月刊 Keidanren 1999年 8月号 巻頭言

国民負担率の論議とは何か

橋本副議長 橋本 徹
(はしもと とおる)

経団連評議員会副議長
富士銀行会長

平成11年第1四半期の経済成長率が7.9%に達するとの報道に接しても、残念ながらこれを楽観視する経営者はあまりいないようである。内外を問わず、日本経済の本格的な復活は、ここへ来てもなお、まだまだ先の話と信じられているのである。経営者が思い切った設備投資に踏み切れないのも、消費者が一向に財布の紐をゆるめないのも、将来に対する漠然とした不安が根底にあるからであろう。財政出動による景気刺激はあくまでもカンフル剤であり、その効果が持続している間に、将来に対する明確な展望を示す必要がある。国民の不安を取り除くためには、政治のリップサービスではなく、きちんとした数字と論理に裏付けられた、明確で、納得的なビジョンが必要である。ビジョンを示すことなくただカンフル剤を打ち続けるのであれば、いたずらに財政を疲弊させるだけである。

「国民負担率」という概念は、国家によるサービスには必ず負担が伴う、その誰もが口にしたがらない負担の問題を、われわれ企業経営者を含めた国民全体に冷厳に突きつけるという重要な意味を持っている。現状のまま改革を行なわずに、給付・歳出と負担の構造を長期的に維持することは土台無理な話であり、国際社会における日本の信認を維持するためにも財政再建は不可避であろう。

国民が今後どの程度の負担増と給付削減を忍ばなければならないのか、中央省庁再編や公共事業改革等の行政改革によって国民負担の増加や給付削減をどの程度和らげることが可能なのか、どうすれば財政再建を可能とする経済成長が達成できるのか、社会保障制度をはじめとして持続可能な社会システムとはどのようなものか、国民負担率の議論とは、こうした問題の検討を通じて、どのような社会を構築するかという国民的なコンセンサスをつくることだと考えられる。できるだけ早く苦い良薬を発見することが大切である。


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