経団連くりっぷ No.157 (2001年10月25日)

第573回常任理事会/10月2日

これからのアジアをどう考えるか


アジア諸国は、1997年の通貨・金融危機により、相当の打撃を受け、いまだ完全に立ち直ってはいない状況にある。しかし、アジア諸国全体としては、高い潜在能力を備えていると考えられ、わが国としても、貿易投資、技術移転、経済協力等の各面で一層重視していく必要がある。そこで京都大学東南アジア研究センターの白石隆教授より、これからのアジアをどのように考えるかについて説明をきいた。

○ 白石教授説明要旨

  1. 新しい動き
  2. アジアを捉える一般的な方法として、文明、風土等ということがあるが、むしろ1つの特徴を持った政治・経済システムとして捉えたほうがより現実的である。このような観点から東アジアを捉えると、少なくとも1985年のプラザ合意以降、日本、韓国、中国沿海部、台湾、香港を経由して、東南アジアに至るこの地域が、経済的な地域としてまとまりを持ってきたと言える。

  3. アジア地域秩序の構造
  4. (1) 米国のアジア戦略と日本の位置

    アジアの地域システムの骨格をつくり上げたのは米国だが、その背景として、1950年当時、2つの大きな問題が存在した。1つは、アジアに拡がりつつあった共産主義の脅威をいかに封じ込めるかであり、もう1つは、日本をいかに経済的に復興させる一方、再び米国の脅威にならないようにするか、ということであった。
    米国は、まず安全保障面で、日本、韓国、フィリピンとそれぞれ安保条約と基地協定を結ぶことにより、その束として、自国が扇の要となるシステムをつくった。経済面では、中国封じ込め政策がしり抜けとならないよう、日本と東南アジアと米国、あるいは日本と台湾・韓国と米国の三角貿易の束としての体制を構築した。
    そのような中、日本が米国から与えられた役割は、アジアの工場であり、安全保障面から言えば、アジアの兵站基地ということであった。これが日本の戦略的重要性を保障した。一方、日本と東南アジアの関係は、経済協力が主とならざるを得なかった。

    (2) アジア地域秩序の変化

    1970年代、1980年代になると、3つの重要な変化が起きることとなった。
    第1は、かつて封じ込めの対象であった中国が開かれた存在となった結果、従来の三角貿易のシステムの中に、第4番目の極として中国が入ってきたことである。
    第2は、ASEAN諸国が徐々に力をつけてきたことである。このことを前提に、日本は1970年代後半に、日米同盟を基軸にしつつも、第2の外交の柱としてASEANとのパートナーシップを掲げた。
    第3は、日本のアジアへの経済協力、直接投資の拡大である。これは地域システムの発展という意味で最も重要である。東南アジアへの日本の経済進出は1970年前後に始まるが、日本の直接投資によって、1985年のプラザ合意を境に、明らかに地域的な経済発展のメカニズムが成立し、一つの経済的地域としてまとまるようになった。

    (3) アジア地域秩序の特徴

    米国が骨格をつくり、日本が直接投資で肉付けしてきたアジアの地域システムを理解する上で、欧州との比較は重要である。
    米国は1950年代、欧州でも2つの問題に直面した。1つはソ連をいかに封じ込めるかであり、もう1つは西ドイツを経済的に復興させる一方、米国とその同盟国の脅威にならないようにするかということであった。米国はアジアでの対応とは異なり、欧州では、集団安全保障体制としてNATOを編成し、また経済共同体をつくり上げた。つまり、日本とアジアの関係は戦後一貫して「And」の関係であったのに対し、欧州では、ドイツは安全保障、経済の両面で、欧州の中に埋め込まれ、「欧州の中のドイツ」という「In」の構造になった。政治的な意思によって、ドイツでは欧州の中の存在として地域主義が形成されていったのに対し、日本は、市場の力によって、アジアとの間に自ずと地域的なまとまりが形成され、結果として、地域化したといえる。

    (4) アジア地域秩序の変容

    現在、アジア地域秩序は大きく4つの点で変わりつつある。第1は、日本ならびに東アジアの経済停滞である。1980年代後半から1990年代の経済危機まで、日本から韓国、中国沿海部、東南アジアに至る、いわゆる海のアジアは世界的な成長センターであった。その先端を日本が走り、地域化を引っ張っていたため、当時はこうしたアジアとの関係が日本の将来を保障するように見えた。しかし、その後のアジア経済危機で成長は頓挫し、また日本経済の停滞が続くことで、経済的に急速に成長した中国がアジアのリーダーとして一部のアジア諸国の間でクローズアップされるようになってきた。
    第2は、米国のアジア化である。米国有名大学では、アジア系の学生の比率が非常に高まっている。おそらく20年後には、政界でもアジア系が台頭し、重要な世論形成を果たすようになるであろう。そうなれば米国にとって、アジアの政治経済の問題は、単なる国際問題ではなく、国内問題になる。
    第3は、中産階級の成長により、新しいアジアが生まれていることである。1980年代半ば以降、中産階級の第2世代は、米国の大学に留学し、米国での経験を踏まえて、アジアに戻り、親のビジネスを継いできた。このような人たちのネットワークがアジア各国に拡大しつつある。
    第4は、アジアのパートナーとしての米国と日本のすみ分けである。地域システムの骨格をつくった米国は、軍事やマクロ経済をはじめとした国家運営の面で依然として圧倒的な影響力を有しているが、日本は、アジア中産階級の消費文化の面で大きな影響力を発揮している。

  5. 今後の課題
  6. 過去15〜20年の経済発展の結果、カリフォルニア等を含め、香港、バンコク等の東南アジアの大都市にそれなりによく似た中産階級が成立するようになった。今後、日本としては、ますます拡大し、影響力を高めていく中産階級に信頼されるような政府やビジネス環境とし、さらには彼らと一緒に仕事のできる日本人を育てていくことが重要である。


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