経団連くりっぷ No.131 (2000年9月14日)

日本・香港経済委員会2000年度総会(委員長 梅田貞夫氏)/7月24日

華南地域のセンターとしての香港の役割


日本・香港経済委員会では、7月24日、2000年度定時総会を開催し、1999年度事業報告・収支決算、ならびに2000年度事業計画・収支予算を審議し、原案通り承認した。また当日は、日本貿易振興会アジア経済研究所の丸屋豊二郎研究企画課長から、「華南の産業集積とアジア国際分業の再編」と題する説明をきいた。

○ 丸屋課長説明要旨

  1. 香港経済は1990年代に入って大きく変化した。すなわち、中国のビジネスセンターとしての香港から華南地域のセンターへと変化した。これは、香港が従来果たしていた機能が上海や北京、天津に移りつつある中で当然の変化である。しかし、だからといって香港のプレゼンスが低下したとは言えない。華南、特に珠江デルタ地域への産業集積の蓄積が、この地域のセンターである香港の機能を高めている。

  2. そもそも華南への産業集積は、香港における生産コストの増大で、香港に集積した産業が広東省へシフトしたことから始まった。香港と中国との貿易を見ると、広東省で操業するために部品・部材を香港から提供する、委託加工生産に伴う貿易が増えており、1997年には香港と中国本土との貿易額の86%が、広東省との間の貿易で占められた。1980年代後半からは、香港企業だけでなく日本や韓国の企業も広東省へ工場をシフトするようになった。その際、多くの企業は広東省に製造会社をつくるのと同時に香港に販売会社を設立し、その販売会社が部品調達等を行なうという分業体制をとった。加えて、香港の強みであるサービスやインフラ、ビジネスネットワークと、華南の強みである技術、安い労働力、コストパフォーマンスの良さがうまく結びつき、華南経済圏が形成されていった。

  3. 珠江デルタ地域は大きく3つの地域に分けられる。珠江東部の東莞には、台湾系企業を中心に外資系の電子・通信産業が集積しており、深せんには複写機・プリンター製造の工場が多い。珠江中部の広州には、中国国内向け販売を中心とする家電産業の集積が多く、珠江西部には民族系の国内向け家電産業が多い。

  4. 最近の現象として、国際競争の激化でコストダウンを迫られた企業が、部品等の調達を中国の地場メーカーから行なうようになっている。経済の自由化や情報化が進む中で、各企業は消費者ニーズに即応できる体制を整えつつあり、企業が生産拠点の場所を選ぶ時代になっている。華南への産業集積は、これまでのアジアの雁行型発展形態を崩壊させつつある。「集積が集積を呼ぶ」ところへと企業は向かう傾向にあり、アジアの発展形態はLeap Frogging(馬跳び)型へと変化している。こうした中で香港が果たす役割は依然として大きく、華南への産業集積は、アセアンにとっても大きな脅威になるだろう。


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