国土・住宅政策委員会(共同委員長 今村治輔氏)/11月10日
経団連では、基地経済から脱却し、自立を目指す沖縄県の地域振興を支援している。9月17日には、今井会長ほかが沖縄県を訪問し、県知事や経済界と懇談した。これを受けて当委員会では、今村共同委員長より沖縄訪問の報告を行なうとともに、沖縄県より牧野浩隆 副知事ほか沖縄経済界、県幹部等を招き、沖縄県の現状と課題、特別自由貿易地域制度等、企業立地推進策の概要について説明をきくとともに意見交換を行なった。
戦後日本の経済発展と安全は沖縄に負うところが大きいとの認識から、9月17日、今井会長、前田副会長、伊藤評議員会副議長と私は、沖縄振興のために経済界としてできることを探るために沖縄を訪問した。
沖縄の経済振興をめぐる状況は、昨年11月に稲嶺知事、本年1月に牧野副知事が就任して以来変化している。4月に先進国サミットの2000年沖縄開催が決定されたほか、6月には沖縄経済振興21世紀プランの中間報告が沖縄政策協議会で了解された。
こうした沖縄振興への気運が高まる中、稲嶺知事、牧野副知事等県幹部を表敬訪問し、部瀬名岬にあるサミット予定会場および中城の特別自由貿易地域を視察した。知事からは、
従来、沖縄経済と日本の安全保障は別々に議論されてきたきらいがあるが、一体的に論じる必要がある。
冷戦初期、米国防総省内では日本の再軍備化案が検討されていたが、マッカーサー将軍は日本の経済復興を阻害しかねない同案に反対し、沖縄を日本から切り離し、そこに米国の巨大な空軍基地をつくり、日本の防衛問題を担当させようとした。マッカーサー案は米政府内で検討され、1949年5月6日にトルーマン大統領が正式に承認している。県民にとって同日は、沖縄の運命が決められた悲しい日である。
明らかに、冷戦初期の米国の対日占領政策においては、日本を自由主義陣営に留めるため日本の経済復興が最優先された。その過程で、A級以外の戦犯追放は解除されるとともに、本土の輸出産業を保護・育成する観点から、「ドッジ・ライン」によって1ドル=360円の為替レートが決定された。ところが、マッカーサー将軍の発意で本土と切り離された沖縄においては、1ドル=120円のレートが定められたことによって、域内生産力育成を軽視し、全てを輸入に依存するという沖縄の経済構造の原型が形成されてしまう。
このように、沖縄の戦後復興の初期条件が日本本土のそれと全く異なっていたものであることに留意する必要がある。日本の場合、製造業の比率が極めて高いが、残念ながら沖縄においては第二次産業が育たず、現在も6%程度のGNP比率しかない。
さて、基地問題に目を転じると、1952年4月28日に日本が独立するまで法的には日米は依然として交戦状態にあったため、米国は専横的に沖縄の土地を取り上げ、基地に転換した。基地の約7割が民有地ないしは市町村有地、3割が国有地となっており、沖縄の基地問題の難しさを物語っている。
独立後、沖縄では民有地の7割をめぐって住民側と米軍側の対立から島ぐるみ闘争が起こったが、米国は統治権行使によって闘争を押し切り現在の基地が固定化された。
同時期の50〜60年代、日本は高度成長の真っ只中にあったが、枠外に置かれた沖縄の産業振興・基盤整備は本土に大きくおくれた。時の琉球政府も積極的な外資導入政策を取ったが、日本の国内産業保護という「国益」と対立した。そこで、第1次沖縄振興開発計画が策定され、政府の指導の下、沖縄地域経済の振興が図られたが、折悪しく石油危機に直面した。さらに80年代には、円高によって企業は沖縄を飛び越し東南アジアへ進出してしまう。このような過去の経緯から、今もって第2次産業が育たず雇用問題を困難なものにしている。
日本の安全保障については、国内の米軍基地の約75%が沖縄に集中している現状を改善する必要がある一方、日米同盟関係の重要性は一層増している。新県政の下、基地問題と沖縄経済という2つの問題に対して現実的な対応を取らなければならない。
政府が策定した「沖縄経済振興21世紀プラン」ないしは沖縄振興開発計画に基づき、バランスの取れた産業構造を構築するとともに、来年開催のサミットを契機に情報通信ネットワークを通じて、世界に向けて沖縄の情報を発信していきたい。