日本経団連タイムス No.2824 (2006年8月3日)

第5回東富士夏季フォーラム<第1日>/第1セッション

「パックス・ロマーナとパックス・ヤポニカ」

−国立西洋美術館長・青柳正規氏/司法強化し公正な社会の構築を


ローマ帝国はイタリア半島とそれ以外の属州で構成された。属州は元老院の選出する総督によって統治されるものと、皇帝の派遣する長官に統治されるものがあり、こうした統治構造の多様性が政策論争の活性化を生んだ。
ローマ帝国の社会階層は、上から元老院階級、騎士階級、市民階級、自由民階級となっている。ローマの社会で、より上の階層に上がろうとする人々の競争は、社会全体に活力をもたらした。ローマ帝国のイデオロギーは「ローマ的であること」とシンプルであり、国家はイデオロギー的なものというより、ローマ法を中心とした制度と組織によって支えられた。また、領域内の民族や人種、文化、宗教の多様性は社会に活力をもたらした。ローマ帝国の物流インフラの整備は域内経済の活性化に大きく貢献した。

世界史上繁栄した国家は、日本のような高原モデル、欧州のような孤立峰モデル、アメリカのような多峰モデルの3つに分類できる。
ローマは皇帝を中心とする孤立峰モデルにみえるが、実際には、法による組織制度、物流・人流、軍事力といういくつかの突出した特性に支えられる多峰モデルの国であった。多峰モデルの国は、市民社会、競争社会、複合社会、訴訟社会であるといった特徴を持つ。欧州諸国のような孤立峰モデルの国は、階級社会、エリート社会、蓄積文化社会であるといった特徴を持つ。
日本のような高原モデルの国は、均質社会で平等や安定といった長所があり、経済が繁栄し、市民にとっては住みやすい社会である。一方、過度に経済本位になったり、異質なものを排除したり、優れた指導者が出てこない、改革に対するアレルギーが強い、などといった問題がある。1番の問題は、紛争を解決し、今後の指針を示すべき司法が停滞しがちなことである。
高原モデルの国家は、世界全体の水準が低く、国民のレベルが世界の水準を上回っているときには大きく発展することができる。しかし、世界全体の水準が高くなると突出した部分がなくなってしまう。
ローマ帝国衰退の原因の1つとして、多峰の1つである軍隊の肥大化が挙げられる。このことは、ほかの強みである、物流や人流、法律・組織なども圧迫し、帝国を衰退させていった。つまりローマ帝国は軍隊の肥大化により、多峰モデルから孤立峰モデルへと移行したわけだが、これが帝国の衰退をさらに早める結果となった。

国家が、従来のモデルから別のモデルに移行することは、極めて困難である。しかし、現在のモデルを修正することは可能であろう。日本が、国際社会の中で、先導性、存在感、外交力を有し、国・地域としての尊厳を確保し、有効な国際貢献を果たすためには、世界水準を超える部分が必要である。特に可視性と魅力の向上には世界水準のソフトパワーをつける必要がある。
日本を、世界水準を超える突起部分をつけた丘陵つき高原モデルに修正すればよい。しかしそのためには、裾野を削るという犠牲も必要である。
日本が新たに加える丘陵部分としては、公正さ、日本文化の相対化と世界への展開、言説による外交・政治、ソフトパワーの強化、異質性の導入などが挙げられる。こうした変革のためには、従来の高レベルの治安、均質・平等な社会、大きな収入と大きな支出、仲間意識、伝統的な倫理道徳、国内の垂直分業などは、その一部を犠牲にする必要があるだろう。
日本の活力を高めるためには、公正な社会を実現する必要があり、そのためのインフラとしての司法の強化が必要だ。日本は公正な社会の構築のために、本格的な司法制度改革を進めるべきである。

質疑応答・意見交換

日本経団連側
これまでの大国は軍事力を背景に世界を制覇したが、21世紀においてはソフトパワーのようなもので国家が繁栄できると思うか。
青柳館長
歴史上の大国の軍事力の背景には、国内の組織・制度の充実がある。軍事力は他の国との対抗上生じた相対的なものである。軍事力が小さくても、社会システムの整備と外交・安全保障政策とがかみ合えば国は発展できる。
日本経団連側
日本を丘陵つき高原モデルへ修正する中で、高レベルの治安や仲間意識などを犠牲にするのは問題だ。他人への思いやりや、いじめ・卑怯を嫌う心は世界に誇る日本の良さである。治安の悪化や紛争の増大は社会的なコストを増大させる。
青柳館長
伝統的な倫理観は失うべきではない。しかし、社会環境の変化に対応した伝統的な倫理観の「見直し」は必要だ。
日本経団連側
司法の強化は必要だが、米国のような訴訟社会を持ち込むべきではない。
青柳館長
米国の極度な訴訟社会は是としない。しかし、司法制度改革は大胆に行うべきだ。日本の現状は、国民に十分な司法サービスを提供できていない。戦略的に重要となる知財に関する司法サービスの強化などは急務である。公正な競争を促進するためには、司法など競争の土俵の整備が不可欠だ。
(文責記者)
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