改めて「共生」について

平岩 外四 経団連名誉会長


戦後五十年の記念すべき年も慌ただしく終り、二十一世紀はすぐ目の前になってきた。この一年間、わが国に生じた出来事は、政治、経済、社会の各面で予想を遥かに越えたものであった。すなわち経済面に限っても、バブルの崩壊と急激な円高、金融システムへの不安などによって経済は低迷を続けており、産業や雇用の空洞化の懸念も一層高まっている。

こうした中で、わが国の現状に対する海外の目は、従来までとは大分違ってきたように感じられる。私がいま一番心配なのは、これまで長く続いてきた日米関係の現況であり、また最近台頭の著しいアジアとの今後の関係である。対外関係を考えるに当たり、わが国はもっと主体性を持たねばならないが、それでいて決して米国やアジア、そしてヨーロッパとの関係を崩してはならないと思う。われわれ企業人としても、できるだけ世の中の変化を先取りし、これに対応していく必要がある。

私が経団連会長に就任した当時、世の中の動きを「地球」「市場」「人間」の三つの視点から見ていきたいと申し上げ、常にこれを心掛けてきた。「地球」とは、もちろんグローバルな視点を採り入れたものである。「市場」を挙げたのは、東西冷戦体制の終結によって自由市場経済が中心となり、これこそ今後重要になると考えたからである。「人間」については改めて申すまでもない。そして、この三つのキーワードを結ぶ理念として「共生」という言葉を考えてみた。冷戦が終って従来までのイデオロギーの対立がなくなり、世の中全体をもっと大局的にとらえていく必要があると思ったこともきっかけとなった。またそれ以前から、経済審議会の仕事を通して、「世界とともに生きる日本」の重要性を痛感していたからでもある。

さらに私の「共生」の原点となったのは、日米間の経済的不均衡が大きな問題となり、日米財界人会議などで議論を戦わせていた時期に、経団連訪欧ミッションでドイツからベルギー、オランダを訪れた時のことである。

最初の訪問地ドイツでは、ボンの首相官邸で首相との会見を待っていると、突然部屋に入ってきたコール首相に報道陣のフラッシュが一斉に焚かれた。即座に首相は、「皆これは日本製のカメラです」と。強烈な印象であった。それから各地で日欧の経済問題について真剣な議論が交わされ、最後は確かオランダでの欧州ラウンドテーブルとの合同会議の席上であったと思う。欧州の経済人から「我々を潰さないで欲しい」と、抗議とも悲鳴ともつかぬ訴えを聞いたのである。日本の集中豪雨的な輸出と、その背後にある過当競争が原因とも言えた。欧州企業とのジョイントベンチャーや欧州企業からの調達の拡大こそ共存共栄の道だと指摘され、現状のままでは日本を真の友人と見てくれなくなると、深刻に受け止めたのである。1991年秋のことで、ちょうどマーストリヒト条約が締結される直前であり、巨大なEC統合への動きが加速化していた時期であった。それだけに、この時の印象はことのほか深い。

これを契機に「共生」の論議は盛んとなり、その間に経済学者からは、共生は競争を否定するものだという批判や、経済界が共生を主張することへの疑問なども出てきた。また、いたずらに言葉だけの正論を述べても国民は納得しないという意見もあった。その後は、ご承知のとおり経団連の共生委員会でいろいろな角度から検討して頂いたわけである。私自身は、共生は棲み分け論ではない、生産者本位ではないことなどを時に応じて申し上げてきた。プラスサムで、より発展的なものと考えてきた。この点は欧米に出張の際、自由貿易推進の観点から「きょうせい」に賛成と日本語で返ってくることもあり、ある程度は理解されたと思っていた。ただ、その後の厳しい経済情勢に直面し、理念だけをそのまま主張するのはやや気が重いと感じたことは事実である。しかし、最近の情勢からみると、相手と同じ土俵に立った普遍的な原理である「市場」という面をもっと強調しても良いのではないかと思っている。普遍的なルールに基づいた行動こそわれわれの今後目指すところである。

最近たまたま、アジアの知識人の日本に対する苦言を耳にする機会があった。すなわち、「日本には国際社会における義務とか責任という感覚がない」、「日本人の和とは日本人だけのものであり、外に対しては冷淡だ」と。また「日本人には個性がなく、個性のないところには民主主義は存在しない」など、よく聞くことではあるが、改めて指摘されて困惑した。最近のわが国の姿を見るにつけ、日本が世界の平和と繁栄の中で単なる受益者であってはならないという思いをますます強くしている。

二十一世紀の日本にとって一番大事なのは、アジア諸国との信頼関係を維持し、その期待に応えていくことである。そして世界の国々と共に発展していくことである。その際、世界に共通する自由、民主、人権、環境、自由経済などの理念を基本としながら、日本の果すべき役割は何かという視点で積極的に行動していかねばならない。言いかえれば、地球、市場、人間というものを大切にしながら、新たな合意形成に向けて努力していくことが重要であり、その過程こそ「共生」と言えるのではないかと考えている。

(ひらいわ がいし)


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