経団連くりっぷ No.117 (2000年1月27日)

来賓挨拶

速水 日本銀行総裁

ニュー・ミレニアムに向けて

日本銀行総裁 速水 優



世界経済の繁栄の中で

日本経済の実質成長率は、1960年代は年平均で10.5%、1970年代は5.2%、1980年代は3.8%であったが、1990年代には1.7%へと大きく落ち込んだ。世界的には1990年代は情報通信技術の進歩、市場経済のグローバル化という新しい成長機会に恵まれた10年だった。実際、米国はインフレなき景気拡大を続け、欧州も通貨統合という大事業に取り組み、アジア経済も大きく成長した。

1990年代の低迷の背景

日本経済がこのチャンスを活かせなかった理由は三つ挙げられる。第一に、不良資産問題により、企業と金融機関のリスクテイク能力が大きく損なわれ、その結果、情報化やグローバル化による潜在的な成長機会を活かすことができなかった。
第二に、少子・高齢化に対する企業、家計、公的な制度の準備が不十分であったことが、将来への不安を高め、個人消費が抑制された。
第三に、日本の経済構造が大きな環境変化に対して速やかに適応できる柔軟性を欠いていた。雇用や賃金の安定重視、コンセンサス重視の意思決定といったこれまで日本企業の強みだった企業文化が、経済環境が大きく変わる局面で、不採算部門の切り捨て、雇用・経営形態の刷新による新たな成長機会への挑戦を阻害した面がある。本来小回りの効くはずの中小企業も、リスクマネーの供給制約により限定的な動きに止まらざるを得なかった。

景気の現局面

最近の日本経済は、輸出や生産増により企業収益が改善し、全体として持ち直しの局面に転じている。しかし、民間需要の自律的回復のはっきりした動きは依然見られない。こうした情勢を踏まえ、日銀もゼロ金利政策という極端な金融緩和政策を続けている。
しかし、民需回復の環境が徐々に改善していることも事実であり、金融・財政政策や海外経済の好調に支えられている面も大きいが、1990年代の低迷をもたらした諸要因が次第に変化してきたことも注目される。こうした動きが本物であれば、中長期的に日本経済は活力を取り戻せる。この1年で株価が4〜5割程度上昇しているし、1999年後半以降、円はドルやユーロに対し上昇している。行き過ぎた円高には十分注意する必要があるものの、「日本買い」の動きが見られること自体は心強い。
日本経済の最近の変化を、1990年代の三つの低迷要因に即して考えると、第一に不良資産問題については、金融機関に対する公的資金の投入等を背景に金融システムの安定がかなりの程度回復してきた。
第二に、少子・高齢化については、年金問題は依然として難しい問題だが、各世代が少しづつ我慢すれば対処不可能な問題ではなく、確定拠出型を含めた年金の多様化等、前向きの変化も出てきている。
第三に、日本企業の適応力については、注目すべき重要な変化が出てきている。1999年春先頃から大企業の本格的リストラが始まり、金融分野でも大手銀行同士の本格的再編成の動きが出てきた。同時に、情報通信分野を中心にいわゆる「ビット・バレー」に象徴される新しい企業群が台頭してきた。金融資本市場でも可能性のある中小企業に注目が高まっている。東証のマザーズ、日本証券業協会の店頭市場改革、ナスダック・ジャパン構想等の新たな動きも出てきている。リスクは大きいが、可能性も大きい企業が成長していく仕組みが働き始めている兆候を素直に歓迎したい。

変化に対応できる柔構造の経済へ

ニュー・ミレニアムにおいては、情報革命と経済のグローバル化が一段と進み、技術やアイディアが生まれ、国境を越えて伝わるスピードが非常に速くなっていく。変化と不確実性を前提にした機動性ある企業経営がますます求められ、市場の競争原理がうまくワークする柔構造の経済を構築していかなければならない。1990年代はバブルの後始末に追われたが、今度こそ日本経済が情報化とグローバル化の波を捉えて、民需中心に成長できるよう期待したい。

中央銀行としての希望

第一に、デフレ懸念との戦いに早期に勝利して、物価の安定を確保し、イノベーションを促進できる経済の実現に役立ちたい。現在わが国には「ある程度のインフレを目指すべきだ」との古い見方が残っているが、これは日本経済が正常でないことを示唆するものであり、「インフレを起こさない日本銀行があるから先行きも安心だ」と思えるような正常な経済環境を早く実現したい。
第二に、円の国際通貨としての地位が高まってほしい。国際通貨としての円の重要性は潜在的にはかなり大きい。円が世界的に使われる通貨になるためには、日本国に対する信認と円の使い勝手のよさが必要である。前者については、インフレなき持続的成長径路を確実にすること、後者については、円資金に関する効率的な金融資本市場の整備が重要である。
引き続き、日本経済の発展の基盤を整備するために、日本銀行として最大限の努力をしていきたい。産業界も、日本経済の本格的再生に向けて勇気をもって進んでほしい。そして、1990年代が「失われた10年」でなく「次の世代の繁栄の基礎を築いた10年」として後世に記憶されることを期待したい。


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