日本経団連タイムス No.2889 (2008年1月17日)

日本経団連労使フォーラム御手洗会長基調講演(要旨)


日本経済の課題

日本経済は基本的には回復基調にあるものの、米国のサブプライム問題や原油など資源価格の高騰、改正建築基準法の施行に伴う住宅投資の低迷などによる国内景気への影響など、決して楽観視できる状況にはない。むしろ「ねじれ国会」という政治情勢も相まって、国民の間には閉塞感、不透明感が増している。しかし、そのような状況の中でこそ、積極進取の姿勢をもって、わが国経済の成長力を高めていく取り組みを進めることが大切である。

日本経団連は年頭に、広く国民や政府に訴え掛けるメッセージとして「成長力向上に関する提言―成長創造 躍動の10年へ」を公表した。その中で特に強調しているのは、今の閉塞感を打ち破り、日本経済を躍動の10年へ導いていくために、国民が共有できる明確な目標を掲げ、国を挙げて取り組んでいくことである。豊かな国民生活は確固たる経済成長によってもたらされる。そこで「今後10年で世界の主要国の中で最高の所得水準を持つ国にする」ことを目標に掲げたものである。

その上で、今後10年で取り組むべき五つの具体的戦略とその起爆剤となる三つの先行プロジェクトを打ち出した。具体的戦略の第一の柱はイノベーションの加速による成長力の引き上げであり、環境やナノテクなど世界をリードする技術分野への重点的資源投入や、民間部門の研究開発活動の促進、高度人材の育成などが重要である。第二の柱は成長する世界経済のダイナミズムをいかに取り込んでいくかという点であり、アジアや欧米との経済連携協定(EPA)の早期締結が不可欠である。第三は道州制の導入であり、一極集中の経済社会構造を抜本的に変革し、日本全体が豊かになる仕組みにしていくことが必要である。第四は法人課税の抜本改革を中心とする事業環境の整備、第五は国民の安心・安全を確保するためのセーフティネットの改革である。

これらを推進していく上では、具体的かつ実践的なプロジェクトを起爆剤にすることが必要であることから、今後5年間で進めるべき先行プロジェクトとして、(1)世界最先端の電子政府・電子社会の構築(2)地球温暖化を防止するために、わが国が国際的なイニシアチブを発揮すること(3)道州制の早期導入に向けて、全国に自立した広域経済圏を築いていくこと――の三つを提案している。

春季労使交渉・協議に向けた課題

今年の春季労使交渉においては、引き続き個別企業が各社の経営状況を踏まえた上で、真摯に交渉していくことが基本である。賃金については、自社の支払能力がどの程度あるかを見定めた上で、経営側としてのスタンスを決めていかなければならない。企業が生み出した付加価値が人件費や利益の源泉であり、付加価値をいかに生み出していくかは労使が協力して取り組むべき課題である。

業績が良く、余力のある企業については、国際競争力強化に向けた設備投資や研究開発の拡充に加え、働く人々に対する分配を厚くすることも検討してよいだろう。その方法は個別企業ごとに、さまざまな形が考えられる。

ところで、労使は重要課題について共通の認識を持っていると思われるが、いくつかの点で異なる見解が見られる。

労使の課題

(1)いわゆる「正規」「非正規」をめぐる問題

近年、パートタイム従業員や派遣社員など多様な働き方が増えているが、一つにはバブル崩壊後、企業が雇用維持のためにやむを得ず新規採用を手控えた結果という面がある。一方、家庭生活や個人の希望を重視し、短時間勤務や短期間雇用を積極的に選択するライフスタイルや、一つの企業や職種に縛られない働き方を自主的に求める人々も増えてきている。

こうした事情を無視して、一部にパートタイム従業員や派遣社員を一律に長期雇用従業員にすべきとの主張が見られる。しかし、働き方に対するニーズが多様化している中、フルタイムの長期雇用を理想型として、すべてこれに合わせていくという発想には無理がある。いま取り組むべきは、両者の間にある無用な壁を引き下げ、合理的な根拠を欠く処遇や偏見の解消に努めることである。

多くの企業では、長期雇用従業員に転換する仕組みを整えたり、転換したりする動きが広がっており、今後さらに円滑な運用が図れるよう、仕事や役割、成果に基づく人事・賃金制度の導入、公正で納得性ある評価制度の構築が求められる。また、官民挙げて職業能力向上やキャリア・アップの機会を提供できる仕組みを構築することが重要であり、今年度からスタートするジョブカード制度により、職業能力形成の機会に恵まれなかった人たちが能力を高め、安定的な雇用への移行が進むことを期待している。

(2)同一価値労働・同一賃金

同一価値労働・同一賃金には賛成であるが、仕事の熟練度や職務遂行能力は人によりまちまちであり、就業時間、転勤・配置転換の可能性も契約により異なる。従って、単純に同じ時間働いたとしても、同じ価値をもたらすことにはならない。

また、同じ職種であれば事業所や企業の区別なく、同じ賃金にすべきという職種別同一賃金の考え方があるが、事業所や企業が違えば生産性は異なり、また立地先によって労働需給も左右される。こうした現実を無視し、同じ処遇を求めることは合理的な根拠を欠くものである。職種別同一賃金はわが国の選択すべき方向でないことを強調したい。

(3)労働分配率

労働分配率が低下しているので賃金水準を引き上げるべきとの主張がある。マクロベースの労働分配率は景気拡大局面では低下し、景気後退局面には賃金や雇用が比較的安定しているため上昇する。これは企業が従業員の生活の安定を重視していることの証左である。また、ミクロの労働分配率は業種や企業で異なっており、総額人件費改定の目安とはならない。

配当や内部留保を減額して労働分配率を引き上げるべきとの意見もあるが、企業にはさまざまなステークホルダーへの配慮が求められ、仮に株主を軽視することになれば、マーケットからみた企業価値が低下し、敵対的なM&Aの対象になる可能性もある。一方、内部留保は企業の成長の源泉である。企業は財務体質を悪化させず設備投資や研究開発投資を行うことができ、その成果は付加価値額の増加として労使がともに享受することになる。

(4)ワーク・ライフ・バランス

ワーク・ライフ・バランスは、単に労働時間短縮を意味するものではない。推進に当たっては仕事を根本的に見直し、効率的に遂行する必要があり、目標を明確に定め、達成度を「仕事の過程」でなく「成果」で公正に評価、処遇するため、仕事・役割・貢献度に基づく人事・賃金制度の構築が求められる。よりめりはりのある働き方の実践が、企業にとっては生産性の向上を、従業員にとっては満足度の高い働き方の実現をもたらす。

働き方を変えるためには、企業文化も変えていく必要がある。一人ひとりが自分自身のキャリア形成を自ら考え、仕事の進め方を考えるような状況をつくっていく必要がある。そのような企業こそが既存の価値観や慣行にとらわれず、問題の本質を的確に把握した上で自ら主体的に考え、価値創造、事業革新を担うことができる自立的な人材を育成することができる。

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