経団連くりっぷ No.154 (2001年9月13日)

なびげーたー

地球温暖化問題と国益

常務理事 永松惠一


京都議定書の2002年発効問題が大きな焦点となっているが、アメリカ抜きの発効は意味が無い。実効ある国内対策も不可欠である。

一時の平和至上主義と同様、今日、環境至上主義がはびこりつつある。これらの主義に共通することは、物事の両面や各国の思惑、事実関係を顧慮せず、ただひたすら一点張りの主張を続けることが国民の利益にかなうと誤解していることである。そうした主張を大きく取りあげる報道は、さらにその責任が問われる。原子力は、CO2削減対策の決め手となるものであるが、「環境保護派は往々にして反原子力である」とは、けだし名言である。

そもそも京都議定書の根幹をなす、2010年のCO2排出量を1990年比「日本△6%、米国△7%、EU△8%」という数値自体に問題がある。この点は、既に国際合意の前提になっているので、多くは語らないが、オイルショック以降、日本の製造業は、多大なコストをかけて省エネ・省資源の製造技術の開発に全力を傾注してきた。その結果、1990年における単位GDP当りCO2排出量は、日本1に対し、米国3.5、EU1.8、中国27.3と、大きな格差がある。日本が100mを全力疾走してきたのに対し、諸外国は本格的なエネルギー転換、製法転換に取り組む以前の余裕のあるレベルからのスタートである。それを上記の比率でカットしようというのである。

またEUは、各国ともあくまで国内対策が基本であり、CO2排出量に余裕のある国との排出量取引を制限すると主張している。冗談ではない。EUは、トータル△8%としているが、例えばポルトガル27%、スペイン15%の増加を認めているのである。EUは一つというのなら、ユーロにとどまらず、国連における投票権、課税権等も一国としなければ、辻褄が合わない。

アメリカは、世界のCO2排出量の4分の1を占めている。それでも日本は、アメリカ抜きでも批准すべきであるとの意見があるが、今、問われている課題は「地球温暖化問題の解決」である。しかも、国際連盟不参加、国際海洋法条約不参加などの歴史を見ても、事後的なアメリカの参加など期待すべくもない。粘り強く米国の参加を求めることが最重要課題であり、来年発効にこだわるべきではない。

国内対策についても課題は多い。政府は、1998年6月に「地球温暖化対策推進大綱」を取りまとめたが、△6%を達成するためには、運輸・家庭部門に対しても思い切った対策を講ぜざるを得ない。政府は、いつ、どの程度の覚悟をもって国民を説得するつもりか。経団連としては、温暖化防止対策の重要性を認識しているが故に、多大のコストを払ってでも、自主行動計画の下で産業界のCO2削減の努力を推進する所存である。

それにしても、環境税の課税根拠は理解し難い。石油危機以降、石油消費の価格弾力性が極めて低いことは明白である。厳しい経済環境の下で新税を付加すれば、成長の芽をつみ、雇用情勢がさらに悪化することは明らかである。


くりっぷ No.154 目次日本語のホームページ