場は458%上昇した。結果として、台湾と韓国ではバブル状況が生まれ、89年頃には通貨切下げへの圧力が高まり、両国から大規模な資本が東南アジアに流出した。
こうした大量の資金流入に対し、東南アジアの銀行システムは効率的に仲介機能を果たすことが出来なかった。その原因としては、経済が小規模で非常に不安定であったことに加えて、政府の政策が危機をさらに悪化させた面も指摘される。つまり、第1にマレーシア、インドネシアなどの国では外資系の金融機関を市場から締め出したため、ポートフォリオによる分散投資などが進んでいなかったこと、第2にその結果、輸出価格の下落などマクロ経済に対するショックがあると銀行の貸し渋りが起きやすくなっていたこと、第3に外資を締め出したことで、国内の金融機関の効率性が損なわれると共に、腐敗やモラル・ハザードが蔓延していたことなどが指摘される。
96年、輸出価格の下落と共にバブルが崩壊し、株式市場や資産市場も下落してた。バブル崩壊と共に、ネットで東南アジアから大量に資本が流出し、各国は通貨のドル・ペグを放棄せざるを得なくなったのである。当初、通貨危機は地域的に限定されていた。その後、どのようなチャネルで危機が伝播し、その中で経済ファンダメンタルズや人々のパニックがどのような役割を果たしたかについては十分には解明されていない。
また政治の果たした役割も複雑である。タイと韓国では政権交代があったため、新政権は前政権の政策を踏襲しないでリストラに努めることができた。他方、今回のアジア危機に対してAPECやASEANなどの地域機関は殆ど重要な役割を果たさなかった。IMFは大きな役割を果たしたものの、各国の貿易政策や構造改革問題など、自らの能力や権限範囲を超える問題にまで介入したので、その評判を落とした。米国は危機への対応において中心的役割を果たすことを主張したが金銭面では殆ど貢献しなかった。逆に日本は、金銭面で大きく貢献したが政策上のリーダーシップは取れなかった。皮肉にも中国がこの間、人民元を切り下げないで頑張ったことで評価されたが、これは自己犠牲ではなく自らの国益のためであったと思われる。
各国の今後を予測する際、最も重要な要因はそれぞれの国がどのような政策を取るかである。現在のところ、韓国の状況が最も良くインドネシアは最悪である。東南アジアの景気回復における対外的な3つの不安定要因としては、