経団連くりっぷ No.163 (2002年1月24日)

流通委員会(委員長 平井克彦氏)/12月25日

これからの流通業はマス・マーケティングからの脱却がカギ

−東京大学大学院経済学研究科 伊藤教授よりきく


現在、わが国の流通分野を取り巻く環境は、革命とも呼びうる大きな変動期にある。こうした動きの中で、より望ましいわが国の流通構造の実現へ向けて、流通委員会では、有識者との意見交換を通じて検討を行っている。当委員会では、東京大学大学院経済学研究科の伊藤元重教授を招き、わが国流通構造の問題点とその変化の方向について説明をきいた。

  1. 伊藤教授説明要旨
    1. 見直しの機運が高まるマス・マーケティング
    2. 戦後、わが国の流通システムの中核を担ってきたのがマス・マーケティングであり、その基本的な構造は、「大量生産」、「効率的な販売システム」、「顧客情報の軽視」である。わが国でマス・マーケティングが拡大した背景には戦後の奇跡的な経済成長があった。例えば自動車産業は、戦後生産を再開してからバブルのピーク時までの間に、台数ベースで約400倍、金額ベースでは2,000〜3,000倍に膨れ上がった。このように急激な右肩上がりの成長が続いている間は、良い製品をつくれば飛ぶように売れたので、企業にとって、大量生産、効率的な販売システムに代表されるマス・マーケティングの基本的な構造を確立することが成功へのカギだった。
      しかし、今後も同じような成長が続くとは考えられない。したがって、流通業に限らず全ての産業において、戦後、右肩上がりで急速に膨れ上がった環境の中で構築してきたマス・マーケティングという仕組みを見直す時期にきている。
      最近、パネルディスカッションや対談などで大手企業のトップの方々と話をする機会があったが、みな異口同音に、マス・マーケティングの時代は終わった、これからは顧客ベースのきめ細かいサービス提供こそがビジネスの成功のカギであるといっておられたのは私の持論と一致しており、非常に興味深い。

    3. マス・マーケティングからの脱却:コンビニエンスストアの可能性
    4. マス・マーケティング見直しの機運が高まる中で、流通業は販売のための手段から顧客の購買を手助けするための手段に変わりつつある。
      従来は、本は本屋に、パンはパン屋に、電気製品は電気屋に買いに行く必要があったが、コンビニエンスストアの登場によって、消費者は、極めて短時間で日常生活に必要な物を購入することができるようになった。ある大手コンビニエンスストア経営者によると、客が来店し商品を買って店を出るまでにかかる時間は、平均4分37秒だそうだ。商店街やスーパーマーケットや百貨店では、4分37秒で必要な物を買い揃えることは不可能であろう。つまり、コンビニエンスストアは単に物を売るだけでなく、客に対して時間価値を提供しており、そうした観点から、旧来の流通システムを脱しつつあるということができる。
      しかし、現在のコンビニエンスストアで採用されているマス・マーケティングの象徴であるPOSシステムでは、顧客情報を集積できる仕組みにはなっていない。その意味でマス・マーケティングを完全に脱却しているとはいえない。しかし、今後、顧客情報を集め、それを基に顧客のニーズに応じたきめ細かなサービスを提供できるようになれば、小商圏ビジネスであるだけに、コンビニエンスストアは非常に大きな可能性を秘めていると思う。例えば、社員食堂の無いオフィスへの弁当宅配、高齢者のための買い物の代行、留守の多い人に代わって通販商品の受け取りなどが考えられる。

    5. バランス・シート問題
    6. 日本の小売業において最も危険な問題はバランス・シート問題であろう。銀行ローンをGDPで割った数字は、1980年代初頭まではほぼ7割で横這いだったが、1982年から1991年にバブルが崩壊するまでの間に108%にまで増加した。500兆円という現在のGDPベースで計算すると、10年間で約200兆円もローンが増加したことになる。これだけ膨らんだローンの裏には必ず不動産と株がある。不動産と株の価格は下落してもローンはそのまま残るので、特に流通業の場合は不動産の問題が非常に深刻である。せっかく良い経営を行っていても、不動産価格の下落によって被害を受ける可能性もあるので、今後は流通業においても、不動産の証券化や流動化を積極的に検討する必要がある。

  2. 質疑応答(要旨)
  3. 経団連側:
    マス・マーケティングからの脱却ということで、顧客重視や差別化戦略を行えば、自ずとコストアップにつながるが、コストの問題をどう思うか。
    伊藤教授:
    産業は二極化するだろう。ユニクロ、吉野家は一つの方向で、消費者がほどほどのクオリティーでも良いと思えばそちらの方向に行く。もともとサービスというのはそれなりに高いコストがかかるものである。日本の流通業がオーバー・キャパシティになっていることは否定できず、今後、マス・マーケティングから顧客重視へ移行する際には、流通業の市場規模も縮小すると思う。

    経団連側:
    今後、電子商取引もITバブルで消えていくだろうか。
    伊藤教授:
    米国における鉄道や自動車産業を見るとわかるが、大きな技術の誕生にはバブルがつきものである。したがって、ITバブルがクラッシュしたからといって、ITが世の中を変えないということはない。ただし、ITしかできない企業はしょせんダメである。重要なことはITを使って他の多くの産業がどのように変わっていくかということだろう。インターネットがユビキタスになった今、メールアドレス等の顧客情報さえ集めておけば、低廉でさまざまな形のコミュニケーションが可能になる。流通業もITによって相当大きく変化する可能性がある。

    経団連側:
    量販店タイプの大型店にとって、差別化のキーワードはないだろうか。
    伊藤教授:
    一つの例は、総合的にやるのではなく、一つひとつの優秀なユニットを伸ばすというゼネラル・エレクトリック型の「選択と集中」だろう。

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